4月の組香

奈良の都の名所を景色に散りばめた組香です。

答えを要素名に因んだ歌の句で書き記すところが特徴です。

※ このコラムではフォントがないため「ちゅう」を「*柱」と表記しています。

 

*

説明

*

  1. 香木は、用意します。

  2. 要素名は、下記のとおりです。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. この組香は、季節に因んだ要素を「客香」とするため、今月は「南円堂藤」を「客香」とし、その他を「地の香」とします。

  5. 「地の香(7種)」は各2包、「南円堂藤」は1包作ります。(計15包)

  6. まず、「地の香(7種)」は、各1包を試香として焚き出します。(計 7包)

  7. 手元に残った「地の香(7種)」の各 1包に「南円堂藤」の1包を 加え、打ち交ぜます。(計8種:8包)

  8. 本香は、廻ります。

  9. 連衆は、試香に聞き合わせて、出た順序に要素名に因んだ「和歌の第一句」を名乗紙に8つ書き記します。

  10. 点数は、客香の独聞(ひとりぎき)は3点、客香の当りは2点、その他は1点とします。

  11. 下附は、全問正解が「皆」、全問不正解が「 無」、その他は点数を漢数字で書き附します。

  12. 勝負は、最高得点者のうち、上席の方の勝ちとなります。

 

故郷の花便りが「帰って来いよ♪」と誘う季節となりました。

例年より少し早めに咲いた長堤の桜は、近年のオーバーツーリズムから解放されて、昔ながらの「花見」の景色を呈しています。震災の年も「それでもなお花は咲く」と書きましたが、パンデミックにさらされる世界にあっても、「泰然自若」として変わらぬ美しさを見せてくれる自然は、やはり偉大だと思います。

もう一つ偉大だと感じるのは、その対極ともいえるネット内に蓄積されたナレッジ(知見・知識)の膨大さです。もともと、学術研究者のコラボレーション・ツールとして使われていたインターネットは、様々な「大衆化」を経て現在に至っています。この「大衆化」は、あらゆる情報を商業化することにも成功しましたが、そのおかげで、ネット内には「つなが依存」、「煽り」や「晒し」をはじめ、誤った正義感による誹謗中傷、フェイクニュース、社会に毒を吐くだけの書き込みなど「要らないデータ」も多数横行しています。その一方で、ネット内の学術データベースも着実に増加し、オープンデータ化することによって格段に使い勝手が良くなりました。

例えば、香書の検索に関しては、国立国会図書館や早稲田大学をはじめ、多くの図書館・公文書が蔵書データを公開してくれていますし、古典籍の「画像公開」も着実に件数を上げています。このため、従来ならば申請書を書いて、図書館に出向き、「禁退出」の資料を書写するとか、高いお金を払ってコピーを郵送してもらうなどという手間も少なくなりました。また、従来ならば、「古文書読み」は、他書を紐解きながら脳内に「知覚パターン」を作っていく「脳トレ」が必要で、「読めない字は、何年か知見を積み重ねなければ絶対に読めない」という状況だったのですが、現在では手書きや画像で「くずし字検索」ができるようになりました。

ネットの片隅に埋もれた学術研究者たちの「知見の一行」が、求める者の検索にヒットすることによって「もう一度花が咲く」という知識の連鎖もネットの重要な使い道だと思います。現在、私は14年前に翻刻を試みて、読めない字を飛ばしておいた「伏字だらけの翻刻本」を修復しているのですが、ネット検索のおかげでやっと、ある程度の自信をもって「読み下し版」を公開できるようになりました。今月の「香書目録」は、大枝流芳編の『香道瀧之絲』を公開いたしました。冒頭の「漢文訓読」が誠に心許ないのですが、私も「大量に消費される情報」に流されることなく息づく「真のナレッジ」を少しずつ残していきたいと思っています。

今月の組香は、奈良の「南都八景」を組香に写した「春日名所香」(かすがめいしょこう)をご紹介いたしましょう。

「春日名所香」は、『御家流組香集(信)』に掲載されている「四季組」に属する組香です。「名所」と言えば、東福門院御製の盤物「名所香」が総本山ですが、「乙好み」の私は、これまで敢えてこれを避け「陸奥名所香」「花名所香」「名所鶯香」をご紹介して参りました。そして、次は「歌名所香に挑戦かな?」と目論んでいるのですから、まだまだ総本山への道のりは遠いということでしょう。今回も紹介すべき組香を探していましたところ、テレビで「奈良県のプレゼンスの悪さは日本一」という話をしていました。私にしてみれば、寺やら筆やら墨やら柿の葉寿司やら…好きなものが満載の土地ですので、とても可哀そうに思えました。そこで『春日名所香』という忘れられた組香があったことを思い出し、奈良応援企画で、これを掲載することと決めました。しかし、これまで掲載していないにはそれなりの訳がありました。それは、この組香の景色となっている和歌8首が読みづらく、読めても『国歌大観』に掲載されていないため検証できないという隘路に陥っていたのです。一度ならず、二度までも掲載を諦めかけていた時に偶然、1人の研究者の論文のが検索にヒットし、そこから解決の糸口がつかめ、ついには8首の原典にたどり着くことができました。そのようなわけで、今回は、他書に類例もないため、『御家流組香集』を出典として、証歌解読の道のりも含めながら書き進めて参りたいと思います。

まず、この組香の要素名は、出典に「南円堂藤」「雲井坂雨」「東大寺鐘」「轟橋行人」「春日野鹿」「三笠山雪」「佐保川蛍」「猿沢池月」と記載があります。調べましたところ、これらの言葉は「南都八景(なんとはっけい)」という風景評価であることがわかりました。「南都八景」は、京都相国寺鹿苑院蔭涼軒(ろくおんいん・いんりょうけん)の軒主の日記である『蔭涼軒日録』の「室町時代寛正6年(1456926日」の条に、当時の軒主真蘂(しんずい)が将軍足利義政に付き添って春日社に詣でた時の記事として「南都有八景。東大寺鐘、春日埜鹿、南円堂藤、猿沢池月、佐保河螢、雲居坂雨、轟橋人、三笠山雪」と初めて登場します。これは中国の「瀟湘八景 (しょうしょうはっけい)」に擬え、東大寺・興福寺周辺にみられる優れた風景から「8か所の名所」を選んだもので、日本に400以上ある「○○八景」のうち最古と言われています。なお、「南都八景」は、それぞれ漢字4文字の間に「の」を送って、「南円堂の藤」「雲井坂の雨」「東大寺の鐘」「轟橋の行人」「春日野の鹿」「三笠山の雪」「佐保川の蛍」「猿沢池の月」との読むことになっています。

ここで、出典の中には「の」の有無や「猿沢の池月」などの表記ゆれもありましたので、要素名は漢字のみとし、読み方は上記のように統一しています。

次に、出典冒頭には、これら「八景」の見出しに続いて、それぞれ和歌一首とその詠人が列記されています。この和歌が読み通せず、いろいろな書物やネット検索を試みましたが、一首もテキストになったものは発見されませんでした。また、詠人については全て解読できたものの、有名でない人もいて実在の人物かどうかの検証ができず、「もう別な組香に鞍替えしようかな?」と思ったのは事実です。その中でも、「猿沢池月」の歌を詠んだ「左近衛少将藤原雅幸朝臣」は全く無名で、どこにも情報がなく、諦めついでに「悪あがきの検索」をしていたところ、偶然!下記の研究紀要が見つかりました。

『須藤 智美 飛鳥井雅縁伝の基礎的問題-「藤原雅幸朝臣」考』

「南京八景」は、奈良の景物を八景にあてはめたもので、八つの題に漢詩と和歌が一首ずつ配されている。参加者は十六人。割り当ては、以下の通り。「南円堂藤」は漢詩を近衛道嗣、和歌を二条良基。「佐保川蛍」は漢詩を三条西公時、和歌を三条公忠。「猿沢池月」は漢詩を菅原淳嗣、和歌を藤原雅幸。「春日野鹿」は漢詩を勧修寺経重、和歌を一条公勝。「三笠山雪」は漢詩を徳大寺実時、和歌を西園寺実俊。「雲居坂雨」は漢詩を菅原秀長、和歌を二条為重。「東大寺鐘」は漢詩を久我具通、和歌を四辻善成。「轟橋行人」は漢詩を大炊御門冬宗、和歌を小倉実遠。(中略)「南京八景詩歌」の催行は、参加者の官職表記を考慮して、永徳二年と推測されている。

【該当部分のみ引用】

(国文学研究 176, 27-34, 2015-06 早稲田大学国文学会)

この記述から「藤原雅幸」の実在(飛鳥井雅縁がとても短い期間そう名乗ったらしいこと)とこれらの歌が『南京八景詩歌』という歌会の記述に掲載されていることがわかりました。そこで今度は、検索語を『南京八景詩歌』にしましたところ、「篠山市教育委員会 青山歴史村 画像一覧(100190895)」がヒットし、「新日本古典籍総合データベース」に記録された漢詩と和歌の全様を知ることができました。こうして、「雅幸朝臣」と「南京八景詩歌」 に関する「ネット内で唯一の情報」に2度尋ね当たったことで、やっとこの組香を世に伝えることができるようになったわけです。前回のコラムで「単純な日常の繰り返しが、ある日突然ブレークスルーを生む」と書きましたが、まさに「香道の神様が下りてきた瞬間」を追体験することとなりました。

そうして、明らかになった和歌は組香の景色を彩る「要素名」を裏付けており、連衆の回答にも使用されることから、この組香の文学的支柱を成す「証歌」と考えてよいでしょう。

要素名と証歌 

南円堂藤

「藤浪は神のことばの花なれば八千代をかけてなおぞさかへん」(太政大臣二条良基公)

雲井坂雨

「村雨の晴るるに越えよ雲井坂三笠の山はほど近くとも」(権中納言為重卿)(⇒二条為重)

東大寺鐘

「おく霜の花いつくしき名も高しふりぬる寺の鐘のひびきに」(前大納言四辻入道善成)(出典では「吉成」)

轟橋行人

「うちわたれ人目もたへず行く駒のふみにぞならせとどろきのはし」(前中納言小倉実遠卿)

春日野鹿

「春日山みねの嵐やさむからんふもとの野辺に鹿ぞ啼くなる」(権中納言公勝卿)(⇒一条公勝)

三笠山雪

「三笠山さしてたのめばしら雪のふかき心を神やしるらん」(前右大臣西園寺実俊公)

佐保川蛍

「飛ぶ蛍影をうつして佐保川の浅瀬にふかきおもひをぞしる」(前内大臣三条公忠公)(出典では「心をぞしる」)

猿沢池月

「長閑なる浪にぞ氷る猿沢の池よりとおく月はすめども」(左近衛権少将藤原雅幸朝臣)(⇒飛鳥井雅縁)

 

さて、この組香の香種は8種、全体香数が15包、本香数が8炉となっており、構造は、至って簡単です。まず、出典の香組の欄に「尤も、ウはその季をウにするなり」とあり、催行の季節に合わせて「客香」を選ぶこととされています。そのため、今回は「藤浪」(春)を「客香」として組むこととしますと、「南円堂藤」は1包、「雲井坂雨」「東大寺鐘」「轟橋行人」「春日野鹿」「三笠山雪」「佐保川蛍」「猿沢池月」は2包ずつ作ります。次に「雲井坂雨」「東大寺鐘」「轟橋行人」「春日野鹿」「三笠山雪」「佐保川蛍」「猿沢池月」のうち各1包を試香として焚き出します。そうして、手元に残った7種7包に「南円堂藤」の1包を加えて打ち交ぜ、本香は8炉焚き出します。

因みに、要素名と季節の関係は、漢詩の記述にも鑑みて「南円堂藤(春)」「雲井坂雨(夏)」「東大寺鐘(冬)」「春日野鹿(秋)」「三笠山雪(冬)」「佐保川蛍(夏)」「猿沢池月(秋)」と考えています。ただし、「轟橋行人」については季語がなく、漢詩も起句が「日落ち鐘沈みて山色淡し」で、転句が「孤村、雨に煙りて笠蓑重ぬ」ですので判然としませんでした。

本香が焚き出されましたら、連衆は試香に聞き合わせて答えを判別します。聞いたことのない香は1種類ですので、容易に判別できることと思います。ただし、香種が8種となりますと「五味立国」では間に合わないため、必ず同じ木所の香木が使われることになりますので、香気は良く聞き込みましょう。

答えは、出典に「歌の五文字を書くべし」とあり、本来は、証歌の第一句である「ふじなみは」「とぶほたる」「みかさやま」「むらさめの」「のどかなる」「かすがやま」「おくしもの」「うちわたれ」と平仮名5文でを出た順に名乗紙に8つ書き記して提出という主旨でしょう。しかし、出典の「春日名所香之記」の記載例は漢字かな交じりで記載されているので、「藤浪は」「飛ぶ蛍」「三笠山」「村雨の」「長閑なる」「春日山」「おく霜の」「うちわたれ」と書き記しても良いと思います。また、この組香は、答えが多いので、名乗紙には「右上、左下、右上、左下・・・」と千鳥書きに2行4段で書き記すと良いでしょう。

ここで、出典には「八*柱にて多からんと思わば、五*柱にても六*柱にても、その所の宜しきに順ふべし」とあり、香数を減じて焚くことは亭主が自由にきめて良いということになっています。ただし、この組香が「南都八景」に因んでいることから、要素名そのものを減じて「8」という序数を全くないがしろにしてしまうのもいかがなものかと思います。そこで、香種は「8種」用意して、試香も7炉焚き、そこに客香を加え、一旦は「本香8包」を作り、そこから任意に何包か引き去るのであれば、例えば「本香5炉」であっても「今回は時間がなくて5ヵ所だけ廻った」という言い訳が成立するかなと思います。

本香が焚き終わり、名乗紙が返って参りましたら、執筆は各自の答え(第一句)を「千鳥書き」で書き写します。各自の回答を写し終えましたら、執筆は正解を請い、香元はこれを受けて香包を開いて正解を宣言します。執筆はこれを聞き、香の出の欄に正解(要素名)を「千鳥書き」で書き記します。 このように、この組香は、証歌の第一句があたかも「聞の名目」のように取り扱われ、香の出と答えは別の言葉が記載されるというところが特徴となっています。

続いて、執筆は香の出を横に見て、要素名に符合する答えを見極め、当たりの答えに合点を掛けます。例えば、香の出が「猿沢池月」ならば「のどかなる」が当たりとなりますので、間違えないように気を付けましょう。

この組香の点数について、出典には「ウ一人聞三点、二人より二点」とあり、「客香」の当たりに2点、連衆の中でただ一人正解した「独聞」には3点の加点要素があります。その他は、要素の当たりにつき1点の合点が掛けられ、最高得点は「客香独聞の全問正解」の10点となります。また、下附については、全問正解の場合は「皆」、全問不正解の場合は「無」とし、その他は点数を漢数字で書き附します。

最後に勝負は、最高得点者のうち、上席の方の勝ちとなります。

「春日名所香」は、他書に類例がないため、おそらく証歌が解読されなければ永遠に謎のままで埋もれた組香だったかもしれません。この組香は、四季を問わず、和歌の景色が豪華で、本香数も調節でき、構造がシンプルな組香ですので「大寄せ」にも向く組香だと思います。是非、復刻を機に皆様でお楽しみください。

 

私は、知識から生まれた次の知識を「種」として、その連綿を楽しんでいます。

こんな「種」が…いつか他人様の庭にこぼれて花咲くこともあるのでしょうね。

世々かけて祈りし花ぞ咲き匂う春日の山のたのもしきかな(921詠)

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

区切り線、以下リンク

戻る

Copyright, kazz921 All Right Reserved

無断模写・転写を禁じます。