姥捨山の「田ごとの月」をテーマにした組香です。
香記に現れる「月」たちの醸し出す景色を味わいましょう。
−年に1度の初心者用解説付きバージョンです。−
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説明 |
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香木は4種用意します。
要素名(ようそめい)は、「山田(やまだ)」「田面( たのも)」「田中(たなか)」 と「名月(めいげつ)」です。
※「要素名」とは、組香の景色を構成するためにそれぞれの香に付された言葉です。
香名(こうめい)と木所(きどころ)は、景色のために書きましたので、季節感や趣旨に合うものを自由に組んでください。
※「香名」とは、香木そのものにつけられた固有名詞で、あらかじめ規定された要素名とは違って自由に決めることが出来ます。組香の景色をつくるために、香木の名前もそれに因んだものを使うことが多く、香人の美意識の現われやすい所です。
※「木所」とは、7種類に分かれた香木の大まかな分類のことです。
まず、「山田」「田面」「田中」を各4包、「 名月」 を1包作ります。(計13包)
次に、「山田」「田面」「田中」 のうち各1包を試香(こころみこう)として焚き出します。(計3包)
※「試香」とは、香木の印象を覚えてもらうために「山田でございます。」とあらかじめ宣言して廻すお香です。
試香で残った「山田」「田面」「田中」の各3包 に「名月」の1包を加えて打ち交ぜ(うちまぜ)ます。(3×3+1=10包)
※「打ち交ぜ」とは、シャッフルのことで、香包を順序不同に混ぜる合わせることです。
本香(ほんこう)は、10炉廻ります。
※「本香」とは、聞き当ててもらうために匿名で焚くお香です。連衆は、このお香と試香の異同を判別して答えを導きます。
香元は、香炉に添えて折居(おりすえ)を廻します。
※「折居」とは、回答となる香札を投票し、それを回収するための折紙です。
連衆(れんじゅう)は、試香に聞き合せて、これと思う要素名の書かれた香札(こうふだ)1枚打って回答します。
※「連衆」とは、香席に参加しているお客様のことです。連歌の世界では「れんしゅ」とも言われています。
※「香札」とは、回答に使用される答えの書かれた木札です。
本香が焚き終わると香元は、香包(こうづつみ)を開き、正解を宣言します。
※「香包」とは、香木の入った畳紙のことで、「試香包」と「本香包」に別れています。
執筆(しっぴつ)は、正解と各自の答えを確認して、「月(つき)」「清光(せいこう)」「不知(しらず)」等、所定の名目を香記(こうき)に書き記します。(委細後述)
※「執筆」とは、組香の記録を書き記す担当の人のことで、連歌の世界では「しゅひつ」と読み、流派によっては「筆者(ひっしゃ)」とも言います。
※「香記」とは、香席の景色全体を表す成績表のようなもので、最後に組香の勝者に授与されます。
点数は、「名月」の独聞(ひとりぎき)は 3点、「名月」の当りは2点、その他は各要素の当たりにつき1点とします。
※「独聞」とは、連衆の中で唯一当った場合のことです。
下附(したづけ)は、全問正解は「皆」、その他は点数を書き付 します。
※「下附」とは、各自の成績を表す得点や点数の代わりに付される言葉です。
勝負は、最高得点者のうち上席の方の勝ちとします。
秋の実りが蓄えられ、蔵の中がもっとも豊かな季節となりました。
神無月の声を聴きますと街の蕎麦屋さんには「新そば」の幟や貼り紙が見られるようになります。収穫したての新蕎麦は清々しい香りと淡いうぐいす色、艶々とした若々しい肌が魅力ですね。江戸っ子の蕎麦っ喰いならば、9月下旬頃から「新そば」の掲げられた店に飛び込んで、早生や早刈の玄蕎麦で打たれた季節の味を「一番乗り!」とばかりに手繰るのでしょう。江戸前の蕎麦は、東京下町生まれで味濃いめの「藪」、信州生まれで肌が白く味甘めの「更科」、豊臣秀吉の大坂城築城が起源と言われ、室町時代のまで歴史を遡ることができる「砂場」が「御三家」として、他地域の蕎麦粉に頼りつつも代々の味とスタイルを貫いています。
一方、田舎育ちの私は、蕎麦といえば「地粉」で打ったものと決めており、10月初めに市内の蕎麦屋で「北海道早生」の「新そば」を味わった後は、食欲をグッと堪えて、新蕎麦の解禁日から本格的な「新そばシーズン」に入ります。「地粉100%」が必ずしも旨いという保証はありませんが、これはワイン同様、その地方や店ごとの個性を味わう愉しみとも言えましょう。毎年11月1日は、山形県村山市大久保の「あらきそば」と決まっており、その周辺で「でわかおり」の新蕎麦を極めた後は、大石田町次年子あたりで「来迎時在来」の新蕎麦に移り、その合間に宮城県の岩出山、蔵王、秋保、川崎と東西南北行ったり来たりして年末まで食べ歩きします。寒冷地で土地も痩せていた東北の田舎には生活に目指した手打ち蕎麦の文化がありますので、岩手県の薮川、福島県の会津一帯など、内陸部にたくさんの名店があります。しかし、宮城県だけは、「伊達政宗の御手打ち禁止令」を守っていたため?「手打ち麺」の歴史が浅く、多くは山形蕎麦の輸入文化となっています。そのため、初めから地粉を使っていない名店や人気になりすぎて地粉が足りなくなり、他地域産を混ぜたり、地粉打ちは別メニューにしている名店もあります。また、もともと地元の食文化に支えられているわけでもないので、外来者だけではコロナ禍で商売が成り立たず、撤退する山奥の名店も出てきました。「ここまで来ればおいしいものが食べられるよ」という田園グルメの商売も厳しい状況にあるようです。
誰憚ることのない「蕎麦っ喰い」の私ですが、実は「蕎麦アレルギー」を持っています!(^^)!。新蕎麦を「美味しい!」と思って食べると舌先に弱い痺れを感じ、帰り道に温泉に入ると夜には蕁麻疹が出ます。蕁麻疹は1週間ほど続くので厄介なことではありますが、私には、もはやこれが「美味しい蕎麦」のバロメータとなっており、蕁麻疹の出ない蕎麦は「普通。。。」と評価をしてしまうようになってしまいました。また、山奥まで車を飛ばした後に心と体を癒す「温泉」も諦められないので、蕁麻疹はもはや必要悪だと思っています。昨年の新蕎麦シーズンは「自粛」がやや緩んだ頃でしたが、それでも県境を越えるのが憚られる雰囲気がありました。今年は、「ワクチン接種済」を免罪符に「命を的に蕎麦三昧」できるのでしょうか?疫病退散に期待しています。
今月は、棚田に映る田毎の月「更科香」(さらしなこう)をご紹介いたしましょう。
「更科香」は、『御家流組香集(信)』に掲載のある秋の組香です。今月も時節の組香を探しておりましたところ、「名月」が客香となっている組香を発見しました。他の要素名は「田」の付く言葉でラインナップされ、題号は「更科香」となっていますので、長野県の田んぼから見る「名月」の風景だろうということは察しがつきました。そうして調べて行きましたところ「田ごとの月」というキーワードに尋ね当り、そこに広がる棚田と冴えた月の景色が見えて来ましたので、この季にご紹介することといたしました。今回は、他書に類例もないことから、『御家流組香集』を出典として、書き進めてまいりたいと思います。
まず、この組香に証歌はありません。題号の「更科香」もすんなりと景色を結ぶものではないため、要素名から「田ごとの月」を導き出すのもやや難儀しました。「更科」とは、長野県千曲市南部の地名で、今では上質な蕎麦の産地として有名ですが、「姨捨山伝説」や「田ごとの月」などでも有名な土地です。平安時代の『大和物語』で信濃国更科の「姥捨て伝説」が広まり、そこから「わが心なぐさめかねつ更科や姥捨て山に照る月をみて(古今和歌集878 詠み人知らず)」の名歌も生まれて「月の名所」になりました。「田ごとの月」とは、古くは、姨捨山(おばすてやま)のふもと、「姨捨山放光院長楽寺」の持田である「四十八枚田」の一つ一つに映る月のこととされています。今では、「姨捨の棚田」として、国の「重要文化的景観」や「日本の棚田百選」にも選定され、大きさや形の異なる水田が1500余りも連なり、郷愁あふれる風景を呈しています。
ここで、「田毎の月」については、2つのミステリーがあります。その一つは、歌川広重の描いた「信州更級田毎の月」です。これには、棚田の一つ一つにすべて月が映って、田んぼが「妖怪百目」のようになっていますが、光学的には同じ視点からその瞬間に見える月は1つの田んぼにしか映らない筈なのです。棚田の水面が自分の方に傾斜する訳はないので、月と人とを結ぶ光線は1本しか眼には映りません。つまり「田ごとの月」を見るには、見る方が移動してそれぞれの田んぼに映る月を愛でるか、一定時間そこに留まって、田んぼを渡っていく月の移ろいを見つめるしかないというわけです。もう一つは、この組香の季節感にも関わるのですが、名月の時期には、田んぼは刈取り前後の水抜きが行われているので、月を映す水鏡がない筈という現実です。そのため「姨捨の棚田」は、本格的な田植えシーズンを前に水が張られた5月が見ごろとなっています。「名月」は厳然と秋の季語なのですが、「田ごとの月が秋の景色なのか?」については、昔から曖昧模糊としたままで用いられているようです。
因みに、「更科」と「田ごとの月」を結びつける古歌はありませんが、江戸時代後期の読本作者である上田秋成が「更科や姥捨山の風さえて田ごとに氷る冬の夜の月(藤簍冊子376 上田秋成) 」と詠んでおり、冬であれば氷面鏡に映る月が見られるようです。
このように、若干のミステリーはありますが、この組香は、更科の棚田に映る名月を景色としていることは間違いないと思います。
次に、この組香の要素名は、「山田」「田面」「田中」と「名月」となっています。要素名の配置は「山の田んぼ」→「田んぼの中」→「田んぼの水面」と並べれば、徐々に巨視から微視へと視点が絞られていくような雰囲気は感じますが、「山田の月」「田面の月」「田中の月」と端的に詠まれた和歌には尋ね当りませんでした。おそらく要素名は、月の映る田んぼをどのような視点で見たかを形容しているのだと思います。
さて、この組香の香種は4種、全体香数は13包、本香数は10炉となっており、構造は「有試十*柱香」と同じです。まず、「山田」「田面」「田中」は4包ずつ作り、「名月」は1包作ります。次に、「山田」「田面」「田中」のうち各1包を試香として焚き出します。そうして、手元に残った「山田」「田面」「田中」の各3包に「名月」の1包を加えて打ち交ぜ、本香は10炉廻ります。
これについて、出典には「本香、十*柱香の如く聞き、札を折居に入れ置く」とあり、回答には香札を使して「札打ちの後開き」で行うこととされています。また、使用する香札については、「札紋」として、「秋光、桂花、萩露、初霜、棹雫、古里、初雁、古寺、濱竹、姥石」が列挙されており、押しなべて仲秋から晩秋の景色が観えるラインナップとなっています。その中で地域性のあるものをとらえてみると「古寺」とは、「四十八枚田」持っていた「姨捨山放光院長楽寺」のことではないかと推察します。「長楽寺」の姿が見えて来ますと「桂花」もそのまま「月の桂」とするよりも千曲市の天然記念物となっている長楽寺の「桂の木」と解した方が視点も定まります。また「姥石」は、明らかに長楽寺境内の「姥石」を指していると思われます。最後に「濱竹」だけが、山の景色ではなく奇異に感じますので、これは書写のミスか私の誤読かもしれません。なお、更科には「放光院長楽寺十三景」(冠着山、更級川、田毎月、桂樹、姥石、甥石、姪石、宝ヶ池、子袋石、鏡台山、有明山、一重山、雲井橋)がありますので、これらを名乗として用いるのも一考かと思います。
続いて、本香が焚き出されましたら、連衆はこれを聞き、試香と聞き合せてこれと思う香札を1枚打ちます。こうして、本香が焚き終わるまでは、香札を折居の中に入れ順に並べておきます。
本香が焚き終わりましたら、執筆は香元に正解を請います。香元は香包を開けて正解を宣言します。ここで、出典では「香終りて、記録先ず出香より記し、聞き人のあたりたるは、いずれも月と記す。不中は不知、名月のあたりは清光と書き…」とあり、香元の正解を聞いた執筆は、まず香の出の欄に要素名を出た順に書き記します。その後、「一」から「十」の折居を順次開けて各自の当否を確認し、地の香である「山田」「田面」「田中」の当りは「月」、「名月」の当りは「清光」と書き、外れはすべて「不知」と回答欄に書き記します。このように地の香の当りをすべて「月」と書き記すところが、「田ごとの月」を表している訳です。当りが多ければ、香記の解答欄は、それこそ「広重の浮世絵」のごとく「月」がたくさん並ぶことになります。一方、「名月」の当りは、冴えた月の光を意味する「清光」と書き、水面の反射ではなく、天空の月を直接見たということを表しています。なお、聞き外しには「不知」と書き記しますが、これは直接的に「知らず」と読んで、この時期に名月を知らない「愚かさ」を表すとすべきなのか、「不知夜(いざよい)」の意味で「見過ごした」とすべきなのか、読み方も含めて解釈に迷っています。御家流的には「見過ごしたのねぇ〜」の方が優しい気がしていますが、肝心の「夜」の文字が抜けているのでなんとも言えません。
各自の解答欄を書き終えましたら、当りの「月」に合点を掛けます。点法については、出典に「名月のあたりは清光と書き、独聞は三点、二人より二点」と加点要素のみ記載されており、「更科香之記」の記載例と合わせ見ますと「名月」の当り(「清光」)の独聞には3点、「名月」の当りが複数人いる場合は2点、「山田」「田面」「田中」の当り(「月」)には1点を掛けることになっています。得点も同じように換算しますので、最高得点は、「名月」独聞した場合の全問正解で12点となりますが、この組香の下附は、全問正解には「皆」、その他は各自の得点を漢数字で書き附します。
最後に、勝負は最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。
名月の夜は、棚田のマルチディスプレイに映し出された
「田ごとの空」も幻想的で美しいと感じます。
月は1つでも夜空の星と雲は田ごとに様々な広がりを見せてくれます。
野にありて艶の夜遊を極めしは田ごとの空に通ふ月かも(921詠)
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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