『古今和歌集』仮名序に掲載された歌人をモチーフにした組香です。
前段と後段で要素名の用途の変わるところが特徴です。
※このコラムではフォントがないため「
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説明 |
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香木は、4種用意します。
要素名は、「一」「二」「三」と「ウ」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「一」「二」「三」は各3包、「ウ」は1包作ります。(計13包)
「一」「二」「三」各3包のうち、1包ずつを引き去ります。(−1³=3包)
残った「一」「二」「三」の各2包を打ち交ぜて任意に1包引き去ります。(2×3−1=5包)
引き去った「一」「二」「三」各1包に、前項6.で引き去った1包を加えて打ち交ぜます。(3+1=4包)
本香A段は、この4香を2包ずつ2組(「柿本の香」、「山辺の香」)に分けて4炉焚き出します。
連衆は、4炉のうち、同香が出た炉順だけを判別し、所定の「歌の句」で回答します。(委細後述)
本香B段は、6.で残った「一」「二」「三」の5包に「ウ」1包を加えて打ち交ぜ、6炉焚き出します。
連衆は、いままで一度も聞いたことのない「ウ」が出た炉順を判別し、所定の「歌」で回答します。(委細後述)
点数は、A段の片当たりには0.5点、諸当たりは各1点(計2点)、B段の当たりは1点とし、独聞(ひとりぎき)はそれぞれ2点と加算します。
下附は、A段の片当たりには「一聖」、諸当たりは「二聖」、B段の当たりには「歌仙」と書き附します。
勝負は、最高得点者のうち、上席の方の勝ちとなります。
冬枯れの街路樹に毎夜花咲く季節となりました。
令和元年の暮れも押し迫ってまいりました。皆様にとって「新しき御代」はどのようなものとなったでしょうか?
私といたしましては、6月に「今月の組香」が250組目を迎えたため、「ここで勝手に超えたと思っている日本記録更新後の一里塚を置こう」と決め、9月に『組香百景(×2.5)』をリリースいたしました。その後、「残る余生は溜めた置いた香書の読み解きに専念するか?」という選択肢もあり、「今月の組香」はキリの良い年末(256組)で打ち止めにしようかと真剣に悩んだものです。寿命や目や手の衰えが不可避であることについては、すでに織り込み済みですが、いつ訪れるかもしれない老々介護も現実味を帯びており、「なるべく元気で手の空いている内に成すべきことは成したい。」という気持ちに駆られていました。
そんな折も折、インターネットの世界にデビューを遂げた「香文化」というサイトに出会い、香書の翻刻が着々と 行われ公開されていることに気づきました。見れば、運営者は判然としないものの「翠川先生の香書研究会」「香書に親しむ会」「ビューティーサイエンス学会」などの懐かしい団体名もあり、「連翹舎香文化研究会」が間違いなく、私と同じ意識を持った東京の志士の集まりであることがわかりました。中には、私もすでに翻刻しているものが複数ありましたが、それもそのはず、その多くは翠川文子先生にコピーをいただいた資料に基づくものだったからです。
そのことで、「400年来の香文化を未来につなぐ」といった私の肩の荷が一気に軽くなりました。もとより多勢(東京)に無勢(仙台)ですし、1つの目より多数の目で見た方が 翻刻の確度も高いと思います。また、お互いに手間暇かけて重複があるのも効率が悪いので、香書翻刻のメインルートはそちらにお譲りすることとしました。
そのようなわけで、「今月の組香」はいままでどおり連載を続けることとして、香書の翻刻は期限を意識せずに進めることにしました。ただし、これからは良き前例もできましたことから、私も翻刻できたものから公開して行こうと思っています。来年は「香書目録」のグレードアップに乞うご期待です。
今月は、やまとうたの歌詠み上手「二聖歌仙香」(にせいかせんこう)をご紹介いたしましょう。
「二聖歌仙香」は、米川流『奥の橘(風)』に掲載のある組香です。この組香は用いられている和歌の景色が四季に通じており、特定の季節感なく催行できまる「雑組」と分類して良いでしょう。「歌仙」といえば、平成21年5月に「六歌仙香」という「香の陰陽」を用いた珍しい組香をご紹介していますが、こちらの組香もなかなか珍しい趣向に富んでおり、それにも増して賑やかな香記の景色が琴線に触れました。今回は他に類例もないため『奥の橘』を出典として、皆さんの「歳暮の聞き納め」にふさわしい「歌詠みの香」をご紹介することといたしま しょう。
まず、この組香に証歌はありませんので、趣旨を理解するために題号に解釈を加えたいと思います。「二聖」とは、二人の聖人という意味で、古くは、紀元前の中国「周」の「文王と武王」や「周公と孔子」から端を発していますが、ここでいう「二聖」とは「二人の歌聖」という意味で「柿本人麻呂」と「山部赤人」を指しています。二人は『古今集和歌集』仮名序の中で「かきのもとの人まろなむうたのひじりなりける。(中略)また、山のへのあか人といふ人ありけり。うたにあやしうたへなりけり。人まろはあか人がかみにたゝむことかたく、あか人はひとまろがしもにたゝむことかたくなむありける。」と紀貫之に評され「歌の 聖」とされました。その後人麻呂は、その画像を祭って歌道の精進を祈念する「人麻呂影供(ひとまろえいぐ)」という儀式の普及によって、「歌の聖」から「歌の神」へと昇格していきます。
一方、「歌仙」とは、優れた歌人のことで、同じく『古今和歌集』の仮名序で「僧正遍昭」「在原業平」「文屋康秀」「喜撰法師」「小野小町」「大伴黒主」の6名の歌人を 挙げ、歌風を批評してから「六歌仙」と言われるようになりました。その後も、藤原公任の『三十六人撰』に掲載されている平安時代の和歌の名人36人を「三十六歌仙」と呼ぶようになり、 「中古三十六歌仙」や「女房三十六歌仙」など、近世に至まで様々な「歌仙」が選ばれていますが、ここでいう「歌仙」とは「六歌仙」の6名を指しています。このように、この組香は、柿本人麻呂と山部赤人の「二聖」と僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主の「六歌仙」の計8名の詠んだ和歌を景色に散りばめて、聞き当てを行う趣向となっています。
次に、出典の香組の段には「無試十*柱香の如し」とあ るだけで要素名も香数も明記されていませんが、本文の記述から、構造は全く異なるにも関わらず、「一(3包)」「二(3包)」「三(3包)」「ウ(1包)」で組んであることが分かります。要素名が匿名化されているのは、後 に答えを導くための素材として扱われているためであり、これが和歌の景色に昇華していくことになります。ただし、「一」「二」「三」については、段組の前後で使われ方が異なり、A段では聞き当てのための素材として用いられますが、B段では「ウ」を聞き当て辛くするための素材へと変化します。このように、組香の前後で要素の用途 が異なるところは、この組香の最大の特徴と言えましょう。
さて、この組香は「無試十*柱香の如し」で、香種は4種、全体香数・本香数ともに10包となっていますが、香数構造は至って複雑です。これについて出典には「本香一、二、三、一包宛三包除き置き、後の一、二、三、六包を打ち交ぜ一包取りて、始め除きたる三包を入れ、残り五包へウを加入し、六包打ち交ぜ、左の方に置き、初めの四包を打ち交ぜ、二包宛二段に分けて焚き出す。これを『柿本』『山辺』の二聖の香といふなり。(中略)後の六*柱は、ウを初炉とおもへば『蓮葉』の歌を認める…(下略)」とあり、これを口語訳しても、即座には理解いただけないと思いましたので、箇条書きにします。
@ 「一」「二」「三」は各3包、「ウ」は1包作ります。
香組については、出典に「この香手記録なればあたり安きは興少なし。組かた考え、似かよひたる香組むべし」とありますので、出香者は、似たような香気を持つ香木を選ぶことが肝心です。
A 「一」「二」「三」各3包のうち、1包ずつを引き去ります。(−1³=3包)
B 残った「一」「二」「三」各2包を打ち交ぜて任意に1包引き去ります。(2×3−1=5)
C 引き去った「一」「二」「三」各1包にAで引き去った1包を加えて打ち交ぜます。
これにより、本香A段には、必ずどれか1種が2つ出るようになっています。(3+1=4)
そうして、本香A段は4香を2包ずつ「柿本の香」、「山辺の香」の2組に分けて4炉焚き出します。香元は、出香の際「柿本の1炉」「柿本の2炉」、「山辺の1炉」「山辺の2炉」と宣言して廻すと良いでしょう。
本香A段が焚き出されましたら、連衆はどの要素が焚かれているかはわかりませんので、4つの香のうち 「同香」が出た炉順だけを判別します。答えは、出典に「初炉と二炉同香と聞かば人丸の歌一首を認るなり。初炉と三炉同香と嗅ば人丸の上の句、赤人の上の句を認め出す。又、二炉と三炉同香と聞かば人丸の下の句、赤人の上の句と順に認めて出すべし」とあり、本香A段の「柿本の1炉」(初炉)は人麻呂の上の句、「柿本の2炉」(2炉)は下の句、「山辺の1炉」(3炉)は赤人の上の句、「山辺の2炉」(4炉)は下の句と対応させることが書いてあります。なお、出典には「三炉と四炉同香 ・・・」について記載がありませんが、流れから察して「赤人の歌一首」を記載すべきかと思います。
続いて、本香B段は、Bで残った「一」「二」「三」の5包に「ウ」を加えて打ち交ぜて6炉焚き出します。
連衆は、今回もどの香が焚かれているかはわかりませんが、 本香A段で少なくとも「一」「二」「三」は一度聞いているため、「一度も聞いたことのない香り」⇒「ウ」の出た炉順を判別します。ここで焚き出される「一」「二」「三」は、「ウ」を聞き惑わせるために邪魔する「星合香」の「仇星」のような役目を負っています。
そうして、本香B段の答えは、「ウ」が1炉目に出たと思えば「蓮葉の…(遍照)」、2炉目に出れば「大かたの…(業平)」、3炉目「我がいほは…(喜撰)」、4炉目「吹くからに…(康秀)」、5炉目「色見えで…(小町)」、6炉目「かがみ山…(黒主)」の歌を書き記して回答することが記載されており、ここで初めて出典は「これを六歌仙といふ」と書き結んでいます。
連衆の答えに使用される和歌は下記の通り、『古今和歌集』の仮名序に引用された和歌が列挙されています。
人丸(出典まま⇒人麻呂)
梅の花それとも見えす久方のあまきる雪のなへてふれれは(古今和歌集334)
「梅の花、どれがそれだか見分けがつかない、(久方の)天空を白く曇らせて、雪が一面に降っているので。」
『古今和歌集』本文には「この歌は、ある人のいはく、柿本人まろか歌なり よみ人しらす」との左注がありますが、仮名序では、「ひとまろ」の歌とされています。因みに「あまきる」は、「天霧る」と書き雲や霧などのために空が曇ることを言います。
赤人
春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける(万葉集8-1424)
「春の野に菫を摘みにやって来た私は、その野に心引かれ、とうとう一夜を過ごしてしまったよ。」
遍照
はちす葉のにごりにしまぬ心もてなにかは露を玉とあざむく(古今和歌集165)
「蓮は、濁った泥水にあっても染まらぬ(清い)心を以って、なぜ露を玉と欺いて見せるのか。」
業平
おほかたは月をもめでじこれぞこのつもれば人の老いとなるもの(古今和歌集879)
「おおまかに言えば、月をも愛でる気がしない、これはつまり、この月というものこそが、積もり積もって人の老いにつながるものなのだから。」
喜撰
わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり(古今和歌集983)
「私の庵は都の東南に(遠く離れた山の中で)このように住んでいる。世の人々は(その山を私が俗世を憂いて入った)『宇治山』(憂し山)と呼んでいる。」
康秀
吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしと言ふらむ(古今和歌集249)
「それが吹けばたちまち秋の草木が萎れてしまうので、なるほど山から吹き下ろす風を『あらし』と言うのだろう。」
小町
色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける(古今和歌集797)
「(普通の花ならば色は目に見えて変化するものなのに)色にはっきりとは見えずにうつろうものは、世の中の人の心に咲く花だったのですね」
黒主
鏡山いざたちよりて見てゆかむ年へぬる身は老いやしぬると(古今和歌集899)
「さあ(その名の通り鏡に映すという)鏡山に立ち寄って見て行こう。年を重ねた我が身は老いただろうかと。」
『古今和歌集』本文には「この歌は、ある人の曰く、大伴黒主が也。」との左注がありますが、仮名序では、「くろぬし」の歌とされています。
本香が焚き終わりましたら、連衆は、名乗紙に答えを書く段となりますが、小さな名乗紙に和歌2首分を全部書くのも大変ですし、執筆も見づらいかもしれませんので、A段では、答えとなる句の上の句(5文字)と下の句(7文字)、B段では、答えとなる和歌の第一句(5文字)のみを書き記す便法も必要かもしれません。ここは当座のルールでお決めください。
連衆が答えを書き記し、名乗紙が戻って参りましたら、執筆はこれを開けて香記に全員分の答えを書き記します。 こちらは省略がきかないので、大変な作業となります。書き方については、出典の「二聖歌仙香之記」の記載例によれば、A段の答えは名乗の下、香記の上半分に2行に書き、B段の答えは、上の句を3句は3行、下の句2句は適当に3行に分けて、その下の段に書き記されています。
執筆が、答えを全て写し終えましたら、香元に正解を請います。香元は、それを受けて香包を開いて正解を宣言します。執筆はこれを聞いて、香の出の欄に要素名をそのまま書き記します。その際、A段の香の出は、「柿本の香」と「山辺の香」を2行2列に縦並びで段差を付けずに書き記します。一方、B段 の香の出は、3行2列に縦並びで段差を付けて書き記します。少し難解ですので図示します。
名乗
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二聖歌仙香之記 | |||||||
野をなつかしみ一夜寝にける |
梅の花それとも見えす久方の |
三B 一C |
一@ 二A |
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世の中の |
うつろふものは |
色見えで |
三D |
二B
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一@ |
香 組 |
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ありける |
花にぞ |
人の心の |
三E |
ウC
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二A | |||
香の出を書き終えたところで、執筆は当否を定め当りに合点を掛けます。これについて出典では「二聖六歌仙ともに中りは長点一点宛、独聞二点なり。一聖ばかり当りは傍点にかくるなり。」とあり、A段は同香を二つとも聞き当てていれば、各行の第一句に長点を掛けます(2点)。連衆の中で唯一人当っていれば各々2点を掛けます(4点)。また、同香を聞き当てていなくとも書き記された句の一方が当たっていれば短く傍点を掛けます(0.5点換算)。一方、B段は、当った第一句に長点を掛け、独聞の場合は2点を掛けます。こうすると、最高得点は、独聞かつ全問正解の6点となります。
この組香の下附は、出典に「二聖、六歌仙とも当たれば下へ二聖、六歌仙と書くなり。二聖ばかり当りは二聖と書き、歌仙当りは歌仙と書く。一聖ばかりは一聖と書く。無は読人しらずと書くなり。」とあり、各自の得点表示はありません。A段で長点が2本掛けられれば「二聖」、傍点1本ならば「一聖」、B段の当たりは「歌仙」と下附することとされています。一方、A段・B段ともに外れた場合は「読人不知」と下附します。「一聖」については、同香を聞 いておらず「たまたま上・下に書いた句の一方が当たっただけ」のような気がしますが、このようなラッキーポイントも香記の景色というものでしょう。
最後に勝負は、最高得点者のうち、上席の方の勝ちとなります。出典の香記には傍点も短くは記載されておらず「傍点を正点の半分にする」とも明記されてはいないのですが、下附だけですと「一聖」と「歌仙」の拮抗があった場合、全く聞き当ててはいない「一聖」とウ香を聞き当てた「歌仙」が同 じ1点というのはおかしいので、「一聖」の傍点は短く掛け、点数は0.5点と換算すべきかと思います。
なお、出典本文の最後には「此の香一説に敷嶌十*柱香とも云うなり。」と結んであります。「敷島」とは日本列島のことで 、「敷島香」という組香もあります。この組香は、簡単に言えば「和歌ベースの当座香」で、例えば、「ゆ ・き・の・ま・つ」の5文字を要素に香を組み、香の出に従って頭文字を折句とした歌を詠んで答えるというものです。この組香は、後西院帝(1638-1685)が好んで催行して大流行したものの、良い歌を詠むために答えをわざと間違えたり、反対に正解したいために稚拙な歌を詠んだりして次第に雅趣が失われ、次代の霊元院法皇(1654-1732)が「香道・歌道に堪能ならではなすべきでない」と止めさせたという逸話があります。この組香を「敷島香」と名付けたのは、やはり「人のこゝろをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。」「やまとうた」を主題とした組香だったからでしょう。そうしてみると「二聖歌仙香」に「歌詠みの十*柱香」として「敷嶌十*柱香」と別名が付けられたのも合点がいく感じがします。
「二聖歌仙香」は、香記が賑やかで面白い趣向に富んでいながら、意外に聞きやすい組香です。皆様も六歌仙の歌合せに参席したつもりで楽しんでみてはいかがでしょうか。
昔でしたら「塵裡偸閑」でコラムを書いていたものですが
最近は休日が増えた分「何もしない休日」を謳歌しすぎるものですから・・・
来年は、意欲を奮い立たせて「感格鬼神」で頑張ります。
うつそみの関路の雪や深からじ明日に花咲け古き言の葉(921詠)
今年も1年ご愛読ありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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