「夏越しの祓」を景色に写した組香です。
下附のみならず中段にも名目の付くところが特徴です。
※ このコラムではフォントがないため「
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説明 |
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香木は 、4種用意します。
要素名は、「晩夏(ばんか)」「川瀬(かわせ)」「幣(ぬさ)」と「御祓(みそぎ)」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「晩夏」「川瀬」「幣」は各4包作り、「御祓」は1包作ります。(計13包)
このうち「晩夏」「川瀬」「幣」の各1包を試香として焚き出します。(計3包)
手元に残った「晩夏」「川瀬」「幣」の各 3包に「御祓」の1包を加えて打ち交ぜます。(計10包)
本香は、10炉廻ります。
点数は、「御祓」の当たりは2点、その他は1点となります。
要素名ごとにすべて聞き当てた場合は、記録の中段に名目が書き添えられます。
「晩夏」の全中には「名越(なごし)」
「川瀬」の全中には「御洗(みあらい)」
「幣」の全中には「大麻(おおぬさ)」
「御祓」の中には「麻の葉(あさのは)」
下附は、全問正解の場合は「全」、その他は点数を書き附します。
勝負は、最高得点者のうち、上席の方の勝ちとなります。
長〜い「物忌み」も終わりにさしかかったと信じたい今日この頃です。
梅雨の時季となり「ステイホーム!」もストレスなくできる季節となりました。人と人との間に雨粒が介在するこの時期は、自然のシールドが「あぶない飛沫」から守ってくれるような気がします。私自身は、先月が「コロナ禍」のピークかと思っているのですが、これは、もしかすると「アマビエちゃん」のお陰かもしれません。
私が「アマビエ」を知ったのは4月の末頃のこと、仙台の老舗駄菓子屋「熊谷屋」が得意のキャラクター上生菓子として「アマビエちゃん」を発売した時でした。それは、つぶらな瞳と1本まつ毛が愛らしい2頭身の鳥のようなキャラクターで「疫病退散に効く !」として売り出されていました。「熊谷屋」が、折からの自粛で駄菓子の在庫に苦しむ現状を知っていた私は、即座に「和菓子も守ろう!」とSNSで拡散しましたが、実のところ「アマビエ」の実像は、後になって京都大学附属図書館収蔵の「アマビエの出現」を伝える弘化3年(1846)4月中旬の「瓦版」で知ることとなります。
この瓦版に書かれた「アマビエ」は、長髪で鳥のような嘴があり、胴体は鱗に覆われ、3本足で波間に立つという奇妙な半魚人型の妖怪?でした。記事には「肥後の国の海中に毎夜、光る物が出没していたため、役人が見に行ったところ、それが姿を現した。そして『私は海中に住むアマビエと申す者です。当年より六ヶ年の間は諸国で豊作が続くが疫病も流行する。早く私の姿を描き写した絵を人々に見せなさい。』と告げ、海の中へと入って行った。」とあり、これが肥後から江戸まで伝わってニュースになったというわけです。
その「アマビエ」が、現代で脚光を浴びたのは2月末頃とのこと、「妖怪の中に『流行り病が出たら対策のためにわたしの姿を描いて人々にみせるように』と言ったのがいる。」とSNS上で「アマビエ」が紹介されたところ、新型コロナウイルスの感染が終息することを祈って、次々と「アマビエ」のイラストが投稿され、4月初旬には厚生労働省も感染拡大アイコンとして採用 するに至ります。その後、キャラクター化された「アマビエ」関連グッズも売り出されるようになり、いつしか「感染拡大阻止の守り神」として一躍脚光を浴びることとなったのです。
肥後の国に現れた「アマビエ」が、どれほどの時をかけて江戸に到達したのか?瓦版となって日本中に流布されたのか?ご利益はあったのか?などについて、後日談は見つからないのですが、少なくとも「天保の大飢饉」(最大で1833〜1839)を経験した江戸庶民にとって、瓦版の「アマビエ」の絵姿は、寄る辺としたい「御札」のようなものであったのでしょう。東北では、その後も冷害による飢饉は絶えませんでしたが、人の力で「耐える」「忍ぶ」「守る」を繰り返し、その都度、跳ね返して来たことは、現代の「禍」にも通用しているのだと思います。今月 末は、夏越しですので、今年前半の世界的汚辱を祓うムーブメントとして「#禊チャレンジ」など してみてはいかがでしょうか?
今月は、上賀茂神社の夏越しの祓を景色に写した「御祓香」(みそぎこう)をご紹介いたしましょう。
「御祓香」は、杉本文太郎著の『香道』に掲載のある組香です。同書の目次では「雑」の組に分類されていますが、証歌や要素名からして「夏」の組香と捉えてよいでしょう。同名の組香は『御家流組香集(礼)』にも掲載があり、こちらは3種組で要素名は「川」「水」 と「御祓」です。「川」と「水」には試香がなく、無試十*柱香のように答えて「御祓」の出を聞き当て「御祓が当たらなければ、他は聞き当たっても無点」とする「ドボン方式」が特徴です。また、『香道蘭之園(二巻)』にも掲載があり、こちらは「麻の葉に浪のしらゆふかけそへてみそぎ涼しき夜半の川風(題林愚抄2870 為敦朝臣)」という証歌がある2種組です。要素名は「御祓」と「川」ですが、「川」は聞き捨てとして「御祓」の出のみを答えるというものです。どちらも「御祓」を主景とした組香ですが、シンプル過ぎる点とやや季節感に乏しいという難点がありました。
一方、今回もご紹介する組香は、要素名の「晩夏」と証歌「 ・・・みそぎぞ夏のしるしなりける」から、「夏越の祓」の景色がすぐにイメージできましたので、こちらを優先させていただきました。今回は、香記が賑やかでピンポイントの季節感を持つ『香道』を出典として書き進めたいと思います。
まず、この組香の題号となっている「御祓」(禊)とは、一般的に身の罪やけがれを、川や海の水に浸かって洗い流すことです。伊勢神宮の「宮川」や「五十鈴川」での禊は年中行われていますので、特段の季節感はない行事なのですが、ここでは証歌から「夏越の祓」を景色としていることを読み取ることができます。
「風そよぐならの小川の夕ぐれはみそぎぞ夏のしるしなりける(新勅撰和歌集129従二位家隆) 」
この歌には「寛喜元年女御入内屏風」と詞書があり、1229年 に女御が入内するときの屏風歌として詠まれたもののようです。歌の意味は「風にそよぐ楢の葉、その下を流れるならの小川の夕暮れは涼しくて、夏を忘れるほどだけれど、六月祓の禊が行われていることが、まだ夏である証拠なのだ。」と言うことでしょう。社の大幣が風に揺れ、陽樹の葉陰には光る小川が流れ、白装束の人々が身を清めたり、白い形代を流したりしているという、実に爽やかな景色のある歌です。このように、この組香は過ぎていく夏の終わりに 「ならの小川」で禊をする景色を写した趣向となっています。
ここで、出典の証歌は「夕なぎに」となっていますが、「小川の夕凪」というのも景色としてどうかと思いますので、誤写と判断し、『新勅撰和歌集』と誰しもご存知の『百人一首』(98番歌)に合わせて「夕ぐれは」に書き換えています。
因みに、「ならの小川」とは、京都「上賀茂神社」の「御手洗川(みたらしがわ)」のことです。この川は、「賀茂川」を源流として、境内に近づくと「御生所川(みあれどころがわ)」から「御手洗川」と名を変えて禊の川となります。その後「御物忌川(おものいみがわ)」と合流して 、「ならの小川」となり、「明神川」に合流して最終的には「賀茂川」に戻ります。この「ならの小川」を「奈良の小川」と解釈すると歌意が行方不明になりますのでご注意ください。
また、詠み手の「従二位家隆(じゅにいいえたか)」とは、藤原家隆(1158〜1237)のことで、従二位宮内卿にまで昇進し、京都の西、壬生の辺りに住んでいたので「壬生二位」「壬生二 品」とも呼ばれていたそうです。歌人としては『新古今和歌集』の撰者であり、自らも勅撰和歌集に281首が採録され、生涯に 6万首歌を詠んだという多作でも有名です。
次に、この組香の要素名は「晩夏」「川瀬」「幣」と「御祓」となっています。「晩夏」は、夏の終わりのことですが、旧暦の夏は4月から「初、仲、晩」なので「6月」のことを意味します。「川瀬」とは川の底が浅く、流れの速い所のことで、ここでは「ならの小川」の景色となります。「幣」とは、神祭用具の「御幣(ごへい)」を示しますが、ここでは「ぬさ」と読み、紙垂(しだ)ではなく、白木綿(しらゆう) と麻苧(あさお)を用いたものをイメージしてください。最後に「御祓」とは、「夏越の祓」のことで701年に大宝律令で正式に定められた、古い歴史をもつ行事です。これは、元旦から半年間でついた穢れを6月の終わりに祓う神事で、@水辺に出て禊をする。A河社(かわやしろ)を設けて斎串(いぐし)を立て、人形や麻の大幣(おおぬさ)にみずからの穢れを移す。B茅の輪をくぐり抜ける。などの方法があります。このように、要素名は時と場所、道具と目的を網羅して組香の景色を構成しています。
さて、この組香の香種は4種、全体香数は13香、本香数は10炉となっており、構造は「有試十*柱香」と同じです。まず、「晩夏」「川瀬」「幣」を4包ずつ、「御祓」は1包作ります。次に「晩夏」「川瀬」「幣」のうち1包ずつを試香として焚き出します。そして、手元に残った「晩夏」「川瀬」「幣」の各3包に「御祓」の1包を加えて打ち交ぜ、本香は10炉焚き出します。
本香が焚き出されましたら、連衆は試香に聞き合わせて、これと思う答えを出た順に要素名で10個名乗紙に書き記して回答します。「御祓香之記」の記載例では、各自の回答欄の要素名が「晩」「川」「幣」「祓」と1文字に省略されています。答えの数が多い場合は、「要素名省略可」とし、連衆も 執筆もこれに従って1文字で記載で回答すると良いでしょう。
続いて、 本香が焚き終わり、名乗紙が返って参りましたら、執筆はこれを開き、各自の答えを香記の解答欄に「右上、左下・・・」と振り分けて「千鳥書」で書き写します。答えを写し終えましたら、香元に正解を請います。香元は、これを受けて香包を開き、正解 を宣言します。執筆はこれを聞いて香の出の欄に「千鳥書」で書き記します。
この組香の点法について、出典に明確な記載はありませんが「御祓香之記」の記載例から、客香である「御祓」の当たりは2点の加点要素があります。その他は1点ですので、満点は11点となります。そして、当った答えの右肩に点数と同じ数だけ「合点」を掛けます。
合点が掛かったところで、普通ならば下附をして香記は完成するのですが、この組香では出典に「三種の通りに依って、中段に左の名目を書き、記の奥に歌を記す」とあり、「晩夏三種共當れば 名越」「川瀬三種共當れば 御洗」「幣三種共當れば 大麻」「御祓當れば 麻の葉」と列挙され、各要素ともすべて聞き当てた場合は、それぞれ解答欄と下附の間に名目が付くこととなっています。「晩夏」には「名越」、「川瀬」には「御洗」、「幣」には「大麻」ですので、すんなりイメージが付くと思われます。「御祓」の「麻の葉」は、『蘭之園』の証歌のほか「麻の葉に波のしらゆふかけそへてこの夕べよりかよふ秋風(延文百首 足利尊氏)」(麻の葉に波の白木綿を添えて川に流せば、禊ぎの祈りは神に通うだろう。その証しに六月晦日のこの夕べから爽やかな秋風が吹き通っている)という歌もあり、御手洗川に流されていく「形代」だったようです。このようにして、例えば、全問正解の場合は「名越」「御洗」「大麻」「麻の葉」と名目が4つ付きますし、それ以外でも「川瀬」と「幣」が全て当っていれば「御洗」「大麻」が付き、「晩夏」のみ3つ当たれば「名越」のように各自の当り方によって、ふさわしい名目が書き記されます。この中段の趣向が、この組香の最大の特徴となっています。
もっとも、古典籍の「表記ゆれ」は不可避なことですが、ここに挙げられた名目の「用字」に異論がないわけではありません。「名越」は 、佐々木堂誉の所持香にもあり、香道と無縁ではないのですが、基本的には「夏越」の当て字ですので、わかりやすく「夏越」とした方がいいと思います。「御洗」は、「御手洗」の略かと思われ、そのままでは 常用での読み方もわからないので「御手洗」とすべきかと思います。さらに「大麻」は、「おおぬさ」と正しく読めば、「反社会的」と誤解されることはないですが、見た目が悪いですし、次の名目に「麻の葉」が出て「麻」の字が重複するので「大幣」に改めるべきかと思います。一方、「麻の葉」は、『蘭之園』の証歌などからも必須アイテムですので不動 で良いかとます。
そうして、執筆が「中段の名目」を書き終えたところで、いよいよ下附の段となります。下附は、全問正解に「全」、その他は点数により漢数字1文字で書き附します。「御祓」の当たりには加点要素がありますので、気を付けましょう。
最後に勝負は、最高得点者のうち、上席の方の勝ちとなります。同点の場合は、同香をすべて聞き当てた証拠である「中段の名目」の数を参考とするのも良いでしょう。
夏越しの祓では、「茅の輪」をくぐる度に唱える和歌というものがあります。
1回目『みな月のなごしの祓する人は千年の命のぶと云ふなり(拾遺集292 よみ人知らず)』(上賀茂神社はこれだけ唱える)
2回目『思うこと皆つきねとて麻の葉をきりにきりても祓ひつるかな (後拾遺集1204 和泉式部)』
3回目『宮川の清き流に禊せば祈れる事の叶はぬはなし』または『蘇民将来 蘇民将来』(地域によって異なるおまじない的なもの)
夏越しの席は、 「茅の輪」を設えて、席入りの際に皆でくぐるなどというのも一興でしょうね。皆様も半年間の「ウィルス落とし」に「御祓香」を催行されてみてはいかがでしょうか。
なお、今月の「香書目録」は、大枝流芳編の『校正十*柱香之記』を公開いたしました。そちらもお楽しみください。
ならの小川の下流にあたる明神川は生まれ故郷の沢端川に似ています。
川に入り、掛けられた橋を乗り越えたりくぐったたりして帰るのが夏の日課でした。
身をすすぐ憂きは流れて産土の川瀬の風の涼しき夕べ(921詠)
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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