三月の組香
柳を詠った和歌と漢詩をテーマにした組香です。 和歌と漢詩が散りばめられた賑々しい香記の景色が特徴です。
※ このコラムではフォントがないため「」を「*柱」と表記しています。
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説明 |
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香木は、4種用意します。
要素名は、「青柳(あおやぎ)」「緑水(りょくすい)」「春月(しゅんげつ)」と「春風(しゅんぷう)」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「青柳」と「緑水」は各4包作り、「春月」と「春風」は各3包作ります。(計14包)
「青柳」「緑水」のうち各1包をを試香として焚き出します。(計 2包)
「春月」「春風」の各3包を打ち交ぜて任意に2包引き去ります。(3×2−2=4包)
手元に残った4包に、先ほど試香で焚き残した「青柳」「緑水」の各3包を加えて打ち交ぜます。(4+3+3=10包)
本香は、10炉回ります。
香元は、香炉に添えて「札筒(ふだづつ)」か「折居(おりすえ)」を廻します。
連衆は、焚かれた香を試香と聞き合わせて、「青柳」には「一」、「緑水」には「二」の札を打ち、聞いたことのない香は出た順に「三」「客」の札を1枚打ちます。
執筆は、要素名の当否に見合った「中段の名目」を記載します。(委細後述)
執筆は、3炉ともすべて聞き当てた要素名により「中段の名目」の下に「歌」や「詩」の名目を付記します。(委細後述)
点数は、要素の当りにつき1点となります。
下附は、全問正解には「全」、その他は点数を漢数字で記載します。
執筆は、最初に焚かれた香の要素名によって、香記の前後に詩と歌を振り分けて書き記します。(委細後述)
勝負は、最高得点のうち上席の方 に香記が授与されます。
広瀬川河畔でも柳の大木が、春風に枝を寄らす季節となりました。
豪雪で厳しさを増した冬も過ぎ去り、誕生月ともなりますと次第に陽光も身体も力強くなってまいりました。森羅万象が「緑生」に向かう右肩上がりのこの時期に生まれた幸せを感じます。 私の生まれた時代は、思えば高度成長期の走りで、新しい家電製品や食べ物が出現し、それに対する「欲望」と「希望」をない交ぜにして、前ばかりを見て進んでいた時代でした。そして、その「欲望」も「希望」もおよそ満たされた幸せな時代でした。
そんなことを考えつつ、暖かい日に広瀬川の河畔を散歩しますと、まだ黄緑色の柳が芽吹きはじめ、さやさやと風に揺れているのに気付きます。それが、翌週には若緑となり、 週を重ねるごとに次第に葉が伸び、濃き緑へと繁茂して大きな木陰を作って行きます。こういう機微な変化を感じるのが春先の醍醐味なのですが、4月になれば「桜」が咲いて「柳」を愛でる心にもエンドマークが点ります。思えば、「梅」には「草の花」、「桃」には「菜の花」、「桜」には「柳」というライバルがいて、それぞれが生えたもの勝ちで「春の主役」の座をバトンタッチしているような気がします。「柳」は万葉の昔から春を告げる木 とされて来ました。真打ちの「桜」が咲いて「鄙の錦」の脇役となるまでは、せいぜい「柳」の清々しい樹下の風に吹かれていたいと思います。
今月は、柳の枝が水面を撫でる「青柳香」(あおやぎこう)をご紹介いたしましょう。
「青柳香」は、『外組八十七組之内(第一)』に掲載のある春の組香です。 「春は桜」と相場が決まっていますが、本格的な桜の季節を前に何か春らしい「乙な組香」は無いかと探していたところ、詩歌や名目の景色が「これでもか」と散りばめられた香記が琴線に触れました。同名の組香は、私の蔵書に類例がなく、志野系の「外組」でもありますので相当珍しい組香かと思っておりましたが、ネットを検索してみると、例は少ないものの御家流・志野流問わずに催行されていることがわかりました。このようなことから、今回は『外組八十七組之内』を出典として書き進めて参りたいと思います。
まず、この組香には「証詩」と「証歌」があります。最初は、下附など香記の随所に現れる景色なので「参考の詩歌」として掲載しようと思いましたが、本文を読み進みますと「右、此の 詩歌の意趣により組む所なり」とあり、この組香の文学的支柱を成すものだとわかりました。「証詩」という言葉はあまり一般的ではないのですが、組香創作の基礎となった「漢詩」ですので、ここではそう呼ぶことにいたします。
証詩
「潭心月泛交枝桂 岸口風來混葉蘋」(和漢朗詠集109:菅三品)
これは、「垂柳拂告詩」と呼ばれる有名な詩で、「たんしんにつきうかびて えだをまじふるかつら がんこうにかぜきたりて はにこんずるうきくさ」と読み、意味は「岸の柳の枝が垂れて水面を払う時、淵の中心に月影が映れば、月の桂と枝を交えるようであり、岸の辺りに風が吹けば水上の浮草と葉を交えるようである。」ということでしょう。詠み手の「菅三品(かんさんぼん)」とは、平安時代中期の文人・政治家である菅原文時(ふみとき)で、かの菅原道真の孫です。これは、『和漢朗詠集(巻上)』の「春」の章、「柳」の項に「蘋(うきくさ)」と 題して掲載されています。
証歌
「青柳の糸よりかくる春しもぞ乱れて花はほころびにける」(古今和歌集26 紀貫之)
これは、古今和歌集の詞書に「歌たてまつれとおほせられし時によみてたてまつれる」あるため、時の帝に奉った歌であることが分かります。意味は、「青柳の枝垂れた細枝を糸を撚るように春風が吹き靡かせている。ちょうどそんな春の季節に桜がほころび乱れて咲いて来た。」ということでしょう。この歌の鑑賞の秘訣は、「ほころびを繕う柳の撚り糸が垂れたとき、桜の花がほころびた」という掛詞のような景色の対比です。この歌は『和漢朗詠集110』に先ほどの詩に続いて掲載されており、おそらく作者は『和漢朗詠集』を典拠としてこの組香を創作したのではないかと思います。
次に、この組香の要素名は、「青柳」「緑水」と「春月」「春風」となっています。これは、詩歌の中から選ばれた言葉で、「青柳」は和歌の第 1句からそのまま取られています。「緑水」とは綺麗な水や水草の繁茂した水の流れのことで、これは「垂柳拂告詩」の題から直接連想できますし、詩の景色では「蘋」の浮いている水面と捉えることができます。そして「春月」と「春風」は、詩の言葉を春の景色に派生させて用いられています。この要素名と詩歌の関係は、後々香記の記載方法等でさらに展開されていきます。
続いて、この組香は、香4種、全体香数14包、本香数10炉で構成され、構造は簡単な部類かと思います。まず、「青柳」と「緑水」は4包ずつ作り、「春月」と「春風」は3包ずつ作ります。次に、「青柳」「緑水」のうち各1包を試香として焚き出します。試香が焚き終わった時点で、「春月」「春風」の各3包を打ち交ぜて任意に2包引き去ります。 そして、 手元に残った「春月/春風」の4包に、先ほど試香で焚き残した「青柳」「緑水」の各3包を加えて打ち交ぜ、都合10炉を本香として順に焚き出します。
ここで、この組香の回答方法については、出典に「青柳、緑水の六*柱は試香に合わせ札打つべし。春月、春風は試香なければ、何れなりとも出たる香に三の札を打ち、残りにでたる香に客の札を打つべし」とあり、回答には「十種香札」を使用することが書いてあります。この方式によれば、「青柳」には「一」の札、「緑水」には「二」の札を打ち、客香が複数かつ同数ある「春月」「春風」は、焚かれた要素名に関わらず「最初に出た客香」に「三」の札、「後に出た客香」に「客」の札を打って答えることになります。
本香を焚き出す際に香元は、香炉に添えて「札筒」か「折居」を廻します。連衆は試香に聞き合わせて、最初の香りが「青柳」ならば「一」、「緑水」ならば「二」の札を打ちます。もし、試香で聞いたことがなければ「春月」か「春風」ですので「三」の札を打っ置きます。2炉目でも同じですが、また試香で聞いたことのない別の香りが出た場合は「客」の札を打って答えます。これで、2種の客香と札の番号が紐づけされますので、以降は順番に関わらず、「三」り同香に「三」、「客」の同香に「客」を打って行きます。
そうして、10炉が焚き終わりますと、連衆の答えは「一(青柳)」が3枚、「二(緑水)」が3枚である所は変わりません。一方、「春月」と「春風」は2包の抜き香があるので、「春月(3包)」と「春風(1包)」、「春月(2包)」と「春風(2包)」、「春月(1包)」と「春風(3包)」の3種類の出目があり、これに客香の前後により「三」「客」の札が振り分けられているので、答えは「三(3枚)」と「客(1枚)」、「三(2枚)」と「客(2枚)」、「三(1枚)」と「客(3枚)」の3パターンの札が打たれていることになります。
さて、 本香が焚き終わりましたら、執筆は札盤や折居に仮置きしていた香札を開き、各自の答えをすべて書き写します。答えの記載に当たっては、出典の「青柳香之記」の記載例によれば、打たれた香札の番号のまま「一」「二」「三」「ウ」と「右上、左下…」と千鳥書きで転記しています。これは執筆の省エネと香記の省スペースのためで、その理由は後々分かります。
答えを書き写しが終わりましたら、執筆は香元に正解を請い、香元は香包を開いて正解を宣言します。執筆はこれを聞き、香の出の欄には「柳」「水」「月」「風」のように一文字に省略し、千鳥書きで書き記します。香の出を書き終えましたら、 採点の段になります。執筆は各自の答えを横に見て、まず「柳」が「一」、「水」が「二」と書かれている答えに合点を掛けて 行きます。次に、香の出の欄を見て、「月」と「風」のどちらが先に出ているかを確かめ、例えば「風」が先に出ていれば「風」が「三」、「月」が「ウ」と記載されている答えに合点を掛けます。
合点を振り終えましたら、この組香の最大の特徴である「中段」の記載に入ります。これについて出典では「青柳の香三種通り当れば、聞きの中段に青柳と書き、緑水の香三種通り当れば、同中段に潭心と書く。春月の香、三種、二種、一種にても当れば桂と書き、春風の香、同じく当れば中段に蘋と書く。青柳一*柱も不当りは中段に乱と書き、緑水同断なれば浪と書く。春月同断なれば交と書き、春風同断なれば混と書く」とあり、それぞれの要素名の当否について、複数の名目を各自の解答欄の下に書き記すこととなっています。
出典の記述を要約すると下記のとおりとなります。
要素名 | 条件 | 中段の名目 | 解釈 |
青柳 | 3炉とも全て当った場合 | 青柳 | 青柳の和歌の意趣そのものが表れた。 |
緑水 | 3炉とも全て当った場合 | 潭心 | 水面から淵の底を見通す美しい水の景色が表れた。 |
春月 | 1炉でも当った場合 | 桂 | 水面に映る月の桂が柳と枝を交わすのが見えた。 |
春風 | 1炉でも当った場合 | 蘋 | 水面で触れ合う柳葉と浮草が見えた。 |
青柳 | 3炉とも全て外れた場合 | 乱 | 青柳が乱れ咲いた花に打ち消された。 |
緑水 | 3炉とも全て外れた場合 | 浪 | 水面が波打って何も映らなかった。 |
春月 | 3炉とも全て外れた場合 | 交 | 柳の枝に月の桂が隠されてしまった。 |
春風 | 3炉とも全て外れた場合 | 混 | 柳の葉に紛れて水草が見えなかった。 |
また、出典ではこれに続いて「青柳不残の当りは名目の下に歌と書き、緑水、春月、春風の内、何れなりとも不残当れば詩と書く」ともあり、「中段の名目」の下にさらに「詩」と「歌」の名目が書き加えられることになっています。
要素名 | 条件 | 中段下の名目 |
青柳 | 3炉とも全て当った場合 | 「歌」の1文字 |
緑水 | 3炉とも全て当った場合 | 「詩」の1文字 |
春月 | ||
春風 |
このように、要素名の当否に対するあらゆる名目は、その基礎となった証詩や証歌の景色に帰結して行きます。
この組香の得点は、要素名の当りにつき1点と換算し、客香の当り等に加点要素はありません。また、下附は中段の名目で十分な評点をしているため、全問正解の際は「全」、その他は得点を漢数字 1文字で書き附すのみとなっています。
因みに、全問正解の方の記録のイメージを例示してみますと、名前の下に、答えが千鳥書きで2列5行、その下に中段の名目が「青柳」「潭心」「桂」「蘋」と2列2行、その下に三*柱正解を示す中段下の名目が「詩」「歌」 と2文字1行、そして最終得点を表す「全」が1文字1行・・・。これだけをお1人様2行のスペースに書き込むことになります。そのようなわけで、 執筆は、最初から省エネと省スペースに心がけなければならないというわけです。
さて、 ここまででも、相当に「詩歌の彩り豊かな香記」が出来上がっている筈なのですが、この組香では、さらに、記録の前後に書き記す証詩・証歌についても細かい記載方法が書かれています。曰く「出香の最初に緑水、春月、春風の香いづれば、本香の下に詩を書く。但し、詩春月の香三種出ずれば『潭心月泛交枝桂』と書く。又、春風の香三種出ずれば『岸口風來混葉蘋』と書く、又、春月、春風二種づつ出ずれば、右二句の詩を書くべし。又、青柳はじめに出れば詩を記録の奥に書くなり。 (中略)出香の最初に青柳出ずれば、本香の下に歌を書く」とあります。「本香の下」とは、香の出の欄(正解欄)の下のことで、最初 (1炉目)に焚かれた香が証詩から取った要素名(緑水、春月、春風)であれば詩を書き記すのを基本として、その組香で「春月」が3炉出た場合は『潭心月泛交枝桂』だけ、「春風」が3炉出た場合は『岸口風來混葉蘋』だけを記載し、2炉ずつ出た場合は、『潭心月泛交枝桂 岸口風來混葉蘋』を2行で書き記すことになっています。また、証歌から取った「青柳」が最初に焚かれた場合は、 証歌一首を2行で書き記すこととなっています。
一方、「記録の奥」とは、通常の証歌を書く位置のことで各自の解答欄の左隣です。こちらは、最初に焚かれた香が 証詩から取った要素名であれば、記録の奥には証歌を1行で書き記しますが、証歌が取った「青柳」が最初に焚かれた場合は、記録の奥には 証詩を1行で書き記すこととなっています。
つまりは、最初に焚かれたお香の要素名によって、「本香の下」の「記録の奥」の詩歌が入れ替わり、「本香の下」が 証詩の場合は「記録の奥」には証歌が記載されることとなります。これも難しいので表に示します。
最初に焚かれた香と香記の景色
要素名 | 条件 |
本香の下 |
記録の奥 |
青柳 | 最初に焚かれた場合 | 証歌(2行) | 証詩(1行) |
緑水 | 最初に焚かれた場合 | 証詩(2行) | 証歌(1行) |
春月 | 最初、かつ3包とも焚かれた場合 | 潭心月泛交枝桂(1行) | |
春風 | 最初、かつ3包とも焚かれた場合 | 岸口風來混葉蘋(1行) | |
春月/春風 | どちらかが最初に焚かれ、どちらも2包ずつ焚かれた場合 | 証詩(2行) |
「本香の下」は2行で縦に短く書くのが基本で、「記録の奥」が横幅を取らずに1行で書くのも省スペースのためだと思います。
最後に、勝負は、最高得点者の内、上席の方の勝ちとなります。 個人的には、ここまで香記の景色を脚色すると「くどい」感じもしますが、執筆さん渾身の1枚を受け取られた方は有難みも一入でしょう。
早春のうちに芽吹いた青柳は、桜が咲き「都の錦」がピークを迎える寸前までが主役です。皆さんも「青柳香」で、水面に映る景色と柳葉の語らいにも似た協奏の景色を楽しんでみてはいかがでしょうか。
「銀座の柳」は、最初に街路樹に選ばれた「松」「桜」「楓」が湿地帯に根付かなかったために植え替えられたものだそうです。
全国数多ある「柳町通り」は「〇〇銀座」のように「銀座の柳」にあやかったものかと思っておりましたら ・・・
もともと川端に生えていた柳に由来する地名の方が多いようです。
初音待つ光る川瀬に春風の見ゆるがことき青柳の糸(921詠)
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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