三月の組香

和歌を分解して別の歌に変化させるという組香です。

1つの要素が2つの答えになるところが特徴です。

 ※ このコラムではフォントがないため「」を「*柱」と表記しています。

説明

  1. 香木は、用意します。

  2. 要素名は、「一」「二」「三」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. 「一」 は3包、「二」は2包、「三」は 1包作ります。(計6包)

  5. 試香は別包とし、本香包は「一」「二」の各2包をそれぞれ「浅黄色」と「紫色」に分け、「三」 は「紫色」で包みます。(試香1包+浅黄2包+紫3包)

  6. また、本香包には、下記のとおり、証歌の5句をそれぞれ「隠銘(かくしめい⇒答え)」として書き記します。

  7. 「一」のうち1包を試香として焚き出します。(計1包)

  8. 手元に残った「一(浅黄)」「 一(紫)」「二(浅黄)」「二(紫)」「三(紫)」を打ち交ぜます。 (計5包)

  9. ランダムになった香包の色を「浅黄→紫→浅黄→紫→紫」の順に並べ、この順番を変えないように焚き出します。

  10. 本香は、回ります。

  11. 連衆は、試香で聞いたことのある「一」と「包紙の色」から推測して答えを判別します。(委細後述)

  12. 回答は、証歌の5句を名乗紙に和歌のように書き記して回答します。

  13. 点数は、一句の当りにつき1点 の「合点」を掛け、外れには「星」を付けます。

  14. 下附は、全問正解には「人丸」と 記し、その他は何も附さず空白のままとします。

  15. 勝負は、最高得点のうち上席の方の勝ちとなります。

     

 暖かな日差しが「初節句」の思い出を彷彿とさせる季節 が参りました。

爛漫へと花満ちゆく弥生は我が誕生月ですが、60回を超ますと、どちらかと言えば「カウントダウン」として感じられ、西行の「願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ」を頭の中で詠じてしまいます。「桜の下で往生したい」と願った彼は、文治6年16日(1190331日)に享年73歳で亡くなっていますので、この歌に込めた願いは叶ったということでしょう。私も干支をあと一回りすれば、彼の享年に達しますので、「小さなスコップと衰えた体躯」を駆使しつつ、どこまでこの道を深掘りできるかやってみるつもりです。今月の「香書目録」は、大枝流芳編の『香道千代乃秋』を公開 いたしましたので、こちらもよろしくお願いいたします。

さて、年度末は惜別の季節でもありますが、私は旅立つ若人へのはなむけに「上に進むな!深く進め!」とアドバイスしています。「上に進む」ことは体力勝負でも出来ますし、一直線に上れば消費エネルギーも最小限ですみます。しかし、その一方で 、行程にある「様々な事象」を見過ごしがちですし、1つのステップに留まる期間が短いので「万象の機微」にも無頓着になりがちです。よく言う「キャリア官僚」は、その骨頂ですが、忙殺の中でステータスは上がっても人間形成が後回しになる嫌いがあります。ですから、上を目指している方には「寄り道」をたくさんするように進めます。結局は、時間と体力を掛け、知恵と工夫で登った方が、 地位の「到達度」は低くても、人間としての「完成度」は高くなると思えるからです。

一方、「深く進む」のには、体力よりも根気が要ります。「様々な事象」も「万象の機微」も多少の障害物になっているわけですから、否応なくこれらに「直面」しなればなりません。そうして、毎日少しずつ工夫して 「直面」している中でいろいろな「気づき」に恵まれます。私は、この「気づき」こそ、神が与えてくれた「最も現状の打開にふさわしい解」なのだろうと思います。また、それらが、ある日突然統合されて、大きなブレークスルーをもたらすこともあると思います。

昔、『チャンス』というアメリカ映画(1979年)を見たことがありますが、そこに登場する「庭師のチャンス」は、単に庭の手入れや植物の生長の話をしているだけなのに、 全ての発言が周囲の人から「まるで経営の神様だ!」と「深いい話」に曲解され続けて、遂に大統領にまでなってしまいます。これは、コメディですのでいささか誇張はあるものの、愚直なまで日々の行動の積み重ねから得た「気づき」が、いつの間にか「万物の理」に通じていたということは、研究者や職人をはじめとした「求道者」は誰しも思い当たるのではないでしょうか。

私は、若い方に「出世を諦めてオタクになれ!」と言っている訳ではありませんし、「深く進む」とは「下に潜行する」という意味でもありません。ベクトルは上に向けつつも、人生という修行の場を 「力業」で通過するのではなく、人として仕上がるまでの「時間軸」を十分に活用して、スパイラルを描きながら「岩を突き進むように」ゆっくり過ごすことをお勧めしたいと思っています。高齢の方も 然り。自分の描いて来た軌跡の延長上をゆっくりと惰性で落ちていくのではなく、「平泳ぎ」をしてでも高度を保ちながら、新たな地平線から見えてくる「新世界」にカーブも切ってみるのもよろしいのではないでしょうか?なにせ「諦めなければ人生に敗北することは無い」のですから。

今月は、香の組合せで和歌を変容させる「一首十體香」(いっしゅじったいこう)をご紹介いたしましょう。

「一首十體香」は、米川流香道『奥の橘(風)』に掲載のある組香です。 米川流では「裏組」、志野流では「習五十組」に序列される組香なのですが、特に季節感はありませんので一般的には「雑組」と分類してよいでしょう。同名の組香は、『御家流組香集(智)』をはじめ『軒のしのぶ(六)』、杉本文太郎 著の『香道』にも掲載があり、それぞれの記述に「小異」はありますが、現在でも流派を問わず親しまれている組香です。今回もご紹介する組香を探しておりましたところ、「首とという見ようによっては少しインパクトのある題号に目を留め、そういえば和歌が題材の組香にも関わらず、未だご紹介していないことに気づきました。見れば、「春の海ひねもすのたりのたりかな (与謝蕪村)」の句を思い出すような、ほのぼのとした海の景色が想像できましたので、春爛漫に向かう季節に、敢えて「花」の登場しない組香をご紹介することといたしました。 今回は、たくさんの香書の中から、最も記述に詳しい『奥の橘』を出典として、他書との比較も加えながら書き進めて参りたいと思います。

まず、この組香には証歌があります。出典には「証歌」として厳然と紹介されているわけではありませんが、「宇治山香」のように和歌の5句を分割して組香の要素としていますので、この和歌を この組香の「文学的支柱」と考えてもいいでしょう。

答えとなる5句をつなげて表れるのがこの歌です。

「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ(古今和歌集409:よみ人しらず)」

この歌は、古今和歌集の「羇旅歌(きりょか)の部立に「題しらず」と詞書されており、意味は、「かすかに明るくなってゆく明石の浦の朝霧の中で、島の影の中に消えてゆく舟のことを思う 」ということでしょう。「明石の浦」は「明かし」にもかかっており、「嶋かくれ行く」は「嶋隠れ(しまがくれ)」という熟語で、「島が隠れていく」のではなく「島に隠れながら 行く(舟)」という意味です。また、左注には「このうた、ある人のいはく、かきもとのひろまろがうたなり。」とあり、藤原公任の歌論書である『和歌九品』では「上品上。これは言葉妙にして余りの心さへあるなり 。」と評され、藤原俊成の『古来風躰抄』や紀貫之の『古今和歌集・仮名序』にも「人麿の歌」として掲載されているため、今では「歌聖  柿本人麻呂の詠んだ秀歌」としてゆるぎないものとなっています。

次に、この組香の要素名については、前述のとおり証歌の5句を分解して、「ほのぼのと」「明石の浦の」「朝霧に」「嶋隠れ行く」「舟をしぞ思ふ」となっていますので、特に言及の必要はないでしょう。一方、題号にある「一首十體」の意味については、組香の前段で行われる「香拵え(こうこしらえ)」や「構造」に言及する必要があります。

この組香の香種は3種、全体香数は6香、本香数は5炉となっています。まず香組について、出典には「試香の色、紅にて毫包(ふでづつみ)の折形にして、表に“ほのぼのと”と書く。一の香、一包は色浅黄にして隠銘に 『ほのぼのと』と書き、一包は色紫にして隠銘『あかしの浦の』と書く。二の香も一包は浅黄にて『朝霧に』と書き、一包は紫にて『嶋かくれ行く』と書く。三の一包は紫にて 『舟をしぞおもふ』と書くなり。」とあり、同じ要素名を5文字の句は 「浅黄色」、7文字の句は「紫色」に色分けして、香包の隠しにそれぞれ所定の句を書き込むことが指定されています。

因みに、他書は三書とも「五文字は青紙、七文字は紫の紙を用ゆ」と書かれています。出典のみが「浅黄色」(#FFCC33⇒濃いクリーム色)と書かれていますが、本文の末尾に「口伝に曰く、ほのぼのと旭の昇る心にして試包 、紅なり。五文字浅黄、七文字紫は、人丸の装束にして、上浅黄、袴紫着したるなり。」とあり、厳然と「浅黄色」であるべき理由が書いてあります。もし、これが「浅葱色(#00A4AC⇒薄い藍色)であれば、「青」とも言えなくないのですが、もしかすると伝承の途上で「浅黄色」が「あさぎ色」と表記され「浅葱色」に変わったのかもしれませんし、その逆かもしれません。 このこともあって、今回は『奥の橘』を出典として問題提起をしてみたというわけです。

このようにして、香包は「一(試香)」と「一(浅黄)⇒ほのぼのと」「一()⇒明石の浦の」「二(浅黄)⇒朝霧に」「二()⇒嶋かくれ行く」「三()⇒舟をしぞおもふ」を1包ずつ合計6包作り、そのうち「一(試香)」を試香として焚き出します。続いて、出典には「本香五包打ち交ぜ 『浅黄・むらさき・浅黄・紫・むらさき』必ず是にして置きて焚き出すなり。」とあり、本香包みは 、打ち交ぜた後「浅黄→紫→浅黄→紫→紫」の順に点前座に並べ置き、この順序のまま本香を焚き出すことが指定されています。これによって、香の出の文字が「五→七→五→七→七」の三十一文字となり、どのように打ち交ぜられても和歌の形態を成すように工夫されています。この所作は、他書も共通しており、この組香の「題号」の意味を表す大切な要素となっています。 以上のように、この組香は、稀代の名歌を構成する5句を分解して、別の和歌に変容させることを趣旨としています。

さて、本香が焚き出されましたら、連衆は試香に聞き合わせて答えを導き出し、証歌の句を書いて回答します。この組香で既知の香となっているのは「一」の2包(「一(浅黄)⇒ほのぼのと」「一()⇒明石の浦の」)だけですが、 「香数」と「香包の色」で全て判別が可能となっています。

例えば・・・

そうして、「朝霧に」「明石の浦の」「ほのぼのと」「舟をしぞおもふ」「嶋かくれ行く」という5句が連なります。出典では、これを「歌のごとく認め出すべし 。」とあり、新しくできた和歌のように名乗紙に書き記して提出します。これについて、出典の最後には、「此の香、勝れたる歌の似歌を組むべし 。」と作意が明記されています。

ここで、題号の由縁を検証するため、この組香の「香の出」を一覧にしてみたところ、出来上がる和歌は「十二體」になるようです。 

香の出の組合せ

組合せ

第一句(浅黄)

第二句()

第三句(浅黄)

第四句()

第五句()

1

ほのぼのと

明石の浦の

朝霧に

嶋かくれ行く

舟をしぞ思ふ

2

ほのぼのと

明石の浦の

朝霧に

舟をしぞ思ふ

嶋かくれ行く

3

ほのぼのと

嶋かくれ行く

朝霧に

明石の浦の

舟をしぞ思ふ

4

ほのぼのと

嶋かくれ行く

朝霧に

舟をしぞ思ふ

明石の浦の

5

ほのぼのと

舟をしぞ思ふ

朝霧に

明石の浦の

嶋かくれ行く

6

ほのぼのと

舟をしぞ思ふ

朝霧に

嶋かくれ行く

明石の浦の

7

朝霧に

明石の浦の

ほのぼのと

嶋かくれ行く

舟をしぞ思ふ

8

朝霧に

明石の浦の

ほのぼのと

舟をしぞ思ふ

嶋かくれ行く

9

朝霧に

嶋かくれ行く

ほのぼのと

明石の浦の

舟をしぞ思ふ

10

朝霧に

嶋かくれ行く

ほのぼのと

舟をしぞ思ふ

明石の浦の

11

朝霧に

舟をしぞ思ふ

ほのぼのと

明石の浦の

嶋かくれ行く

12

朝霧に

舟をしぞ思ふ

ほのぼのと

嶋かくれ行く

明石の浦の

このように、「まあまあそれらしい和歌」が出来上がるのですが、「明石の浦の」が最終句にくると、詠嘆で結んだと解釈してもやや苦しいところがあります。おそらく、大方の香道家の皆さん は、このような一覧表は作らないでしょうから、この組香の催行に当たっては、何となく「一首がたくさんの和歌に変容する」と解釈しているに違いありません。おそらくは、作者も そのような感じで、「十體」とは「たくさんの」という意味で用いていたのでしょう。

なお、蛇足と思うのですが、私は、題号の「十體」を探る上で、証歌が変容することによって「和歌十體(わかじってい)」の歌風 に通ずる和歌が現れる組香となっているのではないかという可能性も検討してみました。万が一、「香の出」の和歌がこのような歌体にいちいち当てはまっていたら、 そこには壮大な作意が含まれていることになるからです。しかし、同じ歌の句の組合せで全ての歌体を作り出すのは難しく、最終句が「明石の浦の」となる 歌(面白様?)が4つもあるので、この解釈は成り立たないなと諦めました。

藤原定家の編と伝わる『定家十體』

   〈数字〉は、『新編国歌大観』の「定家十體」の掲載歌数

このようにして、本香が焚き終わり、名乗紙が返って参りましたら、執筆はこれを開き、香記に各自の回答を書き記します。その際、出典の「一首十體香記」の記載例では、答えの句を 「右上、左下、右上、左下、右上」と3段2行に「千鳥書き」しており、 この記載方法は、出典をはじめ各書とも共通しています。私が思うに、せっかく 連衆が「和歌のように書いて」提出したのですから、和歌のように上下2行に縦書きしても良いような気がしますが、採点の便宜を図ったもののようです。 執筆が答えを写し終えたところで、香元に正解を請い、香元はこれを受けて本香包を開いて正解を宣言します。執筆は、これを聞き、香記の香の出の欄に 答えを「千鳥書き」で書き記します。

この組香の点法については、出典には「外一点、 『舟をしぞ思ふ』二点なり。皆聞の下へは 『人丸』と書く。一句にても外れあれば残らず無点なり。外れたる所、星一つなり。」とあり、執筆は、香の出を横に見て、当った句に合点を掛けます。 平点は1点とし、合点を長めに掛けます。また、「客香中の客香」である「舟をしぞおもふ」には2点の加点要素があり、二点を「長・短」と掛けます。一方、間違えた句には「星」が付きます。通常ですと 「星」はマイナス一点ですので、「得失点」も気になるところですが、各自の成績は、「合点」と「星」の数だけで香記に表されます。

この組香では、全問正解のみ「人丸」と下附され、その他の得失点は空白のままで何にも書き附されません。 下附に「人丸」を用いていることから、作者は証歌を「柿本人麻呂の作」として組んでいたことがわかります。ここで、初めて証歌の詠人が脚光を浴びるというわけです。もし、「人丸」が出なかった場合は、「あら、今日は詠み人知らずだったわね。」と笑い合うのも雅人らしくて良いですね。

因みに、他書では、「舟をしぞおもふ」に2点の加点要素はありません。そもそも下附が「全問正解 か否か」だけになので、 得点が1点でも2点でも、それほどの意味はないものと思われます。また、『御家流組香集』だけは、「人丸」のほかに、「○星」と下附することとされています。この場合ですと、全問正解以外の人は、すべて「○星」と 下附されて、あたかも減点比べをしているような景色になります。

最後に、勝負は最高得点者のうち、上席の方の勝ちとなります。「人丸」がいない場合は、各自の得失点を合計して、最高得点者か最小失点者を決することとなります。

 

巣立ちに寄せて・・・

私への「恩」などは直ちに忘れなさい。

君が成長して、もし私の為したことを思い出したら、それを誰かに為しなさい。

巣立ち行く一聲啼きて潔し我は雛との日々を忘れじ(921詠)

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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