八月の組香
石清水八幡宮界隈の秋をテーマにした組香です。
「放生方」と「女郎花方」の聞き方も答え方も違うところがが特徴です。
※ このコラムではフォントがないため「」を「*柱」と表記しています。
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説明 |
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香木は、4種用意します。
要素名は、「鳩(はと)」「魚(うお)」と「女郎花(おみなえし)」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「鳩」「魚」は各4包、「女郎花」は2包作ります。(計10包)
連衆をあらかじめ「 放生方(ほうじょうがた)」「女郎花方(おみなえしがた)」の二手に分けます。
「鳩」と「魚」のうち各1包を試香として焚き出します。(計 2包)
ただし、「放生方」のみこれを聞き、「女郎花方」は試香を聞きません。
残った「鳩」「魚」の各3包に「女郎花」の2包を加え、打ち交ぜて順に焚き出します。(計 8包)
本香は、 「二*柱聞」(にちゅうぎき)で2包ずつ4組として、都合8炉廻ります。(2×4=8)
連衆のうち「放生方」は、試香と聞き合わせて、常のごとく香りを判別します。
一方、「女郎花方」は、無試十*柱香のように最初を「一」として、以降は香の異同により3種の香を判別します。
双方とも、2炉ごとに聞きの名目と見合わせて、名乗紙に は答えを4つ書き記します。
この組香では、同じ香の出でも双方の正解が異なります。
執筆は、点法にしたがって、名目を構成する要素ごとに「合点」を打ちます。 (片当たり)
下附は、各自の得点を漢数字1文字で書き附します。
各自の得点を合計して、最も得点の高かったグループが「勝方(かちかた)」となります。
香記は、「勝方」の最高得点者のうち、上席の方に授与されます。
風鈴の音が「涼しげ」から「もの悲しく」変わる季節となりました。
この時期、避暑をかねて夏山に登りますと、路傍に湧き出る清水が一服の清涼剤となることは誰しも経験のあることでしょう。清水の前に立って顔を洗い、谷から吹き上げてくる風にしばし身をさらしていますと、身体の火照りとともに心まで清々しく納まって来る感じがします。山は、頂上を目指すのが最終目的ですが、私は、道すがらに心遊ばせながらじっくり楽しんで登り、心身の疲れを解きほぐすことを優先させています。熊本は湧き水が豊富で、辻々に「旨し水」が提供されており、観光のついでに「当地の水巡り」ができるのもありがたいことでした。街中の川を流れる水が綺麗なだけで心洗われる気持ちになったものです。震災で地殻が揺れますと湧き水に濁りが生じたり、水脈が切れて枯渇するということを経験していましたので、「火の国の水よ!永遠なれ!」と祈るばかりです。
今月は、能楽二題の景色を融合させた「石清水香」(いわしみずこう)をご紹介いたしましょう。
「石清水香」は、『御家流組香集追加(全)』に掲載された秋の組香です。同名の組香は『香道蘭之園(巻六)』にも掲載があり、その内容は、「証歌」の有無以外は、ほぼ同じとなっています。今回、夏から初秋の季節を表した組香を探していましたところ「石清水」という涼しげな題号と「女郎花」という秋らしい要素名が目に留とまりました。委細を読み通して見ますと構造上にも大変珍しい特徴があるほか、組香の表す景色も良い意味で最初の予想を大きく覆す遠大で複雑なものであることがわかりました。今回は、書写年代の古い『御家流組香集追加』を出典として、『香道蘭之園』の記述も加えながら、筆を進めたいと思います。
まず、この組香について出典には証歌が記載されてはいません。一方、『香道蘭之園』には「石清水すみはじめけん月影の水の衣のかげぞかはらじ」とあり、これは、「石清水すみはじめけん月影の水の衣にかげぞうつりし(夫木和歌抄15987 衣笠内大臣⇒藤原家良)」の書写か本歌取りのようです。ただし、この組香の背景を深く読んでいきますと、「水と月」の景色では物足りず、少なくともこの和歌からそれぞれの要素名や聞の名目が発想されたとは考えにくいと思います。このことに確信を得るのには、要素名の謎解きが必要でした。
因みに、私としては、どうせ物足りないなら、せめて文治元年(1185)に催された石清水八幡宮の歌合せで、能蓮法師が「社頭の月」詠んだ「石清水清き流れの絶えせねばやどる月さえ隈なかりけり(千載和歌集1280)」が証歌であれば、現地に歌碑も立っているので、「石清水」が題号に用いられている意味がわかりやすかったかなと思います。
次に、この組香の要素名は、「鳩」「魚」「女郎花」となっています。一見、季節の風物としてランダムに取り合わせたようにも見えますが、「石清水」に「鳩」と「魚」が居合わせる必然性がありません。「石清水」を単なる湧き水として「納涼の組香」と捉えると「鳩が水飲みに来てるの?」「水清ければ不魚棲まずって言うけど、魚が泳いでるの?」と疑問に思うほど3者の連綿が奇異な景色にも見えてしまいます。
これについて、解決の糸口となったのは、小記録にあった「放生方」「女郎花方」という組分けでした。
「放生」とは、捕らえた鳥や魚を放してやることで、供養のために捕獲した魚や鳥獣を放し、殺生を戒める宗教儀式を「放生会」と言います。都近くでは「石清水八幡宮」が最も有名で起源も古く、このことから題号の「石清水」とは京都府八幡市の「石清水八幡宮」のことであることがわかりました。
石清水八幡宮の放生会は、現在「石清水祭(いわしみずさい)」と呼ばれ、上下賀茂神社の葵祭、そして春日神社の春日祭と並んで、天皇陛下の使者である勅使が差し遣わせられる「日本三大勅祭」の一つとされています。石清水祭は、「放生川」と「太鼓橋」(安居橋)で行われ、大祓詞を奉唱の後に「鳩」の放鳥が行なわれ、太鼓橋の上で「胡蝶の舞」が奉納された後に、参列者一同で「魚」の放流が行われます。因みに、総本宮の宇佐八幡宮(大分県)で放流されるのは「蜷(にな)」だそうです。
「鳩」は、「八幡神の使い」「勝運を呼ぶ鳥」として崇められ、全国の八幡様鎮座に際しても鳩が道案内をしたとして、鳥居の扁額には向き合った鳩が八の字を描いているのも有名です。「石清水祭」で放たれるにふさわしい鳥といえば、一も二も無く「鳩」ということになりましょう。また、「石清水祭」で放生される生き物は「金魚」ということですので 、「魚」も放生の景色としてふさわしいと言えましょう。このようにして、「石清水」と「鳩」と「魚」の関係性が明らかになりました。また、ここから石清水八幡宮の放生会の神徳をたたえた「放生川」という能の演目があることがわかりました。
続いて、「石清水」に「女郎花」が居合わせる必然性を調べましたところ、ここでも一時の情欲をむさぼり恋慕に沈んだ男女の苦しむ様が謡われた「女郎花」という能の演目というに尋ね当たりました。この中に「男に対する深い恨みからで放生川に身を投げた女を埋葬した塚から一本の女郎花が咲いた」というくだりがあり、石清水と女郎花の関係が解き明かされます。
ここで、2つの演目のあらすじをご紹介しておきましょう。
放生川 |
女郎花 |
鹿島の神主が石清水八幡宮の祭りに参詣すると、魚を桶に入れた老人と会う。神事の日になぜ殺生するかと尋ねると、老人は「今日は放生会(ほうじょうえ)」と答え、魚を境内の放生川に放ち、神事の謂れなどを語り、「自分は当社の神徳を受けている竹内宿弥だ」と仄めかして男山に姿を消す。 月が上ると、夜神楽とともに竹内の神が現れ、和歌の盛んな平和の御代を讃えて和歌を詠い厳かな舞を披露する。 |
旅の僧が石清水八幡宮を参拝するため男山の麓に来ると、女郎花が美しく咲いている。一本を手折ろうとした時、老人が現れて叱る。論争の後、老人は八幡宮を案内し、麓にある男塚、女塚を教え「これは小野頼風夫婦の墓で、私が頼風だ」と言って消える。 僧が読経していると夫婦の亡霊が現れ、放生川に身を投げたいきさつなどを語り、いまも邪淫の悪鬼に苦しめられているので、成仏させて欲しいと懇願する。 |
このように「石清水(八幡宮)」を舞台に、2つの物語が展開され、放たれる「鳩」と「魚」、そして周辺に群生した「女郎花」が1つの景色として結びつくことになります。
この組香は、あらかじめ連衆を「放生方」と「女郎花方」に分けて、グループごとに聞き比べを行う一蓮托生対戦型ゲームとなっていますが、これも2つの演目に寄せて「陰陽」を対比させたものと思われます。
さて、この組香の構造はなかなか複雑です。まず、「鳩」と「魚」は各4包作り、「女郎花」は2包作ります。そのうち「鳩」「魚」の各1包を試香として焚き出しますが、出典には「放生方試を聞く常の通りなり、女郎花方は三*柱ともに試を聞かず」とあり、「放生方」は試香を聞くことができますが、「女郎花方」は試香を聞くことができません。
さらに出典では「右二種を一よりのりょうけんにて聞くなり。これを『くねる』と名付なり。組聞き様は無試十*柱香の通りなり」とあります。つまり、「放生方」は普通どおり試香に聞き合わせて「鳩」「魚」を判別し、聞いたことのない香りを「女郎花」として回答すればよいのですが、「女郎花方」は、無試十*柱香のように「最初に聞いた香は一、次に出た異香は二、最後に出た異香はウ」と香の異同のみを判別して回答するということになります。これは、大きなハンデだと思えますが「女郎花方」も「前の香りと同じか違うか」だけを判別すればいいので、それほど難易度は変わらないものと思われます。
続いて、この組香は「二*柱聞」で行われるため、試香を焚いて、手元に残った「鳩(3包)」「魚(3包)」「女郎花(2包)」の計8包を2包ずつ4組として焚き出します。香元は、組の区切りを意識して「初・後」の香を4回焚き出します。
本香が焚かれましたら「放生方」は試香に聞き合わせ、「女郎花方」は香の異同の組み合わせで、2炉ごとにあらかじめ用意された「聞の名目」と見合わせ、名乗紙には名目を4つ書き記して提出します。
回答に使用する「聞の名目」は次のように列挙されています。
放生方 | 女郎花方 | 聞の名目 | 解説 |
鳩・鳩 | 一・一 | 鳩の峯 (はとのみね) |
石清水八幡宮一帯の小高い山の名⇒鳩ケ峯(従来は男山と同義) |
魚・魚 | 二・二 | 生るを放 (いけるをはなつ) |
魚を川に放生する様 |
鳩・魚 | 一・二 | 石清水 (いわしみず) |
石清水八幡宮のこと |
魚・鳩 | 二・一 | 放生川 (ほうじょうがわ) |
本来は「大谷川」。古来、石清水八幡宮の「安居橋」から上下流約200mのことを「放生川」と言う |
鳩・女郎花 | 一・ウ | 男山 (おとこやま) |
石清水八幡宮の鎮座する小高い山の名⇒別称「男山八幡宮」 |
魚・女郎花 | 二・ウ | 名月 (めいげつ) |
「放生会」の開催日は、旧暦8月15日で中秋の名月 |
女郎花・鳩 | ウ・一 |
一時 (ひととき) |
「女郎花」の「ひとときをくねる」から「過去」のこと |
女郎花・魚 | ウ・二 | 色めく野辺 (いろめくのべ) |
引用歌のとおり、女郎花の艶やかに群生する様 |
女郎花・女郎花 | ウ・ウ | おほかる野辺 (多かるのべ) |
引用歌のとおり、女郎花がたくさん群生する様 |
このように、これまでの解説で用いられてきた事物がそれぞれ名目として用いられています。「色めく野辺」は、「心ゆゑ心おくらむ女郎花いろめく野邊に人かよふとて(金葉集229藤原顕輔)」、「おほかる野辺」も「女郎花おほかる野辺の駒つなぎおちけん人や引きとどめてし(夫木和歌抄13515 民部卿為家)」のように群生する女郎花が人を誘う様子を詠った和歌から引用されています。最も古い「女郎花おほかる野辺に宿りせばあやなくあだの名をや立ちなむ(古今和歌集229 小野美材)」では、「女郎花に目をくれると後悔するぞ!」と架空の子孫となる「小野頼風」の失敗を予見するかのような歌が、既に詠まれているところが面白いところです。
ここで、誤解してはいけないのは、女郎花方は「鳩」を推量した時に「一」の札を打たなくてもいいということです。聞き方は「無試十*柱香と同じ」ですので、最初に焚き出された香が何であれ「一」とします。それと違う香が出たら「二」とします。そうしてできた答え「石清水(一・二)」では、「放生方」の正解が「放生川(魚・鳩)」であっても「一時(女郎花・魚)」であっても、最初の組が異香の組み合わせであれば正解となります。
例:香の出が「魚・鳩」「鳩・女郎花」「鳩・魚」「女郎花・魚」の場合
「放生方」の全問正解
「放生川(魚・鳩)」「男山(鳩・女郎花)」「石清水(鳩・魚)」「色めく野辺(女郎花・魚)」
「女郎花方」の全問正解
「石清水(一・二)」「名月(二・ウ)」「放生川(二・一)」「一時(ウ・一)」
(結果的に「魚」が「一」、「鳩」が「二」、「女郎花」が「ウ」となったため)
このように、一組目に「鳩・鳩」が出るなど、同香の組がうまい順番で出ない限り、同じ香の出でも「放生方」の名目と「女郎花方」の名目は、ほとんど異なることとなります。このことを出典では『くねる』と言い、「女郎花」の逸話になぞらえて、「両者の答えがすれ違う」ことを趣向としているのです。この「くねる」がこの組香の最大の特徴であり、席中の醍醐味となるでしょう。
ここで、「くねる」とは、もともと紀貫之が『古今和歌集仮名序』の中で「男山の昔を思ひ出でて、女郎花のひとときをくねるにも、歌をいひてぞなぐさめける。(男も女も盛りの頃を懐かしんで、現在の自分を嘆いては和歌を詠んで慰める)」と書いたものでしたが、謡曲「女郎花」となる際に「頼風は、女が女郎花になったと思い、花の色になつかしさを感じて立ち寄り、手を差し伸べても、拗ねているのか?恨んでいるのか?すり抜けるように風に靡いて触れられない。」という景色に脚色されたものです。
本香が焚き終わり、名乗紙が帰ってまいりましたら、執筆は、あらかじめ「放生方」「女郎花方」と見出しの打たれた香記に連中の答えをグループごとにすべて書き写します。答えを書き終えたところで、執筆は香元に正解を請い、香元は香包を開いて正解を宣言します。正解は、要素名で「魚、鳩、鳩、女郎花、鳩、魚、女郎花、魚」などと出ますので、執筆はこれを書きとめ、2つずつに区切って「放生方」の正解の名目4つを導き出し、これを香の出の欄に書き記します。次に、「無試十*柱香」の採点方法により「女郎花方」の正解の名目を定めます。
そうして、記録については、出典では「全問正解」の例しか記載されていないため委細がわかりませんので、『香道蘭之園』の「石清水香記」の記載例に基づいてご紹介したいと思います。まず、正解の名目と同じ名目には、大小と2つの合点を掛けます。次に、この組香では、初後の香を区別して聞の名目が配置されているため、名目を構成する要素が1つでも順番通りに当たっていれば得点とする「片当たり」方式が採用されています。そのため、正解と違う名目でも要素ごとに当否を判定し、当たった要素には小さめな点を1つ掛けます。こうして、この組香の点数は、要素の当りごとに1点で、8点満点となります。また、下附は、各自の得点を漢数字で書き記します。
最後に勝負は、各自の得点をグループごとに合算し、得点の多い方が 「勝方」となり、勝方の最高得点者のうち上席の方に香記が授与されます。
昔は、寺社の近くに「亀売り」がいて、客が功徳のために買い取って池に放した亀を、また捕獲して新たな客に売るという商売がありました。今でも東南アジアの仏教国では、放生のための亀屋や鳥屋があります。皆さんもお盆の時期に「石清水香」で「放生会」を催行し、先祖と衆生の霊の安らかならんことを祈ってみてはいかがでしょうか。
私も最近「金魚」を飼い始めました。
「放生」する気はサラサラありませんが・・・
熊本の水源地に似せたアクアリウムの中で立派に育てたいと思っています。
水清み面を知らぬ池の端に飛ぶかのごとく魚棲まいける(921詠)
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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