三月の組香 

         

左方・右方に別れて舞楽の演目を楽しむ組香です。

香元二人が左右から香炉を焚き出す「二人手前」が特徴です。

 ※ このコラムではフォントがないため「」を「*柱」と表記しています。

説明

  1. 香木は6種用意します。

  2. 要素名は、「萬歳楽(ばんざいらく)」「甘州(かんしゅう)」「陵王(りょうおう)」と「延喜楽(えんぎらく)」「林歌(りんか)」「納曽利(なそり)」です。

    ※ 場合によって「長慶子(ちょうげいし)」を追加の1種として用いることがあります。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. 左方の香として「萬歳楽」「甘州」「陵王」を各2包、右方の香として「延喜楽」「林歌」「納曽利」を各2包作ります。(計 12包)

    ※ 予備として「長慶子」を2包作っておきます。

  5. 連衆は、あらかじめ「左方(さほう)」「右方(うほう)」の二手に 別れ、香元もそれぞれに配置して置きます。

  6. 2人の香元が交互に味方の香のうち各1包を試香として炊き出します。(計 3×2=6包)

     左「萬歳楽」、右「延喜楽」、左「甘州」、右「林歌」、左「陵王」、右「納曽利」の順。

     この組香では、左方は「萬歳楽」「甘州」「陵王」、右方は「延喜楽」「林歌」「納曽利」のみを聞くことができ、相手方の香を聞くことはできません。

  7. 人の香元は、それぞれ手元に残った味方の香を打ち交ぜ、これを交互に焚き出します。(計3×2=3)

  8. 本香は、左右の香元から味方に向けて3炉ずつ、都合6炉回ります。

    ※ 左、、左、、左、

  9. 連衆は、焚かれた香を試香と聞き合わせて、名乗紙に要素名を 出た順に3つ記載して提出します。

  10. 点数は、各1点となります。

  11. 下附は、点数を漢数字で記載します。

  12. 勝負は、グループごとの合計点の多い方が「勝方(かちかた)」となり、勝方の最高得点のうち上席の方が香記を授与されます。

    ※ なお、双方同点の場合は、本香で焚かれた焚殻に「長慶子(ちょうげいし)」と名付けた客香を加えて、双方4包ずつを再度聞いて勝負を決します。(委細後述)

 

 風は花笑みの香をはらみ街が春色に染まる季節となりました。

老いさらばえた冬籠りの時期に未来への展望もなく、他人様から期待も頼りにもされない日常が続き、閉ざされた街と部屋にも辟易しますと、ある日突然、生きる気力をなくしてしまうことはありませんか? そのような時、サブカル好きの私はYouTubeの中にチアリーダーを見つけ 、応援された気になっています。その名は【踊ってみた】シリーズで有名な「なまこ」という女性で、最初に観たときは16歳でしたので「加藤綾子アナウンサーが年若くなってボカロで踊ってる!」という ような驚きを感じました。そのしなやかでのびやか手の動き、弾むように飛び回る足の動き、時折見せるカワイイ決めポーズ…そして、何よりも耳障りのいいボーカロイドの歌声は、何時しか 「我が庵」の環境映像として欠かせないものになっていました。彼女は、その動画から好機をつかみ、今ではダンスアイドルグループで活躍しています。【踊ってみた】は、現代における「娘手踊り」であり、私は苦しいとき、辛いとき、美少女たちの躍動にいつも元気づけられています。

「娘手踊り」というカテゴリーは、昔から祭りや郷土芸能の「華」として、土地々々の少女たちによって踊り伝えられて来ました。その見どころは、しなやかな手指のそりと袖から 覗く白く細長い腕、そして初化粧に躊躇いながらも女としての自身を身に着け始める移ろいの表情でしょう。教えられた型とはいえ、型どおりに「しな」を作って要所要所を決めていく姿や踊り進むにつれて上気して赤く染まる頬や唇、肘 や膝などにも妙に艶めいたものが感じられます。「たおやめぶり」でいえば、 秋田美人が踊る「西馬音内盆踊り」、秋田美人になりかけの美少女が踊る「角館飾山囃子」がみちのくの「娘手踊り」の粋かと思います。

一方、最も「体育会的」と思えるのが、津軽美人や南部美人になりかけの美少女が踊る青森県の「手踊り」です。南部には「南部七唄・七踊り」(馬方三下り、荷方節、あいや、追分、甚句、よされ節、都々逸 )があり、津軽には五大民謡手踊り(じょんから節、よされ節、小原節、あいや節、三下り)があります。もともとは、旅芸人の興行などを見て、宴会芸として座興的に楽しんでいた踊りに、歌舞伎の見栄などを取り入れて、舞台用の踊りに仕上げた民舞で、数百年の歴史があると言われています。歴史がある割には、社中によって全く違う振り付けが可能なので 、歌と囃子以外は全く同じものがありません。特に、アップテンポな曲となりますと、「競技ダンス」とも思えるほどの踊りのキレに目を奪われます。手踊りの下半身は中腰、爪先立ち、片足立ちの連続で、上半身は直線的な腕振りと手指の細やかな表現、傘や扇子・手ぬぐいなどの小道具使いとまさに大忙しです。舞台映えする技とキレのための肉体訓練や組踊りのシンクロの反復稽古も過酷であり、地元のケーブルテレビで全国大会のドキュメンタリー番組を見 多時は、妙に感動を覚えた記憶があります。我々が少女の踊りからもらえるエネルギーは、こういった稽古に使われたエネルギーのほんの一部に過ぎないのかもしれません。

昨今、バブル景気にあこがれる若人や懐かしがる老人が、復刻した「ディスコ」で踊っているそうです。バブル経験者は、 今では酒も飲まずに踊るだけの「健康ランド状態」らしいですが、週に一、二度ボティコンスーツを身にまとって、薄〜い酒を飲みながら汗を流す「ディスコ・エクササイズ」や「ディスコ・コミュニティ」が新しい老後の過ごし方になるかもしれません。私が思うに、『古事記』の時代に行われていたような最も原始的な踊りの姿(宗教的恍惚)が、「ディスコのお立ち台」にあったような気がしています。歌舞音曲好きの私は、 万が一、仙台に「マハラジャ」が復活した際は、35年ぶりに足を運ぼうかとも思っています。

今月は、

公家や楽人が演じる舞楽を楽しむ「続舞楽香 」(ぞく_ぶがくこう)をご紹介いたしましょう

「続舞楽香」は、『香道千代乃秋(中)』に掲載のある組香です。題号の下には「流芳組」とあることから、この書物の編者である大枝流芳の創作したオリジナルの組香であることが判ります。「舞楽」と言えば、東福門院が創作したと言われる絢爛豪華な盤物の「舞楽香」が有名で、これは「光源氏と朧月」を主人公に「春秋」の景色を対比させて作られていますが、どうしても『花の宴』での出逢いの場面が印象深いため、「春」に行われることの多い組香です。今月もご紹介する組香を探しておりましたところ、まずは「舞楽」の題号が目に付き、私も「春」の組香と直感しました。内容を見ますと、取り立てて「春」に直結した景色はないのですが、やはり舞楽は屋外で催行されるため、桜・紅葉の季節にふさわしいと思いました。また、この組香は「札、立物なし。もと舞楽は争うことにあらざれば立物をなして闘わしむるは本意にあらざればなり」とあり、特別な道具立ても要らないことから、現代に復刻するにもふさわしいと思いご紹介することにいたしました。今回は、オリジナルの組香であることから『香道千代乃秋』を出典として、書き進めたいと思います。

まず、この組香に証歌はありませんが、題号「舞楽」の文字と楽曲の演目の書かれた要素名、また、その要素名に「左方(さほう)」「右方(うほう)」の区別があることから、ある程度の景色や趣旨を想像できる方は少なくないと思います。ここでは、初心者のために「雅楽(ががく)」という言葉の解釈から始めることといたしましょう。

「雅楽」とは、日本の伝統的な世俗音楽である「俗楽」に対峙する意味で使われる「雅正の楽舞(正楽)」のことです。その伝来は、5世紀前後から中国、朝鮮半島、南アジアなどから仏教文化の渡来とともに伝わった儀式用の音楽や舞踊が国風化したもので、主に朝廷や貴族文化の中で伝承されてきました。「雅楽」という言葉は、大宝元年(701年)の大宝律令によって「雅楽寮」が創設されたのが始まりであるとされ、10世紀頃には改作・新作を経て体系が完成し、現在では、宮内庁式部職雅楽部がその伝承を守っています。

その中で「舞楽」とは、楽器のみによる合奏である「管絃」に対して、舞 いを伴うもののことです。「舞楽」には唐楽(とうがく)と高麗楽(こまがく)の2種類があり、唐楽による舞楽を左方(左舞)、高麗楽による舞楽を右方(右舞)と呼びます。この2つの演目を対峙させるやり方は「番舞(つがいまい)」といい、近衛府の官人たちが、左右に分かれて武術を競い、その余興として器楽や舞いを披露していたことが起源となっているそうです。この組香は、「左方(陽)」と「右方(陰)」が交互に舞うことで陰陽和合する「番舞」を景色に表す趣向となっています。

次に、この組香の要素名について、出典では「左方の香三種、萬歳楽二包、甘州二包、陵王二包」「右方の香三種、延喜楽二包、林歌二包、納曽利二包」とあり、「左方」と「右方」で異なった香をそれぞれ3種用いることとなっています。双方に振り分けられた「萬歳楽」「甘州」「陵王」と「延喜楽」「林歌」「納曽利」は、それぞれ舞楽の演目であり、それぞれを簡単に解説しますと下記のようになります。

左方

演目 概要 

(下段は、調名、曲姿、舞種、舞人、装束、着装姿)

万歳楽

(唐楽)

平舞の代表的な名曲で、作曲の由来は@随の煬帝説。A唐の賢王説。B唐の則天武后説等、諸説あり。古くから君主の治世を寿ぐ演目とされており、皇室では天皇の即位に用いられるほか、堂塔供養などの大法会など幅広い祝儀に演奏されていた。答舞(とうぶ)⇒「延喜楽」

平調(ひょうじょう)、中曲、平舞、四人、襲装束、片肩袒

甘州

(唐楽)

 

中国の甘粛省にあるといわれる古代中国の地名。甘竹の産地で、竹の根に毒虫がいて人を害したが、この曲を演奏すると、金翅鳥の鳴声と思って毒虫が害を与えなかったため、容易に竹を切り出すことができたという伝説がある。答舞⇒「林歌」

平調、准大曲、平舞、四人、襲装束、諸肩袒

陵王

(唐楽)

 

蘭陵王(らんりょうおう)の略。中国の北斉(ほくせい)に高長恭(こうちょうきょう)という眉目秀麗な名将がいたが、その美貌が兵の士気を下げることを恐れ、常に仮面をつけて戦っていた。北周との闘いに大勝利した兵士たちは「蘭陵王入陣曲」を作り、彼の勇猛を称えた。答舞⇒「納曽利」

壱越調(いちこつちょう)、中曲、走舞、一人、別装束、裲襠(うちかけ)

右方

演目 概要 

(下段は、調名、曲姿、舞種、舞人、装束、着装姿)

延喜楽

(高麗楽)

別名「花栄楽(かえいらく)」。外来曲ではなく、万歳楽の番舞を作るために、高麗楽(こまがく)を模して藤原忠房が作曲し、敦実親王が舞を作り、醍醐天皇の御代(901922)の元号を冠して曲名とした。「万歳楽」と組んで、めでたいときに必ず舞われる。答舞⇒「万歳楽」

高麗壱越調、中曲、平舞、四人、襲装束、片肩袒

林歌

(高麗楽)

 

林歌は、唐楽と高麗楽の両方に存在しているが、唐楽は管弦であるため、舞楽としては高麗楽のことを示す。「高麗平調」という調子は、この曲のみ現存している。装束は黄色地に金糸・銀糸・黄糸で鼠を刺繍した短い袍(ほう)を着用し、頭に鼠甲(ねずみかぶと)を被る。答舞⇒「甘州」

高麗平調、大曲、平舞、六人、襲装束、諸肩袒

納曽利

(高麗楽)

別名を「雙龍舞(そうりゅうのまい)」。2匹の龍がたわむれ遊んでいる様を舞にしたものといわれている。  また現在は、二人舞が「納曾利」、一人舞を「落蹲(らくそん)」と呼ぶ。答舞⇒「陵王」

高麗壱越調、中曲、走舞、一人、襲装束、裲襠

 このように、舞楽では「萬歳楽」と「延喜楽」、「甘州」と「林歌」、「陵王」と「納曽利」とそれぞれが左右一対で奏されることとなっており、要素名も「左舞」と「右舞」の演目を対称的に組み合わせることによって、「番舞」の景色を醸し出すように工夫がされています。

 さて、この組香は香6首、香数12 包、本香6炉となっています。香組について、出典では「右試六包 左は紅の包紙 右は青の包紙とあり、左方の香3種(萬歳楽、甘州、陵王)は「紅」の香包、左方の香3種(延喜楽、林歌、納曽利)は「青」の香包に仕込むことが記載されています。これは、「左舞」「右舞」の装束の主張色に合わせた色の演出といえましょう。次に、出典では「左右香元二人なり。花月香のごとく左方より焚き出だし、右の連中に聞かしむ。左はきかず。次にまた右より焚き出だし、左の連中にきかしむ。尤も右の連中はきかず。」とあり、対面した二人の香元が交互に香を焚き出すこととなっています。「二人手前」の所作については「花月香のごとく ・・・」とあっさり書かれていますが、これは相伝式法にもかかわるものであり、この組香の最大の特徴となっています。また、双方とも相手方の香は聞かないことになっていますので、各々が聞くことのできる香木の数は、先ほど述べました香種香数の半分となります。

 この組香は、「続舞楽香着座図」のとおり 、二人の香元が地敷の長辺を挟んで向かい合い、その隣から双方の連衆が上座から末座のまで横に並んで対座しており、その合流点に執筆が居るというイメージです。そこで香元@が「左方」の連衆に向かって「萬歳楽」「甘州」「陵王」だけを聞かせ、「右方」には香元Aが「延喜楽」「林歌」「納曽利」だけを聞かせて香席を進めます。例えば、試香については、香元@が「萬歳楽」を左方に聞かせた後、香元Aが「延喜楽」を右方に聞かせるという方式で「甘州(@左)」「林歌(A右)」「陵王(@左)」「納曽利(A右)」と6種6香が順に焚き出されます 。ただし、互いに聞くことのできるのは味方の3種3香のみとなります。流派によって香炉の廻る方向等が違 うこともありますので、ここでは「味方の香元が味方の香を焚き出す」ということだけイメージしてください。また、人数が足りない場合は、「一人手前」で香元が左右に振り分けて焚き出しても、香包の色が異なるため支障はないかと思います。

 本香は、双方の手元に残った香包3種3香をそれぞれ打ち交ぜて、これも「」と左右交互に焚き出します。本香が焚き出されましたら、連衆は試香に聞き合わせ、名乗紙に要素名を出た順に3つ書き記して提出します。

 名乗紙が帰って参りましたら、執筆(1名)はこれを開き、連衆の答えをすべて書き写します。答えを写し終えたところで、左方の香元が「鶯」を抜き、香包の隠しを開いて正解を宣言します。香包は1本の「鶯」に上からと下からと交互に刺さっているため、このまま6つの要素を出た順に宣言します。

 ここで、「続舞楽香記」の記載方法は少し変わっていますので、ご紹介しておきましょう。まず、題号の「続舞楽香記」の下には「香組」「左方」と横に並べて書き、3種の要素名「萬歳楽」「甘州」「陵王」と香銘いつもどおりに並べて記載します。その左が左方の「香の出の欄」で「名乗と回答欄」が続きます。そして、中ほどに題号に準ずる大きさで「同 右方香組」と書き記してあり、これが、「左方」「右方」の見出しの代わりになっています。右方の香組はこの大文字の下に「延喜楽」「林歌」「納曽利」と並べて記載し、その左から右方の「香の出」「名乗と回答欄」と続きます。さらにその左には、双方の成績をあらわす「左方○点、右方○点」の行があり、最後に年月日、開香筵等を記載します。見ると1枚の料紙に題号が2つあり、2席分の香記を後ろだけ共用したような記載イメージとなっています。

 そのため、執筆は宣言された6つの正解を左右の香の出の欄に分けて記載することとなります。香の出を書き終えましたら、回答欄を横に見て、当たりの要素名の右肩に合点を打ちます。この組香の点数は、要素名の当たりにつき1点となっており、その他の加点・減点の要素はありません。また、下附は点数であり、全問正解は「三点」、無点は空白として何も付記しません。

 最後に、それぞれのグルーブごとの得点を合算して、点数の多い方が「勝方」となります。ただし、香記には「勝」とは記載せず、点数を「左方○点、右方○点」と奥書して示すのみとなっています。これも「闘わしむるは本意にあらざればなり」に由来しているものかと思います。

 なお、要素名が少なく 、客香も無いこの組香は意外に易しいため、少人数で催行する場合などに「双方同点」ということも少なからずあろうかと思います。これについて、出典では「同じききにて勝負なき時は、焚きかえしをもとのごとくに包内へ、『長慶子』と名付け 、試みなき香一*柱双方とも入れ 、四包となして追加を聞くべし。追加にて聞き多き方を勝ちと定むべし」とあり、それぞれの焚殻(たきがら)をもう一度香包に戻し、そこに「長慶子」という要素名の客香をそれぞれ加えて、4包ずつをもう一度焚いて同点決勝をすることになっています。

 「長慶子」とは、舞楽公演のときに、公演のしめくくり、観客の退出時に奏される唐楽・太食調の管弦で、映画で言えばエンドロールのような扱いの後奏曲のことです。この新たな香り(楽曲)を含めた「追加の4*柱」を焚き出して、奏された舞楽への名残の深さを競う形でもう一勝負を行うというのが同点決勝の趣向です。焚殻と試香とでは印象が大きく異なりますし、客香も入りますので、決勝戦は相当難度の高い戦いになるかと思われます。「これでも同点だったら・・・」については、記載の必要もないということでしょう。もともとは芸術鑑賞なので、 この一戦を制することは喜びでしょうが、それすらも勝負としない「ノーサイド精神」が雅人には大切なのだと思います。

 大枝流芳が、文末に「もと舞楽は争うことにあらざれば…」とこの組香を盤物にしなかった理由を述べています。確かに宗教楽として伝来した頃の舞楽は神楽のように神仏に向けた奉納の みに用いられていたに違いありません。後世、これを人間の遊びに引きずりおろして対抗戦に仕立て上げたのは、香道を含めたくさんの芸道や芸能のたどってきた道ですが、それもまた受け継がれるべき日本文化ということでしょう。

 皆様も「続舞楽香」で春の陽光を浴び てきらびやかに映える鼉太鼓(だだいこ)や舞人の荘厳華麗さを思い起こしながら、管弦の響きに心遊ばせてみてはいかがでしょうか。

 

天岩戸に天照大神が隠れ、世界が真っ暗になった際

天宇受賣命は「バーレスクダンス」のようなものを踊って男神たちの喝采を浴びたようです。

六本木界隈の腰振りダンスも長い不況の壁をこじ開けるのでしょうか?

 それぞれに萌え咲き廃る花見山千々の小径に誘う百聲(921詠)

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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