五月の組香

 

兜飾り

「仁」「義」「礼」「智」「信」の五つの徳目思い出す組香です。

本香が25炉も出る規模の大きさが特徴です。

 

 

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説明

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  1. 香木は、 5種用意します。

  2. 要素名は、「仁(じん)」「義(ぎ)」「礼(れい)」「智(ち)」「信(しん)」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節感や趣旨に合うものを自由に組んでください。

  4. 「仁」「義」「礼」「智」「信」は各5包作ります。(計25包)

  5. 「仁」「義」「礼」「智」「信」を1種類ずつ 使って、5包ずつ5組に結び置きします。5×=計25包)

  6. 本香は、5包ずつ5組都合25炉焚き出します。

  7. まず、1組目の結びを解き、5包を打ち交ぜて5炉焚き出します。

  8. 香の出がどのように出ても、連衆は順に「仁」「義」「礼」「智」「信」と答えます。

  9. 2組目以降は、1組目の香の出を試香と見立てて、これに聞き合せて回答します。

  10. 連衆は、「短冊」か「名乗紙」に>各組5つの要素名を出た順に

  11. (計25個)
  12. 点数は、要素名の当りにつき1点とし、合点を掛けます。

  13. 下附は、5種全てを聞き当てた組 の数によって書き附します。 (委細後述)

  14. 勝負は、最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。

 

樹々の香りを楽しむため人気のない場所に 足の向く季節となりました。

コロナが発生する以前からマスクをし、スマホにイヤホンでゲームに興じながら「優先席」に座る若者や点字ブロックをさも優先道のように歩く「ながらスマホ族」が多いことに人心の薄れを感じながら「ああいう格好で『私は、いま社会に関わっていませんよ〜』『なお、ご注意も受け付けませんよ〜』という意思表示をしているんだな。」と寂しい気持ちになっていましたが、コロナ禍が長期化して、マスクで人の表情が見えづらくなり、対面での関わりが少なくなったという気安さからか、このような「法律は守るけど、エチケットは気にしない」という振る舞いは、年齢・性別を問わずに次第に広がってきたような気がします。

私が義務教育を受けていた頃、週に1回だけあった「道徳」の授業は、主に「偉人伝」の読み解きから始まり、生徒たちに高度成長期の「大志」を抱かせる目的で行われていたように感じます。ただし、そこには「儒教的な倫理観」が根底にあり、「忠孝」は必須で、「成果を世話になった地域や社会全体に還元した人が真の成功者」という意識がありました。文科省の指導要領によれば、現代の道徳教育も「自立した一人の人間として人生を他者とともにより良く生きる人格を形成することを目指すもの」と位置づけされており、この点では昭和のそれと変わりないように思えます。しかし、「良く生きる人格を形成する」手段については、「高い倫理観」を持つべきことの他に、「多様な価値観」を認めることや他者との「対話や協働」が必須という点が異なります。つまり、皆で話し合いながら、先生たちの大好きな「豊かな心」「確かな学力」「健やかな体」に立脚した「生きる力」を育むらしいのですが、属性のそう変わらない生徒同士で生まれた結論が本当に「正論」と言えるのかと疑ってしまいます。そうして、学校で「そういう意見もあるよね〜」と言いたい放題を諫められなかった「個人的な価値観」からは、「他者とともに」が抜け落ちていますが、それもジェンダーフリー、ハラスメントフリー、ダイバシティ時代に養護されていますので、社会は容認せざるを得ません。このようにして「人道」そのものが「個」を尊重するあまり、たくさんの「小径」に分かれて、「公衆道徳」 や人と人との間にあるべき「徳目」を論じる場が消えてしまったのではないかと思います。

「徳目」と言えば、私が中学に入ってから2年間、毎日テレビに釘付けになっていた人形劇「新八犬伝」を思い出します。これは、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』をもとに「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の珠を持つ八犬士が、怨霊や妖怪を相手に戦いを繰り広げる奇想天外な活劇でした。主題歌の一節だった「いざとなったら珠を出せ♪力が溢れる不思議な珠を〜♪」は、今でも私の脳裏を廻り、不意に口をついて出ることもあります。坂本九の軽妙なナレーションもさることながら、既に「中人」だった私がのめり込んだ最大の原因は、辻村ジュサブローの人形の高い芸術性でした。中でも「われこそは、玉梓が怨霊〜!」と登場する「玉梓」はひときわ大きく美しく…最初はおどろおどろしくて嫌悪を覚えたものの、物語が進むにしたがって「待ってました!大統領!」的なノリで食い入るようになっていました。ジュサブローの人形は、見る角度により表情が変わり、あたかも魂が宿っているようで見飽きることはなく、「いつかは、実物見たい」と願い、大人なってから人形町のアトリエや回顧展などに足を運び、改めて精緻な作りに感銘を覚えたものです。

このようにして「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」は空覚えで、意味が分かったのはかなり後のことだったのですが、現在の自分はどれほどの徳目を身に着けているのかと時々顧みることがあります。古来、社会の崩壊は「徳(精神的な卓越性)」→「仁(愛)」→「義(道理や法律)」→「礼(礼節や礼式)」の順に失われ、「礼」までも失われれば、人は動物と同じになり 、天下が大いに乱れると言います。SNSによる「指殺人」や私利私欲の「戦争」も「個の価値観」の暴挙人心が失われていく過程で惹き起こされる「乱れ」なのかもしれませんね。

今月は、人としての徳目を思い出させる「五常香」(ごじょうこう)をご紹介いたしましょう。

「五常香」は、杉本文太郎著『香道』に掲載のある組香です。『香道』の目次には「五」と記載がありますので、志野流系の「五十組」に分類される組香なのだと思います。同名異組は、聞香秘録の『香道萩のしほり(下)』にも掲載があり、こちらは五種組で「仁」「義」「礼」「智」「信」を2包ずつ作り、うち1包ずつを試香として、手元に残った5包を要素名のまま聞き当てるというもので、木所をすべて変えれば、「要素名の付いた達香」のようなものになります。今月は、米川常伯の極めた五味香を聞く会の予定もあったものですから、最初は、こちらをご紹介しようと考えたのですが、あまりにも解説すべきことがないという嫌いがありました。そこで、同名異組を探していたところ構造に特徴があり、香の出や下附等も多彩な「五常香」を見つけましたので、五月の「五」に掛けて今回ご紹介することといたしました。このようなわけで、今回は『香道』を出典として、書き進めて参りたいと思います。

まず、この組香に証歌はありませんが、「五常香」という題号から、主旨を察することができる方もいらっしゃるのではないでしょうか。「五常」とは、儒教に説かれた「人間として守り尊ぶべき五つの徳(仁、義、礼、智、信)」のことです。「五常」の「常」は、「ずっと昔から、永遠に変わらないこと。不変の価値があること。」という意味です。儒教の祖である孔子(春秋時代)は「仁」を最高の道徳としました。後世に現れた孟子(戦国時代)は、人間性に根ざす主要な徳目として「仁」「義」「礼」「智」の4つを説きました。さらに時代を経て、董仲舒(とうちゅうじょ:前漢)は、これに「信」を加えて「五常」とするようになりました。中国の検索サイト「百度百科」によれば、「五常は、中国の倫理の発展に浸透し、中国の価値システムの中核的要因となっています。」とあり、一党独裁の現代の中国社会でも人々の精神的根底を成しているようです。このように、この組香は、人々が大切にすべき5つの徳目を香によって呼び覚ますことが主旨となっています。

次に、この組香の要素名は、「仁」「義」「礼」「智」「信」の5つの徳目が配置されています。「仁」とは、人を思いやる他人への愛情のことです。「義」とは、法理をわきまえ、利欲にとらわれず成すべきことを成すことです。「礼」とは、上下関係を守るための節度や慎みのことです。「智」とは、道理をよく知り得て、感情的にならず善意の判断を下すことです。そして、「信」とは、友誼に厚く、噓をつかず誠実なことです。

因みに、「五常」の発生には、やはり五行思想に寄せる動きもあったのでしょう。『漢書』「律歴志(りつれきし)」によれば、「仁は春(木)、義は秋(金)、礼は夏(火)、智は冬(水)、信は中央(土)」という対応も見られます。また、「五常」は、「信」を礎として「智」→「礼」→「義」→「仁」と積み上がる人徳の5階層を形成しているとも言われます。

さて、この組香の香種は5種、全体香数は25香、本香数も25炉となっており、この規模の大きさが第一の特徴と言えましょう。構造にも特徴がありますが、これは一旦「有試十*柱香」をイメージしておいていただければと思います。まず、「仁」「義」「礼」「智」「信」を各5包作ります。次に、「仁」「義」「礼」「智」「信」を1種類ずつ使って、5包×5組に結び置きします。この組香には試香がなく、本香は5包×5組を打ち交ぜて都合25炉が焚き出されます。

香元は、1組目の結びを解き、5包を打ち交ぜて5炉焚き出します。連衆はこれを聞き、香の出にかかわらず、名乗紙に「仁」「義」「礼」「智」「信」と書き記します。この時点で要素名の「仁」「義」「礼」「智」「信」は一旦切り離され、試香としての「仁」「義」「礼」「智」「信」に変わります。次に、2組目の結びを解いて5包を打ち交ぜて焚き出します。2組目以降の聞き方は「1組目を試香 に見立てた五*柱香」と考えてください。つまり、連衆は、1組目の1炉目に出て「仁」とした香の同香は「仁」と答え、1組目の2炉目に出て「義」とした香りの同香は「 義」と答え、「礼」「智」「信」もこれに倣います。そうして、1組目を「試香」として、2組目から5組目まで「有試五*柱香」を4回続けます。連衆は 、その都度試香に聞き合せて、答えを書き記していきます。

この組香は、「名乗紙使用の後開き」となっていますので、連衆は各組ごとに答えを5つずつ縦一列に記載していきます。これについて、出典では「短冊」の記載例として、志野流で用いる「香銘短冊」のような縦長の紙の三つ折りの 「中段に1組〜3組、下段に4組〜5組と2段に書き、下段の左隅に名乗を書く」ように図示されています。また、「記紙ならば大きくして二折り目から奥に五行に認める」と もあり、要素名が多いために解答用紙を工夫すべきことが記載されています。これらは、「記紙」が小さい志野流系の伝書であるため付記されたことかと思います。比較的大きい「手記録紙」を用いる御家流系では、所定の場所に上下段を分けて小さく書けばなんとか収まるのではないかと思いますが、余裕をとって「二折り目から奥に五行に認める」という方法でもよろしいかと思います。

本香が焚き終わり、名乗紙が返って参りましたら、香元は香包を開き正解を宣言します。執筆はこれを聞き、香の出の欄に1組〜3組を右に、4組〜5組を左に2行に書き記します。その後、執筆は名乗紙を開いて、「当たった答えのみを書き写 す」というのが原典の本則らしいのですが、細かく2行に書く解答欄に空白部分があるのでとても書きづらいと思います。そこで、出典では、「残らず書付け当りの点を掛ける方が却って書き易い」とあり、「五常香之記」の記載例では、通常通り回答をすべて書き写し、当たった答えに合点を掛ける形で掲載されていますので、以降はこの方式に則って筆を進めます。

答えを書き写しましたら、執筆は、香の出の要素名と回答の要素名を読み替えて、同香を聞 き当ているものに合点を掛けていきます。出典には「つがひにて聞く」とだけ書かれていますが、この組香は、当否の判別になかなか難しいところがありますので、表に示しておきます。

香の出と回答の例 青字が外れ、赤字が当り)

 

香の出

回答例

正解

1組目

「信」「礼」「智」「仁」「義」

「仁」「義」「礼」「智」「信」

「仁」「義」「礼」「智」「信」

2組目

「智」「仁」「義」「信」「礼」

「礼」「仁」「智」「信」「義」

「礼」「智」「信」「仁」「義」

3組目

「義」「礼」「信」「智」「仁」

「義」「仁」「信」「礼」「智」

「信」「義」「仁」「礼」「智」

4組目

「仁」「義」「礼」「智」「信」

「仁」「智」「信」「礼」「義」

「智」「信」「義」「礼」「仁」

5組目

「礼」「仁」「義」「智」「信」

「信」「智」「義」「礼」「仁」

「義」「智」「信」「礼」「仁」

このように、 上の例の場合は「信」→「仁」、「礼」→「義」、「智」→「礼」、「仁」→「智」、「義」→「信」と正しく変換して回答した場合が正解となります。それでは「1組目は必ず正解するのではないか ?」と思われる方がいらっしゃるかもしませんが、そこは無試十*柱香と同じ「つがひ(つるび)」で当りとなるので、1組目で「信」を「仁」と答えたものが、他のどの組でも同香(「信」を「仁」)を聞き当てていなければ、1組目にも合点は付きません。このようにして、執筆は、香の出を横に見て、信を仁、信を仁…」と呟きながら、解答欄の要素名が「1組目の要素変換と同香を聞き当てている答え」に合点を掛けて行きます。なお、この組香の点法は、「五常香之記」の記載例によれば、要素名の当りにつき1点となっています。

こうして執筆が合点を掛け終えましたら、次に下附の段となります。出典には「全には(五常)と書き、他は五種通りたるには名目がある。点多きも五種通らぬには名目がない。名目は一組は(一徳)、二組は(二柄)、三組は(三綱)、四組は(四行)、五組は(五常)、一組も通らぬは(釈教)と記す。」とあり、組ごとに「仁」「義」「礼」「智」「信」の5種とも聞き当てた場合、その組の数に見合った下附が書き附されるようになっています。

下附の意味

組の数

下附

説明

一組

一徳(いっとく)

一つの徳目のことで、一つの立派な性質や行ないや純粋で汚れない徳性を示します。

二組

二柄(にへい)

韓非子が説いた君子のもつ「賞罰の権」のことで、「刑」と「徳」が人を動かし、組織を動かす根底とされています。

三組

三綱(さんこう)

「君臣」「父子」「夫婦」間の上下の秩序のことで、尊者に対する服従を道徳とする考え方です。「五常」と合わせた「三綱五常」が「天下の常道」とされています。

四組

四行(しこう)

父母子への「孝」、兄への「悌」、君主への「忠」、友への「信」という4つの道のことです。

五組

五常

-前述のとおり-

無組

釈教(しゃっきょう)

釈迦の教えのことです。

このように下附は、凡そ儒教が説いた「人間のあるべき姿」が配置されています。「儒教」とは、太古から純粋で真心があり、義理人情にも厚く、誠実だった人間が堕落しはじめた時代に「世を憂いて」発生していますから、「あるべき社会の姿」が常に念頭にあります。その「理想的な社会」をシステムとして維持するためには、構成員がそれぞれの立場で「父子、君臣、夫婦、長幼、朋友」を大切にして、「真心」を以って相互の関係を正しく維持していくことが必要であるという教えだと思います。

一方、「仏教」は、「社会」という概念すらそもそも無く、あくまで「個人の正しい生き方」について「私たちは何を心がけていかなければならないのか」という教えだと思います。正しい個人が世を救うこともあるのですから、全く無関係ではありませんが、仏教は少なくとも立場の上下を論じた組織構築論ではないと思います。この点、 一組もコンプリートできなかった「無組」「釈教」だけが「あなたは仏様に教えてもらいなさい」と埒外に蹴り出されている感じが、奇異でもありますが面白いとも思います。

この組香の点法は、要素名の当りに付き1点と換算しますが、点数は 書き附さず、各自の成績は合点の数で表されます。

最後に、勝負は最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。同点の場合は「徳の高さ」を比べて、上位の下附のある方を優先させればよろしいかと思います。

この組香は、何しろ本香数が多いので、焚く方も聞く方も書く方もかなりの労力が必要となります。皆さんも初夏の一日、時間と香木を惜しまずに「五常香」で「徳行」を積んでみてはいかがでしょうか。

 

 

「君は君のままで良いんだよ」という美辞麗句がありますが・・・

自ら歩んだ道を後に誰も通らなければ「獣道」になりすよね。

他人様と出会い・歩み・交わる「交差点」も必要だと思います。

藤かづら真木の枝葉を覆うごと千々に乱れて我が陽を求む(921詠)

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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