三月の組香
霞や霧が春秋の山路に誘うという組香です。
とてもシンプルなので自分なりの景色を描くことに傾注しましょう。
※ このコラムではフォントがないため「」を「*柱」と表記しています。
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説明 |
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香木は、3種用意します。
要素名は、「山(やま)」「路(みち)」と「ウ」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「山」「路」は各5包、「ウ」は2包作ります。
「山」「路」のうち1包ずつを試香として焚き出します。
手元に残った「山」「路」の各4包に「ウ」 2包 を加えて下記の通り、2包ずつ5組結び合わせます。(2×5=10)
「山・山」「路・路」「山・路」「路・山」「ウ・ウ」
本香は、「二*柱開(にちゅうびらき)」で10炉焚き出します。
※ 「二*柱開」とは、2炉ごとに正解を宣言し、答えの当否を決めるやり方です。
−以降8番から11番までを5回繰り返します。−
香元は、2炉ごとに香炉に続いて「札筒(ふだづつ)」または「折居(おりすえ)」を廻します。
連衆は、2炉ごとに試香に聞き合わせて、聞の名目の書かれた「香札(こうふだ)」を1枚投票します。
香元が、正解を宣言します。
執筆は、2つの要素名から正解の名目を定めて、当たった答えのみを香記に書き記します。
点数は、「山路」の当たりは2点、その他は1点と換算します。
下附は、全問正解には「皆」、その他は点数を漢数字で書き附します。
勝負は、最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。
人混みを避けて豊かな自然に身を置くには良い季節となりました。
春の暖かい日差しが感じられる頃になりますと、野辺に出る機会も多くなります。たとえ同じ道を歩いていても草の芽吹きや花の咲き具合など、路傍の景色は日々変わっているので、決して見飽きることはありません。
みちのくの弥生は未だ「春近し」の状態ですので、里山にも二面性があって面白いものです。北斜面には雪が残り、木漏れ日の差すところだけ雪が消えて、そこから晩秋に積もった落葉が顔を出しています。まだ、雪間の萌などは見つからず、鳥の声も疎らなところに「チョロチョロ」と雪解け水が流れ落ちる音がします。快晴の中で歩みを止めれば、明るく静寂な世界が身を包みとても清浄な気持ちになります。一方、南斜面は土もフカフカとして暖かく、鳥の声もにぎやかです。昨秋に落ちたドングリからは芽が出始め、路傍の草もまだ何になるかわからない程度の新芽を伸ばしています。これから、5月のピークを迎えるまでは、新しい花笑みが折り重なるように現れくるのでしょう。苔フェチの私としては、苔の色が鮮やかに変わって繁茂していく様子も楽しみの一つです。
若い頃は、「山歩き」と言えば、登るのは「〇合目」の付く山でした。草原から広葉樹林、針葉樹林、そこから少しずつ草丈が低くなって、高山植物の生える道の先には「荒涼の美」ともいえる岩だらけの頂上がありました。私は、度々この道程と垂直分布を「人生のようだ」と表現してきたものです。しかし、年を取って来ますと、身体を垂直に持ち上げる運動が一番堪えてきます。どんどん登れる山が低くなって行くにしたがって、あれほど好きだった「荒涼の美」よりも、苔や草の生い茂る樹林の方が好きになって来ました。これは、「命満ちるものへの憧憬」なのでしょう。あとどれくらいあるか判りませんが、どうせ「賽の河原」は近づいてくるのですから、いまさら見に行かなくても良いということなのかもしれません。
思えば、九州に赴任した時の唯一の思い残しが、屋久島に行けなかったことでした。思いのほか赴任期間が短かったので、「来年の計画」がすべてご破算になったためです。屋久島は、トレッキングとしてもややハードなコースですから、あまり体躯が衰えない間に行ってみたいのですが、今年は無理そうです。これをまた「来年の計画」にして、せめて「白神山地のハイキング」程度に矮小化すれば実行可能でしょうか?なぜか今、原生林に包まれたい私です。
今月は、春秋の山歩き「山路香」(やまじこう)をご紹介いたしましょう。
山路香は、『御家流組香集(信)』に掲載のある組香です。今回は、山歩きに因んだ組香を探していましたところ、「山」「路」「ウ」を要素名として展開されるシンプルな組香を見つけました。しかし、この組香は「これでいいのか?」と思うほど簡単で聞き当てやすい構造になっており、やや採用を躊躇っていたところ、『香道蘭之園(四)』に同名の組香を発見しました。こちらは「霞」「霧」「ウ」を要素名としています。この2つの組香は、どちらも2包の組合せを聞の名目で答えるというもので、要素名と聞の名目が反対になった「似ているようで似ていない」派生組のような感じがしました。
オリジナリティを求めるとすれば、17世紀後半の香人である鈴鹿周斎から代々の伝授を菊岡沾凉(房行)が編集し、「享保十八年(1733)八月上旬」に兄である菊岡寄邦に授与された『蘭之園』の方が、19世紀前半の香人である伊与田勝由が編集した組香書を「文化九年(1812)八月四日」に弟子の癈c克誠が書写している『御家流組香集』よりも、おそらく発生年代が古いかと思います。ただ、『蘭之園』の「山路香」は、翻刻本のおかげで現代に陽の目を見ているようであり、それに埋もれてしまうのも可哀そうな気がしたことから、今回は敢えて『御家流組香集』を出典とし、『蘭之園』を別書として、お互いの対比も含めて書き進めたいと思います。
まず、この組香に証歌はありませんが、題号が「山路香」で、要素名が「山」「路」とあることから、ストレートに「山歩きの景色」を表す組香であることはどなたにもわかると思います。これを弥生の季節にふさわしいと考えたのは、聞の名目に「霞」と「霧」があったからです。この組香が作られた時代には「霞」も「霧」も春秋ともに使われていましたので、基本的には「春・秋に通じる組香」であると考えて良いでしょう。現在は春が「霞」、秋が「霧」と用語を使い分けているようですので、春に催行すれば、「春霞の立ち始める遠山を見て山路に誘われる気持ちを表す組香」となるかと考えました。直接的には、「桜」「紅葉」も「道草」すらも見えてこない小記録ですが、「山路」の中に全ての景色を想像できるか否かでこの組香の雅趣が変わってくると思います。
次に、この組香の要素名は、「山」「路」と「ウ」となっています。これは題号にある「山路」を分割しただけのものですので、何の捻りもありません。この単純さが、かえってこの組香の新骨頂ではないかと思っています。唯一、「ウ」について考察したいところですが、出典では、「ウ」と「ウ」の組合せが「山路」という名目に昇華するのみで、他の変化パターンがありませんので、これも単純に「客香」として扱われているに過ぎないと思います。
因みに、別書の要素名は、出典の聞の名目である「霞」「霧」が用いられています。また、「ウ」は、「ウを含む要素名の組合せ」をすべて「山路」に変えるという要素になっています。こちらは、小記録を見た時点で「霧と霞がなぜ山路の景色を構成するのか?」分かりにくいところが難点です。
さて、この組香の香種は3種、全体香数は12包、本香数は10炉となっており、構造は「二*柱開」である以外は至って簡単です。まず、「山」と「路」を各5包作り、「ウ」は2包作ります。出典では「本香十包五組として二*柱開きなり。初後を付けて打ち交ぜ焚き出す。山・山 山、路・路 路、山・路 霞、路・山 霧、ウ・ウ 山路」とあり、「山」と「路」から試香用として1包ずつ引き去り、残った10包を「山・山」「路・路」「山・路」「路・山」「ウ・ウ」と2包ずつ5組に結び置きするよう指定されています。
香元は、「山」「路」の各1包を試香として焚き出し、その後、5組を結びごと打ち交ぜて、結びを解き、香の前後を変えないようにして焚き出します。この組香は「二*柱開」なので、香元は2炉ごとに香炉に添えて「札筒」か「折居」を廻します。こうして、本香は2包ずつ5組に分けて、都合10炉焚き出します。
本香が焚き出されましたら、連衆は、これを聞き、試香に聞き合わせてこれと思う札を1枚打ちます。この組香の回答は「二*柱開きの札打ち」となっており、専用の香札が用意されています。札表については、答えである「山」「路」「霞」「霧」「山路」が1枚ずつで1人前5枚です。札裏には、各自の席上の仮名である名乗(なのり⇒別名:「聞き手の名目」)となる山の名が記載されています。
出典に配置された名乗は下表のとおりです。
札紋(名乗) | 説明 |
三笠山 (みかさやま) |
奈良市の市街地の東にある春日大社後方の山。[歌枕]標高342m |
三輪山 (みわやま) |
奈良県桜井市北部にある山。全山が大神(おおみわ)神社の神体となっています。[歌枕]標高467.1m |
音羽山 (おとわやま) |
京都市山科区と滋賀県大津市の境にある山。[歌枕]標高593.2 m |
小野山 (おのやま) |
京都市左京区大原にある山。中腹に音無滝(小野の滝)があります。標高は670m |
砺波山 (となみやま) |
石川県と富山県との境にある倶利伽羅峠のある山。木曽義仲が平維盛を破った「砺波山の戦い」の古戦場です。[歌枕]標高276.8m |
(うばすてやま)
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長野県の北部にある冠着山(かむりきやま)のこと。『大和物語』や『今昔物語集』では、「姥捨山」と呼ばれた姥捨伝説の地。『古今和歌集』や『拾遺和歌集』では月の名所となっています。[歌枕]標高1252.2m |
鈴鹿山 (すずかやま) |
三重・滋賀県境、鈴鹿峠付近の山々の総称。[歌枕]鈴鹿峠の標高は357m。最高峰は御池岳(おいけだけ)の1247m |
立田山(龍田山) (たつたやま) |
奈良県北西部、三郷町と大阪府との境にある山々の総称。大和から河内への交通の要衝で紅葉の名所です。[歌枕]最高峰は信貴山(しぎさん)標高437 m |
横田山 (よこたやま) |
滋賀県湖南市の南西に連なる山並みのうち野洲川付近の小山とされています。[歌枕] |
小夜山 (さよやま) |
静岡県掛川市佐夜鹿の峠のある「小夜の中山」のこと。峠にある「夜泣き石」は、夜になると泣くという伝説がある。[歌枕]標高252m |
このように、ほとんどが古来、歌に詠まれた歌枕の山です。今回、あえて標高を記載したのは、「登山」というほどではない「そんなに高くない散策できる山」というイメージを確認したかったからです。唯一、姥捨山(冠着山)が1000mを超えますが、それ以外はリュック1つで登ることができるでしょう。また、「横田山」は標高が判然としませんでしたが、写真で確認したところ小高い丘程度です。
因みに、別書では、すべて「山」を付けない2文字で列挙されているところと出典の「三笠山」が「富士」となっている以外は、山の名の配置は変わりなく見えました。ただし、翻刻本に書かれた「磯波」は現存せず、出典では「砥波」と判読できるため、こちらでは「砺波山」としました。
この組香は、同香の組合せが3つもあり、異香の組合せも試香で聞いたことのあるものなので、判別は至って簡単です。気を付けるのは、異香の組合せ「山・路」と「路・山」の前後ぐらい、客香と言っても「試香で聞いたことのない香りの組合せ」ですから造作ないでしょう。半面、お香がもったいないような気もする構造です。
因みに、別書の構造は、「十包打ち交ぜ、二*柱ききて一度に札を打つ」とあり、あらかじめ5組に結び置きすることはせず、2炉ずつの二*柱開で聞いていくので、要素名の組合せは9通りに増えます。それぞれの聞の名目にバリエーションをつければなかなか豪華な組香になる筈なので、構造としては、こちらを贔屓してしまいます。
本香の出にしたがって、連衆は、聞の名目の書かれた香札を打って答えることとなっています。前述の香組の段に付記されたとおり、聞の名目はこのように配置されています。
香の出 | 聞の名目 |
山・山 | 山 |
路・路 | 路 |
山・路 | 霞 |
路・山 | 霧 |
ウ・ウ | 山路 |
因みに、別書の聞の名目は…
霞・霞は、「霞」
霧・霧は、「霧」
ウ・ウは、「山路」
霧・霞、霞・霧は、「露」
ウ・霞、ウ・霧、霞・ウ、霧・ウは、「山路」
…と異香の組合せはすべて「露」、ウを含む組合せはすべて「山路」となっており、要素の組合せは9つとなりますが、聞の名目の数は、出典と変わらず5つのままです。香の出のバリエーションに1つ1つ名目を配せなかったことは惜しいことです。
この組香は「二*柱開」なので、組ごとに香札が帰ってきたところで、執筆は連衆の答えを書き写し、香元が正解を宣言し、執筆は香の出の欄に2つの要素名を並記します。そして執筆は、2つの要素の組合せから正解の名目を定め、当たった名目のみ香記に書き記していきます。これを5回続けますと本香が焚き終わった時点で香記はあらかた仕上がっています。普通ならば、執筆は、各自の解答欄に記載された名目の数を数えて、各自の成績を下附しますが、出典の「山路香之記」の記載例では、当たった名目に合点も掛けられています。また、その中で「山路(ウ・ウ)」の当たりには2点が掛けられていますので、この組香の点法は「山路」の当たりは2点、その他は1点と解釈していいでしょう。このようにして、所定の合点を掛け、全問正解には「皆」、その他は各自の点数を漢数字1文字で下附します。
最後に、勝負は最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。簡単に聞き当てられる組香なので、同点多数となるかもしれません。席決めは抽選とするのも良いかもしれませんね。
山路香は簡素で単純なだけに聞き手の想像力がその世界観を決めると言ってよろしいかと思います。いつもは「山歩きの代わりに組香を!」と結ぶのですが…今回は、散歩日和には近くの里山に入って、そこで見聞きした事物を家づとにして組香の景色を膨らませてみてください。
落葉の中から顔を覗かせ陽光の中で可憐に花を咲かせる
「春の妖精」は、消えてしまうからこそ儚い煌めきのような美しさがありますね。
百千鳥聲を頼りて踏み惑う花の山路の風静かなり(921詠)
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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