六月の組香

万葉の和歌をテーマにした組香です。

香記に色とりどりの紫陽花の咲く景色を味わって聞きましょう。

※ このコラムではフォントがないため「ちゅう。火へんに主と書く字」を「*柱」と表記しています。

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説明

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  1. 香木は 、3種用意します。

  2. 要素名は、「紫陽花(あじさい)」「わが背子(わがせこ)」と「見つつ思はむ(みつつしぬばむ)」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. 「紫陽花」「わが背子」は各3包作り、「見つつ思はむ」は1包作ります。(計 7包)

  5. このうち「紫陽花」「わが背子」の各1包を試香として焚き出します。(計 2包)

  6. 手元に残った「紫陽花」「わが背子」の各2包に「見つつ思はむ」の1包を加えて打ち交ぜます。(計 5包)

  7. 本香は、5炉廻ります。

  8. 点数は、見つつ思はむ」の当たりは2点、その他は1点となります。

  9. 下附は、全問正解の場合は「紫藍の大輪(しらんのたいりん)」、全問不正解は「七変化(しちへんげ)」、その他は「紫陽花」と書き附します。

  10. 勝負は、最高得点者のうち、上席の方の勝ちとなります。

 

雨後の白玉が葉先に光る季節となりました。

梅雨のぐずついたお天気の散歩コースは、しっとりとした「北山五山」巡りが似合います。「北山五山」は、伊達政宗公が城下の鬼門を封じ、街道の関門とするなど「北の守り」として築かれ、庇護を受けていた臨済宗の5寺院(資福寺、覚範寺、東昌寺、光明寺、満勝寺)のことです。これらに北山丘陵東端の「青葉神社」を含めた寺社めぐりは、荒んだこの 御時世にも「和の心」を思い出させてくれます。

仙台の観光や茶道のメッカと言えば丘陵の西端にある「輪王寺」ですが、こちらは曹洞宗ですので、「北山五山」には含まれません。ただ、「満勝寺」が移転してしまったため、その空席を埋める形で「五山」の一員とみられているところもあるようです。「輪王寺」は、仙台で最も風情のある寺院とされていますが、昨今の観光地化で整備が進み過ぎ、寺院公園のようになってしまいました。私としては、昔のように不意に行って禅を組ませてもらえるような「禅寺」の雰囲気がなくなってしまったことを残念に思っています。もちろん、散歩ルートから「輪王寺の東屋で休憩」を外すことはしませんが、私は主に「資福寺」を落着き先にしています。

「資福寺」は松島の「瑞巌寺」と同じ臨済宗妙心寺派の寺院で、6月になると「約千二百株」と言われる紫陽花が咲くことから「仙台のあじさい寺」として親しまれています。「慈雲山 資福禅寺」の寺号標を越えた細い参道で楚々と咲く、様々な紫陽花に出迎えられながら緩やかな坂道を進みますと、山門前の階段に差し掛かります。ここで花勢は一気強まり、両脇からモコモコと溢れ出てくるような 青紫色の紫陽花の波をすり抜けて登ります。山門をくぐれば、右には鐘楼、正面には何故か「二宮尊徳の像」、左には観音堂があります。そこから、本堂へ向かう参道は石造りで、途中小書院 があり、昔は紫陽花の時期だけ呈茶席が懸けられていました。本堂には「平等窟」の扁額が掛かり、壁にはステンドグラスが張られています。大きな伽藍ではありませんが、これら境内の随所に色様々な紫陽花が咲いているところが当季の見どころと言えましょう。昨今では SNS「映え」もあり、紫陽花の季節にはたくさんの観光客が訪れ、仙台の観光スポットとなっていますが、シーズンオフには、訪れる人も少なく、とても静謐で居心地の良い場所となります。

私は、この寺の本堂前の石造りのベンチに竹林に向かって座り、しばし瞑想をしています。初夏には 左右から様々な鳥が啼き交わし、時折吹く風が竹の葉を揺らすと、「さらさら」「ざざぁー」と潮騒が上から降ってくるような音風景に包まれます。視線を半眼に落とし、竹林の潔い「縦縞」をぼんやりと俯瞰しながらも落葉を伝う蟻や飛び交う花の綿毛、揺り散らされた葉などが不思議と目に入って来ます。これを「観想」というのでしょうか、見えていなくても全てが観えている感覚が味わえます。ここまでくると、我が仏頂面にもアルカイックスマイルが現れ、ストレスレベルがみるみる降下して行き、身体も暖かくなって来ます。「気」が巡った状態は気持ち良いもので、この境地からはなかなか去りがたく思えますが、敢えて私は、帰るきっかけを「拝観者のおしゃべり」と決めています。単身の拝観者は静かに背後を通り過ぎていきますが、複数になりますと、明け透けに会話のトーンが下がりますので、いずれ怪訝な気持ちにはさせているのでしょう。そこで私は、境内に会話の声がしたらトランス状態を解いて、普通の散歩爺さんに戻ることにしています。桜から紅葉の季節まで、日によっては十数分、長い時で2時間くらいになりますでしょうか、移ろう人々の波に心身を委ねるのも「自然との一体感かな」と思っています。

 今月は、花を眺めつつ貴方様を偲ぶ「紫陽花香」(あじさいこう)をご紹介いたしましょう。

「紫陽花香」は、日本香道協会の会誌『香越理(十四・十五・十六号=3年分の合冊版)』「新組香」として掲載のある組香です。この雑誌には、実に25組もの新しい組香が掲載されており、そのうち、22組は共立女子大学の香道部員だった13名のお嬢さん方の作品となっています。どの組香も三條西尭山宗家に師事していた女子大生の瑞々しい感性がよくあらわされています。今回ご紹介する組香は、志村桂子さんの作となっており、この雑誌が昭和56年1月の発行ですから、当時女子大生とすると私と同年代ですから、おそらくご存命のことと思います。今回も梅雨の時期に「紫陽花を題材とした組香は、何故ないのか ?」と探していましたところ、『香越理』に掲載があった「紫陽花香」を思い出しました。この組香は小品ですが、御家流らしい大らかな構造と機知に富んだ言葉選びなど、まさに私が習いたてだった頃の「香記の間を風が吹きすぎるような組香」を思い出されてくれました。また、当季の催行にふさわしい題号でもありますので、今回のご紹介を機に、この組香が最も香りの立つ梅雨時期の定番組香になればと願いを込めてご紹介することといたしました。著作権等うるさいことはあるかもしれませんが、ちょうど40年前のことともなりますので、志村様には引用ベースでのご紹介をお許し願えればと思います。このようなわけで、今回は『香越理』を出典として書き進めたいと思います。

まず、この組香には証歌があります。

紫陽花の八重咲くごとく八つ代にといませわが背子見つつ思はむ(万葉集4448:橘諸兄)

「安治佐為能夜敝佐久其等久 夜都与尓乎 伊麻世和我勢故 美都々思努波牟」

意味は「紫陽花が八重に咲くように貴方様もいつまでもお元気でおられるようにと花を見ながらお祈り申し上げています」ということでしょう。この歌は、天平勝寳七歳(755)5月11日に左大臣橘諸兄(たちばなのもろえ)が右大辨丹比國人真人(たじひのときひとまひと)の家に招かれて宴会をした際に 、紫陽花に寄せて亭主の長寿を願って詠ったものであることが題詞からわかります。まぁ、簡単に言えば「饗応の返礼(社交辞令)」なのです。 しかし、この状況を知らずに和歌だけを読めば、「わが背子」に心寄せる女性が「紫陽花の花を見ながら貴方様の永くこの世におわしますように願っております」という恋歌にも思え なくもありません。これならば、女子大生の創作意欲を大いに刺激したのではないかと思います。事の真偽と歌の真意はさておいて、この組香は、証歌を題材として香筵に紫陽花が咲き乱れる様子を表すことを趣旨としていると言っていいでしょう。

因みに、この証歌を調べていて気付いたのですが、『万葉集』には紫陽花を詠んだ歌は2首のみで、もう1首は、「言問わぬ木すら紫陽花諸弟(もろえ)らが、練の村戸にあざむかえけり(万葉集0773:大伴家持)」で す。こちらは、「物を言わない紫陽花のような気である私でさえも(貴女が私を慕っている)という諸弟(使者の名前)の巧みな言葉にすっかりだまされてしまいましたよ 」という恋の歌です。題詞に「大伴宿祢家持、久邇京より坂上大嬢(おおとものさかのうえのおおをとめ)に贈る歌五首」とあり、その5首を通して読むと、最初はその気のなかった家持が、坂上大嬢と歌をやり取りしている間に使者の口車に乗って、その気になってしまう様子がわかります。そして、ついに家持は坂上大嬢を妻にすることになります。

「紫陽花」は、平安の時代にはほとんど詠まれなくなったため、和歌を引用する組香の世界でも「紫陽花」を題材にしたものがなかったのではないでしょうか ?今では、梅雨に欠かせない風物詩と思える紫陽花が、それなりに賞美されつつも古典文学では何故これほど不人気だったのか・・・不思議な気がします

次に、この組香の要素名は「紫陽花」「わが背子」と「見つつ思はむ」となっており、それぞれ証歌の句から引用されています。「紫陽花」は一見主役とも思われがちですが、ここでは舞台の前景にある景色でしょう。「わが背子」は、詠み手の想いを受ける「貴方様」のことで、これが舞台には登場しない脇役となるのではないかと思います。そして、「見つつ思はむ」は、主役である「我」が紫陽花を見ながら偲んでいる情景です。つまり、この組香の舞台には「紫陽花」と「我」だけが登場して、想念の先に「背子」がいるという形で景色が構成されているような気がします。かいつまんで言えば「紫陽花を見て貴方様のことが偲ばれる」ということですから、多感な お年頃だった作者は「紫陽花に寄せる恋心」のイメージでこの組香を創作したのではないかと思います。これが、原典の状況どおり「紫陽花に寄せて客(男)が主人(男)を仰ぎ見ながらの長寿を言祝いでいる」となりますと雅趣に欠け、いささか興ざめでもあります。このようなことから、この組香は「紫陽花を見ながら背子(男)を偲ぶ我(女)の姿」を想像して聞く方が、作意に沿った香席になるのではないかと思います。

さて、この組香の香種は3種、全体香数は7香、本香数は5炉となっており、その構造は至って簡素です。まず、「紫陽花」と「わが背子」は3包ずつ、「見つつ思はむ」は1包作ります。次に、「紫陽花」と「わが背子」のうち各1包を試香として焚き出します。そして、手元に残った「紫陽花」「わが背子」の各2包に「見つつ思はむ」の1包を加えて打ち交ぜ、本香は5炉焚き出します。

ここで、出典には、組香の「小記録」が掲載されているだけですので、ここから先は、一般的な御家流の流れで筆を進めて参ります。

本香が焚き出されましたら、連衆はこれを聞き、試香に聞き合わせて、これと思う要素名を名乗紙に5つ書き記して回答ます。

本香が焚き終わり、名乗紙が返って参りましたら、執筆は連衆の答えすべて書き写します。答えを書き終えたところで、執筆は正解を請い、香元は香包を開いて正解を宣言します。

執筆はこれを聞き、香記の香の出の欄に正解を要素名で書き記し、各自の答えを横に身ながら、当たった答えに合点を掛けます。点数は、客香である「見つつ思はむ」は2点、その他は1点とすると、全問正解の6点が「6月」に繋がります。昭和の組香ですから「旧歴5月」に寄せなくともよいかと思いますが、客香に加点要素を設けなければ全問正解を「5点」にすることもできます。

正解に合点を掛け終えましたら、執筆は各自の成績によって下附を書き附します。

この組香で用意された下附は次の3パターンです。

成績 下附 解釈
全問正解 紫藍の大輪 「紫藍」は紫と藍が入り混じった色のことで、「紫陽花が大きく花開いた」ことを表します。
全問不正解 七変化 これは、土壌や環境によってさまざまに色を変える紫陽花を表し「花の色が七変化してとらえどころがなかったわね」と慰める御家流らしい下附だと思います。
その他 紫陽花 これは、香記を紫陽花で埋め尽くすための趣向でしょう。

このような下附によって、香記には、連衆の数だけ様々な紫陽花が咲くこととなりますので、点数と見合わせて 、それぞれの花房の数を想像するのも良いでしょう。すると香記が「邸宅の坪庭」や「あじさい寺」に見えて来るかもしれません。そこに「わが背子」まで思い描けましたら、まだまだ 皆さんの恋心は衰えてないということですね。ω∂。∂ω

最後に勝負は、最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。

雨の降る日は、縁側から庭の紫陽花を眺めて、物思いに耽るのも良い梅雨の暮らし方です。皆様も「紫陽花香」で、「八つ代にいませ…」と願う方を思い起こしてみてはいかがでしょうか。

 

私の好きなガクアジサイの花言葉は「謙虚」

楚々として美しければ「七変化」でも好きです。

とりどりに蝶を惑わす紫陽花の四片に宿る甘露はあらじ(921詠)

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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