来ぬ人を「いまか、いまか」と待つ女性の気持ちを表す組香です。
当り方によって客香の点数が変化することと多彩な下附が特徴です。
※ このコラムではフォントがないため「」を「*柱」と表記しています。
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説明 |
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香木は4種用意します。
要素名は、「更行鐘(ふけゆくかね)」「別の鶏(わかれ のとり)」と「待宵(まつよい)」「月(つき)」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「更行鐘」「別の鶏」は各4包、「待宵」は3包、「月」は1包作ります。(計12包)
「更行鐘」「別の鶏」のうち各1包を試香として焚き出します。(計2包)
手元に残った「更行鐘」「別の鶏」の各3包に「待宵」3包、「月」1包を加えて打ち交ぜ、順に焚き出します。(計10包)
本香は、 10炉廻ります。
連衆は試香に聞き合わせ、これと思う香札を1枚打って回答します。
※ 本香が焚き終わってから、名乗紙に出た順に10個書き記して回答しても結構です。
この組香の点法は、「待宵」の香が全て当ったかどうかで客香 2種の点数が変化し、その他の要素は当りにつき1点となります。 (委細後述)
各自の得点は、点法にしたがって 、その数だけ名目の右肩に合点を掛けて示します。
下附は、当った要素名の香種の数により、多彩に配置されています。(委細後述)
勝負は、合点を勘定し、最高得点のうち上席の方が勝ちとなります。
空気が澄みわたり青空が高くなる季節となりました。
『香筵雅遊』も おかげさまで開設21周年を迎えることができました。永年にわたります皆様のご愛顧に改めまして感謝申し上げます。 今年、組香の掲載数で「日本新記録」らしきものを叩き出してからは、次のマイルストーンも見つからず、止めようと思っても自然に次の組香を思いついてしまうので、相変わらず「癖」で書き続けています。今後とも、ネットの片隅に閑居しつつ、 相当衰えてきた視力と腕力の続く限り乱文を綴り、お目汚しを続けたいと思っておりますので、よろしくお願い申し上げます。
私は、携帯電話の無い時代の名残から、あらかじめ時間と場所を決めて「約束の15分後に逢えなければ今回は縁が無いと思って下さい。」と附言するというルールを未だに守っています。これは「自分が絶対に遅刻しない」というルールも堅持して成り立つことなのですが、おかげさまで全国の見知らぬネット香友との待ち合わせでも「待つ」というストレスを感じたことはありません。恋人でもない限り、あまり長く待ち、待たせると、もう出逢った時点で何となく「恨みがましいような」「申し訳無いような」気分に苛まれて、お互いぎくしゃくしてしまいますし、それならば「今回は縁が無かった」ということで、サラリと打ち遣り、独りの時間に切り替えて楽しむのも良いような気がします。一方、「携帯ネイティブ」といわれる世代の待ち合わせは、「場所も時間もアバウトにしておいて現地に行ってから電話する」という形が趨勢のようですが、こんなことから「約束」というものの厳格さが、失われているのかもしれません。「約束」と「嘘」は相手が期待し得る事由があるかないかで決まります。「嘘」はついても「約束」は破ってはいけません。今年は、スーパームーンも火星大接近もなかなか予定どおりに 姿を見せてはくれませんでしたが、こればかりは「約束」ではないので致し方ありませんね。さて、名月はどうでしょう。
今月は、「待てど暮らせど来ぬ人を」の「待宵香」(まつよいこう)をご紹介いたしましょう。
「待宵香」は、米川流香道『奥の橘(風)』に掲載のある秋の組香です。同名の組香は『御家流組香集(智)』に も掲載があり、両書は、下附の振り方以外は、ほぼ同様の記述となっています。今回、9月の組香をご紹介するにあたり「月」が要素名に入っているものを探しておりましたところ、この組香と「秋野香」という組香に尋ね当りました。「秋野香」も「花方」と「虫方」の二手に分かれて得失点を競う面白い組香なのですが、要素名に「糸萩」「桔梗」が配置されており、先月の「草花香」と似た感じがするので控え、「秋景色」主体 というよりは、しっとりと艶のある「恋」をテーマにした「待宵香」をご紹介することにしました。このようなわけで、今月は下附の多彩な『奥の橘』を出典、『御家流組香集』を別書として、その記載も交えながらご紹介して参りたいと思います。
まず、この組香の証歌は、出典には記載がありません。しかし、別書には「待宵に更け行く鐘の声聞けばあかぬ別れの鶏はものかは」と記載されており、組香の趣旨からしてこの歌が文学的支柱となっている ことは間違いないと思います。この歌を調べましたとこ「新古今和歌集1191 恋三 小侍従」と記されていました。歌の意味は、「恋人を待つ身で宵が更けて行くことを知らせる鐘の音を聞けば、嫌々別れなければならない朝を告げる鶏の声など物の数に入るだろうか。」ということでしょう。「来るか来ないか・・・否、来るはずのない人を待つ女の身で聞く夜更けの鐘の音の方が、後朝の別れを告げる鶏の声よりはるかに辛いものだ」という心情を詠っています。
詠み手の「小侍従」(生没年未詳)は、家集『小侍従集』なども残した女房三十六歌仙の一人です。彼女は石清水八幡別当大僧都光清の娘で、二条天皇の下に出仕し、天皇崩後は太皇太后多子、高倉天皇にも仕えた優秀な女官でした。歌人としての活躍は宮仕えの後で、数々の歌合などに参加して名歌を残し、 「当節きっての女流歌人」と囃されていたようです。鴨長明『無名抄』には「小侍従ははなやかに、目驚く所よみ据うることの優れたりしなり。中にも歌の返しをする事、誰にも優れたりとぞ」評され 、特に、この歌は発表当初から評判が高く、彼女をして「待宵の小侍従」と言わしめる代表作となりました。 このように、この組香は、「未だ来ぬ人を待ち続けて、不安と期待にジリジリと己の身を焦がすような浅からぬ女の情念」を背景に 待宵の景色が作られています。
次に、この組香の要素名は「更行鐘」「別の鶏」と「待宵」「月」です。「更行鐘」「別の鶏」「待宵」については、証歌の句から採用されています。また「月」は「秋の風物 」であるとともに、「夕月」「宵の月」「有明の月」のように「時刻」を表す要素であると思います。本香での「月」の出方によって「何時頃の想い」というイメージを結ぶことも一興でしょう。また、 ここでいう「宵待」は「人を待つ宵」のことですから、「宵待月」(14日)と限定せずに、そこに現れる月を「望月」「居待」「寝待」「更待」といった「日」を表す要素とも考えて もいいかもしれません。すると、待ちわびる時間軸が長くなり「何日の何時頃の想い」とイメージを広げていくことも心の楽しみとなるでしょう。
さて、この組香の構造は至って簡単です。まず、「更行鐘」「別の鶏」は4包ずつ、「待宵」は3包、「月」は1包作ります。次に「更行鐘」「別の鶏」のうち1包ずつを試香として焚き出します。そうして手元に残った「更行鐘(3包)」「別の鶏(3包)」に「待宵(3包)」と「月(1包)」を加えて打ち交ぜ、都合10包を本香として焚き出します。
ここで、この組香には試香のない客香が「待宵」と「月」の2種類出現することになりますが、香数が3:1なので同香を聞き分ければ自ずと判別が付きます。 しかし、出典では「待宵と月は三の札とウの札無試の如く打つなり」とあり、「札打ち」を指定しています。札打ちとなると、一度打った札は訂正が効きませんので、最初の客香が出た際に「待宵」か「月」かの判別はつきません。敢えて、札打ちで行う際は、「更行鐘」は「一の札」、「別の鶏」は「二の札」として、最初に出た客香に「三の札」を打ち、後に出た客香の異香に「ウの札」を打って、記録の段階でそれが「待宵」であっかた「月」であったかを決めて記載する方法になろうかと思います。この点、別書では、「手記録なり。後開き」とあり、本香が焚き終わった後に数を判別してから回答できるので、こちらの方が執筆も楽ですし催行しやすいと思います。 なお、出典には「此の香、月と待宵をまぎらはしく組べし。」とあり、客香の2つは性質の似た香木を用いることが指定されています。
続いて、本香が焚き出されましたら、連衆は試香と聞き合わせ、これと思う香札を投票します。回答された香札は本香10炉が焚き終わるまで札盤の上に伏せて置いておきます。本香が焚き終わったら、香元は正解を宣言します。執筆はこれを聞き、香の出の欄に要素名を10個縦一行で書き記します。その際出典の「待宵香之記」の記載例では、要素名を「更行鐘」を「鐘」、「別の鶏」を「鶏」と1文字に省略しています。一方、別書は省略せずに左右に段違いに「千鳥書き」して1列に収めています。ついで執筆は仮置きしていた香札を開け、「一の札」は「更行鐘」、「二の札」は「別の鶏」として各自の回答欄に書き記します。「待宵」と「月」については、3枚打たれている札を「待宵」とし、1枚だけのものを「月」として書き記します。
回答欄を書き終えましたら、執筆は当たった要素名に合点を掛けます。この組香の点法はやや複雑です。出典には「待宵三*柱不残当りたる時は待宵二点宛、月三点なり。待宵一*柱にてもはずれれば一点、月二点なり。」とあり、「待宵」が3つとも当れば、それぞれ2点ずつの得点となり、「月」についても3点となる加点要素があります。一方、「待宵」を一つでも間違えれば、あとの当りはそれぞれ1点となり、月も2点しか加 点されません。この「客香」への累進型加点法がこの組香の第1の特徴となっています。なお、「更行鐘」「別の鶏」のような「地の香」は通常通り1点とします。執筆は 、まず「待宵」が全て当っているかどうかを見極め、当たった客香の要素名に所定の合点を掛け てから、地の香に合点を掛けていくと良いでしょう。そうすると全問正解の場合は15点分の合点が掛けられている筈です。
合点を掛け終えましたら、次は下附を書き附して各自の成績を示すのが一般的ですが、この組香の下附は、各自の得点を示さず、特定の言葉で当たり方のパターンを示すこととなっています。これを下表のように整理してみました。
区分 | 要素名 | 下附 | 解 釈 |
香一種 | 鐘のみ当たり | 夢驚(ゆめおどろく) | 「閨冷夢驚」(ねやさむくしてゆめおどろく)から閨(ねや)の冷たさに夢から醒めること |
鶏 〃 | 寝覚(ねざめ) | 鶏の声で眠りから目がさめること | |
待宵 〃 | 待宵(まつよい) | 来るはずの人を待つ宵のこと | |
月 〃 | 眺望(ちょうぼう) | 人待ち顔で月影を追って遠くを見わたすこと | |
香二種 | 鐘と鶏のみ当たり | 衣々(きぬぎぬ) | 二人の衣服を重ね掛けて共寝をした男女が、翌朝各々の衣服を着て別れること⇒「後朝」の当て字か。 |
鐘と待宵 〃 | 名所(めいしょ) | 梵鐘の名所⇒人を待つならば大津市の「園城寺(三井寺:日本三大名鐘)」あたりか。 | |
鐘と月 〃 | 霜夜(しもよ) | 霜の降りる寒い夜のこと。⇒「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の 身もこがれつつ (百人一首97:定家)」の連想か。 | |
鶏と待宵 〃 | 返衣(ころもをかえす) | 夜の衣を裏返して着て寝ると夢で恋しい人に会えるという。 | |
鶏と月 〃 | 端居(はしい) | 家の端近くまで出ること。⇒門口まで出て人を待つ景色か。 | |
月と待宵 〃 | 兼言(かねごと) | 前もって言っておいた約束の言葉。 | |
香三種 | 香三種が当たり | 手枕(たまくら) | 腕枕をして眠ること。⇒ここでは独り寝ではなく供寝か。 |
香四種 | 香四種が当たり | 狭衣(さごろも) | 着物のこと。⇒万葉集から「緒を解く」を連想させるものか。 |
皆 | 全問正解 | 侍従(じじゅう) | 高貴な人に付き従い身の回りの世話などをする者⇒「待宵の小侍従」自身に帰結か。 |
無 | 全問不正解 | 恨(うらみ) | 来ぬ人の仕打ちを不満に思って憤り憎むこと |
このように「待宵」の夜に去来する心の機微や景色を彷彿とさせる下附が配置され、香記の景色を彩ることとなります。 下附の配置については、1種類または2種類のみの聞き当てについては、要素名の組合せそれぞれに下附が割り振られており、3種類となるとどんな要素の組み合わせでも同じ「手枕」となります。その上で全ての香種が当たっている「狭衣」(4種類)と「侍従」(皆)があり、反対に全ての香種が外れている「恨」(無)の下附が定められていると覚えておくとよいでしょう。執筆は、まず「何種類聞き当てているか」を最初に判別し、 2種類以下だった場合は、「どの要素名の組合せか」を確かめて下附すると良いでしょう。この多彩で割り当てるのに難解な下附がこの組香の第二の特徴と言えましょう。
最後に、繰り返しになりますが、この組香の下附は各自の香種の当りパターンを表すだけで、得点を表すものではありません。例えば「別の鶏」の1種が1つ当たっても(1点)、3つ当たっても(3点)下附は「寝覚」となりますし、「更行鐘」と「待宵」の2種が1つずつ当たっても(2点)、3つずつ当たっても(6点)「名所」が下附されます。「狭衣」に至っては4種類の当りですので最低5点から最高13点までの幅があります。 このように、各自の回答欄に掛けられた合点の数を比べて、勝負は最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。
もし万が一、「恋焦がれて毎夜『お通い』を待つ人などおりません。」という方は、是非、端居しながら「お月様」のお出でをお待ちになってはいかがでしょうか。それでも、「秋の夜風が身に沁みる」という方は、「待宵香」で埋火となった情念の炎をもう一度思い出してみてはいかがでしょうか。( ◠‿◠ )
友達の中には5分前着、2時間待ちまでは許容という人もいますが・・・
「逢えなければ帰れない」という程の「思い焦がれ」を生涯で一度感じてみたいですね。
初彼岸紅き花道来ぬままに旅せし人の影ぞ恋しき(921詠)
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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