歌合での小野小町と大伴黒主の盗作論争をテーマとした組香です。
連衆が各々香木を持ち寄って「客香」とするところが特徴です。
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説明 |
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亭主は、香木を3
この組香では、連衆が各自1包ずつ香木を持ち寄り、そのうち1包が「客」(4種目)となります。
要素名は、「一」「二」「三」と「客」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「一」「二」「三」は各4包作ります。(計12包)
「一」「二」「三」のうち、1包を試香として焚き出します。(計3包)
手元に残った「一」「二」「 三」の各3包を打ち交ぜて、順に焚き出します。(計9包)
本香はA段は、 全部で9炉廻ります。
回答には香札を使用するため、香元は香炉に「 札筒(ふだづつ)」か「折居(おりすえ)」を添えて廻します。
連衆は、試香に聞き合わせて、これと思う要素名の書かれた香札を 1枚打ちます。
執筆は、返ってきた札筒や折居を開き、香札を「札盤(ふだばん)」の上に伏せて仮置きします。
続いて、香元は連衆が持ち寄った香包の中から1包を任意に引き去って「客」として焚き出します。(X−1= 1包)
本香はB段は、 1炉だけ廻ります。
この組香の点数は、A段は要素名の当りにつき1点ですが、B段は香の出と当否によって異なります。(委細後述)
執筆は、当りには得点の数だけ「合点」を掛け、B段の外れには所定の「星」を打ちます。
この組香に下附はなく、点と星の数で成績を表します。
勝負は、最高得点のうち上席の方の勝ちとなります。
木枯らしが吹くたび路に紅葉の降り敷く季節となりました。
国内、海外の映画賞を数々受賞し、今年の6月から凱旋上映されて、人気を博している映画『カメラを止めるな!』は、無名の新人監督と俳優たちが、たった300万円の低予算で10億円の興行収入を上げ、今や自主映画のレジェンドとなっています。ところが、人気がピークを迎えた9月頃に、今は解散している小劇団の演出が、自分が過去に興行した芝居と映画のストーリー構成が酷似していると「盗作」を訴えて話題になりました。映画監督は、この小劇団の舞台を見たことがあり、そこから着想したことを認めていますが、それは「インスピレーション」を得ただけであり、映画自体は自分が脚本を考えて編集したオリジナル作品であると反論しました。芝居を長くやっていますと「このシーンはどこかで見たな。BGMまで一緒だなぁ」なんていうことは良くあります。まぁ、河原乞食の世界では、 「金に困った者が金を得た者にタカリにかかる」というのは日常茶飯事なのですが、映画が有名になりすぎて「多勢に無勢の論争」みたいになり、盗作訴訟の顛末が有耶無耶のままになったのは気になるところです。
一方、和歌の世界では、最初から「本歌取り」という手法があって、有名な歌の景色に寄せた派生歌がたくさん生まれます。また、「枕言葉」などは5句のうち2句を凡そ規定してしまいますので、似た歌にならざるを得ないというところもあります。「和歌に盗作なし」というところでしょうか。形式を重んじれば詠み易いですが新味がなくどこかで聞いたような歌になりますし、奇をてらい過ぎると景色がバタバタとして落ち着かなくなる嫌いもあります。おそらく三十一文字という限られた世界で、全く新しい和歌を詠むことは難しくなり、そ の地平線上に近代の「短歌」が産まれたのかもしれません。私は歌詠みの際、敢えて古歌で見たような句を加え、ノスタルジーを醸し出したり、古歌の景色を連想させて自分の歌の借景としてしまうという技法を使うこともあります。古歌は、歌詠みの鏡(模範)・・・古歌を知らずして和歌を詠むことはできませんね。
今月は、歌会での争訟問題「歌争香」 (うたあらそいこう)をご紹介しましょう。
「歌争香」は、聞香秘録の『香道菊の園(全)』に掲載のある組香です。同名の組香は『外組八十七組之内(第五)』に も掲載があり、その記載内容は、ほぼ同様となっています。一見、平成22年7月にご紹介いたしました「歌合香」と見間違いそうですが、「歌合香」は5種組で、連衆が「左方」「右方」に別れ、それぞれに割り当てられた「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を聞き当てて歌を結ぶ組香でした。今月ご紹介する組香が何故「歌争い」と穏やかならぬ名前がついているかは、解釈を進める上で解き明かされ「なるほど !」と納得した次第です。今回は、そのプロセスを皆様にご紹介するため、記述の古い『香道菊の園』を出典、『外組八十七組之内』を別書として書き進めたいと思います。
まず、この組香には証歌があり、本文末尾に2首記載されています。
以下、2つの証歌を解説していきます。
「鏡山いざ立ちよりてみてゆかん年へぬる身は老いやしぬると(古今和歌集899 詠み人知らず)」
「蒔かなくに何を種とて浮き草の浪の畝々生い茂るらん(謡曲『草子洗小町』小野小町)」
このように、組香の景色を支える証歌が2種あるところが この組香の第一の特徴となっています。
一つ目の「鏡山・・・」の歌の 意味は、「鏡山に立ち寄って確認していこう。年を経た我が身が、どれだけ老いてしまっているかと。」ということでしょう。この歌には、老いを認め、老いと正面から向き合って行こうとする 趣我が心根と通ずるものがあり、今月の組香 を探索する段階で私の琴線に触れタというわけです。
「鏡山」は近江国(滋賀県)の歌枕で、滋賀県蒲生郡竜王町と野洲郡野洲町の境にあり、「鏡神社」が鎮座する標高384.8mの山です。古来、「鏡」の名前に因んで 、山を鏡に見立てた和歌が詠まれています。
詠み人について、『古今和歌集』には「題知らず、詠み人知らず」と掲載されていますが、「この歌は、ある人のいはく、大伴黒主がなり」(一説にはこの歌の作者は大伴黒主だと言われている)という左注がついており、大伴黒主が近江の豪族だったこともこの説を裏付ける材料となっています。それを反映したように『古今集仮名序』の六歌仙評には、「大伴黒主」作として挙げられており、後世 の書物は「黒主作」として取り扱っていることも多くなっています。
なお、出典では末尾の句が「老やしぬらん」とありますが、原典や別書の記述に合わせて「老いやしぬると」に修正しています。
2つ目の「蒔かなくに ・・・」の和歌は、古歌に典拠は見いだせなかったのですが、謡曲『草子洗小町』(そうしあらいこまち)の中で小野小町が詠んだ歌として残されています。意味は、「種を撒きもしないのに、何を種として浮草は、波のまにまに生い茂っているのであろうか」ということでしょう。私は「浮き草」から の「草」つながりで「深草少将」を思い浮かべてしまいました。「種もまかないのに生い茂る」とは、彼の愛を鬱陶しく思い、「百夜通い」を言い渡す前の 小町の心象かとも思えます。
そして、 この歌の出典となる謡曲『草子洗小町』を読み通したところで、この組香が「歌争香」となるにふさわしい訳が分かりました。
以下に『草子洗小町』のあらすじを記します。
或る時、宮中で「歌合」が開催されることとなり、大伴黒主もこれに招待されました。黒主の相手は小野小町と決まりましたが、黒主は 「彼女にはとてもかなうまい」と思いました。 そこで、歌合の前日にこっそり小町の邸宅に忍び込み、小町が明日の歌会で、歌題『水辺の草』に因んで「まかなくに・・・」の歌を詠むことを聞きつけます。 翌日、内裏での歌合は小野小町、大伴黒主、凡河内躬恒、壬生忠岑など、有名な歌人が参加し紀貫之が歌を詠みあげました。 貫之が、小町の「まかなくに」の歌を詠みあげ、帝が感じ入って皆に吟詠を命じたところ、大伴黒主が「畏れながら、その歌は古歌にございます!」と割って入り「主上の御前にて、古歌を盗んで詠むとは不届き千万!」と続けました。 小町は、驚いて「今の歌を古歌と仰せられるのは、『古今集』か『万葉集』でございましょうか。それとも誰かの家集でしょうか。」と問い返します。 黒主は「草子は『万葉集』、題は夏、詠み人知らずと書いてあります。」と言って、持参の『万葉集』を差し出しますと…確かにそこには、小町の詠んだ歌が書いてありました。万葉集の歌七千首を諳んじていた小町は目を疑いました。 それもそのはず、黒主は、昨日、盗み聞きした歌を、自分の万葉集の草子に、新たに書き込んで持参したのでした。 歌合に陪席していた左大臣、右大臣はじめ女房たちも小町の方を見て、ざわつき始めた時、小町は、『万葉集』に書かれたこの歌の部分だけ、行が乱れ、墨の色も違うことに気づき、紀貫之に「草子を水で洗ってみて欲しい」と申し出ました。 帝の許しもあり、この草紙を洗ってみると、数々の歌は少しも乱れず、浮草の歌だけが一字も残らず消えてしまいました。 姦計が暴露された黒主は、恥じて自害しようと罷り(まかり)立とうとするところを小町が引き止めて「和歌の道を嗜む者は、これくらい熱心でなければなりません。私もあなたも同じく和歌の友ではありませんか」と言いました。 そこで、帝も黒主を許し、「座に直れ」と勅諚があり、小町は皆の前でひとさし舞って、歌合はめでたくお開きになりました。 |
この謡曲『草子洗小町』で催された歌合は架空のものであり、登場人物を含めて全体的に史実には基づかない脚本ではありますが、単なる「歌比べ」が「席中の争い」にまで発展したというエピソードが、この組香の題号「歌争香」の発想の端緒となったことは間違いありません。
この二人にについて、 紀貫之が著した『古今和歌集』仮名序には、小町は「いにしへの衣通姫の流なり。あはれなるやうにてつよからず。いはばよき女のなやめる所あるに似たり。つよからぬは女の歌なればなるべし」と好意的に評されているのに比べて、黒主は「そのさまいやし。いはば薪を負へる山人の花の陰にやすめるが如し」と酷評されているところも対照的です。
次に、この組香のA段の要素名は「一」「二」「三」と匿名化されています。これは、この組香が総体として「有試十*柱香」のような形式を取るためで、A段では、「三枝 九葉一花」の「枝葉」の部分にあたる香を聞き当てるための素材として扱われています。一方、B段は「花」の部分にあたり、最後に現れる主役として取り扱われています。B段で焚き出される「客香」について、出典には「連中、一*柱づつ古歌の五文字を名として出すなり。是、客香なり。 」「何れも香包奥に銘を見えざるように書付べし。香元、請取、打交、何れにても手にまかせ一包取て*柱き出す。残りはそのまま置くべし」とあり、連衆が 古歌の一句に因んで名付けた香を各々持ち寄り、集まった香木の中から一包を抽出して「客香」として使用することが記載されています。これは、 持参した香木を自分で詠む歌になぞられて、歌合の雰囲気を醸し出すとともに、「客が持参した香を客香とする」という古来の作法を踏襲しています。このことは現代では珍しいことなので、この組香の第二の特徴としておきましょう。
さて、この組香の香種は4種、全体香数13香、本香数10包となっていますが、前述のとおり「連衆が持ち寄る香は、出席人数による」ということになります。構造は至って単純で、本香A段は亭主が「一」「二」「三」を4包ずつ作り、このうち1包ずつを試香として焚き出します。次に、手元に残った「一」「二」「三」の各3包を打ち交ぜて、都合9包を順次焚き出します。本香B段は、 前述のとおり、連衆が持ち寄った香木の中から1包を引き去って焚き出すことになります。本香B段については1包のみ焚き出しますので、組香全体で3×3+1=10包となり 「三枝九葉一花」が成立します。
因みに、「客香」について、出典には「客が各々隠しに銘を書いて持ち寄った香木から一包抽出して焚き出す」とありますが、各自が古歌の銘に因んだ趣向を凝らした香包で持ち寄られてはバレバレになります ので、公正を期すように抽出する方法にひと工夫が必要かと思います。1つには「兼書」という招待状に香包の用紙を添えて送る方法が正当かと思います。 こうしておけば、当日は同封された香包に規格通り香木が納められていますので、香包の姿形から誰が持参したものが察しが付くことはありません。また、別の方法では、「香拵え」のように本席前に香木を集めて 、勝手で本香包に入れ替えて持ち出す方法もありますが、香道本来の「種も仕掛けもありません」という手前にならないところが弱点です。
この組香の回答方法は、2段構えとなっています。本香A段について出典では「聞きよふ 、本香九包は試に思い合せ札打つべし」とあり、連衆は試香に聞き合わせて、出された順にこれと思う要素名の書かれた香札を打ちます。A段は既知の香だけですので「札打ち方式」にして少し難度を上げているのかもしれません。香元は手前の際にあらかじめ「十種香札」を配布して おき、香炉に添えて「札筒」か「折居」を廻します。一方、本香B段については、出典に「我香と思はば『まかなくに』と書付て出す。他の香と思はば『鏡山』と名乗紙へ書付出べし。」とあり、焚き出された香が自分の持参した香であれば「まかなくに」と、他人が持参した香と聞けば「鏡山」と名乗紙に書き付けて提出することになります。このために香元は名乗紙も事前に廻しておくことになります。連衆は「A段を香札で、B段を名乗紙で回答する」と覚えておきましょう。
本香が焚き終わり、名乗紙が返って参りましたら、執筆は仮置きしていた「香札」と「名乗紙」を開け、連衆の答えを全て書き写します。答えを写し終えましたら香元に正解を請い、香元が香包を開いて正解を宣言します。記録について出典では「本香九包は十*柱香のごとく認むべし。連中出合し香は聞の下に書付べし」とあり、A段は要素名を出た順に縦一列で記載し、B段はその下に書き記します。香の出の欄も同じように書き記し、当たった要素名に点・星を掛けていきます。
この組香の点法について、A段については、要素の当りに付き1点を要素の右肩に掛けます。B段については、「我香を聞き当たるは三点かける。他香を我と思ひ違たるは星一つ付る。我香を他の香と聞き違えたるは星三つ付る。他の香を他の香と聞きたるは一点かけるなり」とあり、自分の持参した香が出て、それをちゃんと聞き当てた場合は3点、他人の持参した香を自分のものではないと聞き当てた場合は1点、他人の香を自分の香だと聞き違えた場合はマイナス1点、自分の香を他人の香と聞き違えた場合はマイナス3点となっており、 「自分の香であるか無いかの判別」を中心に得失点が設けられています。これは、自分の詠じた歌を正しく聞き分けられなければ歌詠みとしてふさわしくないので、過怠の星を付けるという趣向でしょう。なお、 B段の得失点については、「歌争香之記」の記載例に、得点は右肩に得点の数だけ「合点」を掛け、失点は左肩に「星」を掛けるように記載されています。
この組香の下附について、出典の「歌争香之記」の記載例には記載がなく、点・星の数のみが成績を表すようになっていますが、別書の記載例では、B段の答えの下に下附があり、全問正解は「全」、その他は点数を漢数字1文字で書き附し、星は点数の横に「星一」のように並記されていますので、参考としてください。
最後に勝負は、各自の得失点を差し引きして、最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。
平安の雅人は命がけで教養を身に着け、披露の場で競ったと言います。雅の筵に「争いごと」は持ち込みたくありませんが、能舞台の上のフィクションですので、皆様も「歌争香」で歌合の大激闘を演じてみてはいかがでしょうか?
六歌仙の中で黒主だけが『百人一首』に歌が掲載されていないことは有名です。
紀貫之には認められ、藤原定家には認められなかったのは・・・
単に美意識の違いというよりも「出自」に因縁があったようです。
鏡山我を映さば白峯の散り残したる紅葉にあらなむ(921詠)
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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