波間に銀鱗を探す涼しげな景色の組香です。
漁獲に見合った漁法が下附となっています。
※ このコラムではフォントがないため「」を「*柱」と表記しています。
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説明 |
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香木は、2種用意します。
要素名は、「魚( うお)」と「波(なみ)」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「魚」は3包、「波」は5包作ります。(計 8包)
この組香に試香はありません。
「魚」3包と「波」5包を打ち交ぜます。(計 8包)
本香は、8炉焚き出します。
連衆は、香の異同を判別して、3包出たものは「魚」、5包は「波」とします。
当否は、「魚」の当りにのみ合点を掛け、「波」は聞き捨てとします。
点数は、「魚」の当り数により下附で示します。
下附は、「魚」が3尾当れば「網(あみ)」、2尾当れば「叉手(さで)」、1尾当れば「釣(つり)」となり、全く当らなかった場合は「大風(おおかぜ)」となります。。
勝負は、最高得点者のうち、上席の方の勝ちとなります。
波と水しぶきの煌めきが清々しい季節もあと少しとなりました。
暦の上では既に秋ですが、今年の「盛夏」は有ったような…、無かったような…、不思議な感覚で過ぎて行きました。仙台では、「梅雨」と言われた時期がたった2週間で終わり、6月29日には「夏」が訪れたわけですが、梅雨明け宣言後は、ずっと雨が降り続いて、こちらの方が本格的な梅雨のようでした。東北では「夏は7月下旬からお盆まで」というのが相場ですが、6月の猛暑を除けば、結局いつもどおり夏は短く、8月の太陽さんの頑張りに大いに期待しています。野育ちの私にとって、「避暑」と言えば「川遊び」で、現在は秋保温泉の奥地にある「二口渓谷」の「姉滝」がマイブームです。谷を折り、浅瀬を歩いて中洲に渡り、ころあいの岩に腰を下ろして、滝のミストを浴びながらお弁当を食べるという安近短な「避暑」が、私の心身を十分にリフレッシュしてくれます。
熊本に「三学庵」を結んでいた頃、水前寺江津湖公園の中にある「じゃぶじゃぶ池」を見つけ、幼少期の水遊びを思い出しました。そこは、湧水池の綺麗な浅瀬で、子供たちが網とバケツを持ち、エビ、カニ、ヤゴなど、思い思いの獲物を追う姿が、昭和の川遊びそのものでした。「じゃぶじゃぶ池」は、全国各地に整備されていますが、これほど自然豊かな親水公園は見たことがなく、懐かしさに一目惚れして散歩の定番ルートに加えたものです。
幼少期の私は、川に囲まれた土地柄でしたので、近くの小川の浅瀬で水浴びをしたり、ハンカチを四ツ手網のように広げてメダカを獲ったりして遊びました。小学校になるとお大きな川の近くに引っ越したのをきっかけに釣道具を買ってもらい、河原に出かけて釣りをしましたが、一匹も釣れたことがなかったため、あっという間に道具はお蔵入りしました。初めて、「釣果」というものを得たのは、おばあちゃん家の用水堀でカエルを餌にザリガニを釣った時だと思います。その後、私が釣竿を手にしたのは、大学生の時…「夜遊び」の一環で、海に出かけ「夜釣り」を始めた時です。防波堤からルアーを投げるとハゼやカレイがくさん釣れましたが、友達とは「なかなか魚の形をしたものは釣れないねぇ」と苦笑していたものです。就職してからは、山形県の鼠ヶ関に出張で行った際、海の釣堀で釣り糸を垂らしたことがあります。お目当ては底に見えるクロダイやイシダイなのですが、仕掛けが降りていく間にサバの子供がバクバク喰らいつくので、釣れるのはサバばかり…3人で100匹ほど釣って民宿に持ち帰り、料理をしてもらいましたが、サバの子は脂ものっていないので、フライも煮物も「モサモサ」していて閉口したのを覚えています。
これほど、釣のことを克明に覚えているのは、釣が苦手で経験が少なかったからにほかなりません。餌にする「ミミズ」や「ゴカイ」も弱かったのですが、釣れた時の魚の「ヌルヌル」も苦手で、針を外すのがまさに「苦行」でした。勿論、船酔いに加え、手に負えないほどの大物や見たこともない怪魚が釣れるリスクのある船釣りなどはしたこともありません。その割に、「獲って来ていただいた魚」は、海・川問わずに塩焼きが大好きなのです。どうも我が先祖は「山幸彦派」で「海幸彦派」ではなかったようです。「姉滝」に佇んでいると、イワナも見えますし、それを狙う渓流釣りの方も通り過ぎて行きます。いつもの避暑に釣竿を携えて、釣り糸を垂れながら「釣れるな。釣れるな。」と祈りつつ食べるお弁当も良いかもしれませんね。
今月は、波に煌めく銀鱗を猟る「漁猟香」(ぎょりょうこう)をご紹介いたしましょう。
「漁猟香」は、『御家流香道要略集(全)』に掲載のある組香です。本書は、御家流香道の様々な規矩が掲載された伝書ですが、その最後の章に「十八組組香小引の事」として、御家流らしい代表的な組香が掲載されており、その中に「漁猟香」を見つけることができます。この組香は、三條西公正著の『香筵雅友』(昭和50年8月に再版の識語あり)にも掲載されており、そこでは、「初夏の川釣りを楽しむ景色」として紹介されています。一方、三條西尭山宗匠が監修し昭和57年8月に初版された『香道の栞(その一)』には、構造が全く同じな「漁撈香(ぎょろうこう)」が掲載されています。公正氏と尭山氏は同一人物ですので、一見「自己矛盾」のようにも感じます。しかし、この題号の変化について経緯を推察すると尭山宗匠は『御家流香道要略集』から選んで、『香筵雅友』に「漁猟香」を掲載した後、「漁猟」という言葉が、「魚を獲ること」の他、「魚や鳥獣をとること」をも意味するため、新版では、題号を「漁撈香」に改め「魚を獲ること」に特化した組香としたのではないかと思っています。現在では、『香道の栞』にある「漁撈香」が一般化して各地で催行されており、オリジナルの題号は鳴りを潜めてしまいました。実際のところ、言葉の意味合いとしてもさしたる違いはないのですが、今回は、両書の因縁の深い「8月」に敢えて「漁猟香」としてご紹介したいと思いました。このようなわけで、今回は『御家流香道要略集』を出典として、『香筵雅友』の解説も含めながら筆を進めて参りたいと思います。
まず、この組香には証歌はありませんが、題号と要素名を見れば「魚獲り」の組香であることは容易に想像がつくかと思います。前段で申し上げたとおり「漁猟」とは、広義にとらえれば「漁業と狩猟」のことであり、その獲物は「魚と鳥獣」ということになります。しかし、狭義には「漁業」のみを示すものでもあり、出典の題号は、後者の意味で用いられたものと考えられます。『香筵雅友』の解説の書き出しには「初夏の声を聞きますと、一層釣竿がにぎりたく、なりますね。川にいきましょうか、と出掛けます。」とあり、この組香が、釣人のみならず、いろいろな人が川に入って、「おたま」から「網」まで様々な方法で魚を漁る景色を写したものであることが示されています。尭山宗匠は、この組香の季節感を「初夏の川遊び」と捉えたことは、同書の次に掲載された組香が「鵜飼香」であることからも察することができます。「漁猟」という言葉に特別な季節感はないのですが、水の景色もあり、「鵜飼香」や「照射香」などの狩猟の景色も考え合わせると、人々が行動的になる「夏の組香」とするのがふさわしいと思います。また、要素名に「波」があるので、「海」 の景色を想像される方もおられると思います。これは、その方の生い立ちによって身近な水辺の景色が異なると思いますので、組香の舞台は、「海」「川」どちらでも良いと思います。このように、この組香は夏の 水遊びの涼しげな景色を背景に獲れた魚の数を競うことが主旨となっています。
次に、この組香の要素名は「魚」と「波」のみとなっています。「波」は即ち川面の波のことで、キラキラと反射して「魚」を見えにくくするために配置されています。一方「魚」は、この組香の獲物でこの「漁猟」の対象物となります。時節柄「鮎」などを求めたいところですが、そこは川遊びなのでハヤやオイカワ等、どんなものが獲れるのかはわかりません。いずれ、この組香は、「仇星」に邪魔される「牽牛」「織女」のように、波の煌めきにまぎれた銀鱗を見つけて捕獲することが趣旨となっています。
さて、この組香の香種は2種、全体香数は8包、本香数も8炉となっており、構造は至って簡単で、初心者向けの稽古や香席などにも重宝されています。まず、「魚」を3包、「波」を5包作ります。この組香には試香はありませんので、これら全てを打ち交ぜて、本香は8炉廻ります。
本香が焚かれましたら、連衆は香の異同を判別しながら「魚」と「波」を聞き分けていきます。出典には「手記録に波波魚と成るとも魚魚波と成るとも、聞きの通り書付出す」とあり、本香が焚き終わったところで、「魚」が3つ、「波」が5つとなっていれば、そのまま名乗紙に要素名を出た順に書き記して提出します。また、この組香は「名乗紙の後開き」ですので、本香の段階では、仮に「〇」「×」等でメモしておき、数が合わなければ後で答えの調整をすることもできます。
因みに、『香筵雅友』にも、「ごく簡単で初歩向きで、勝負が早いので、喜ばれます。」と単純で聞きやすい組香としている一方で、「二種の香を類似的なもので組めば…相手次第で馬鹿にならぬ組香となるところに面白味があります。」ともあり、香組次第で素人向けにも玄人向けにもすることができると紹介されています。
本香が焚き終わりましたら、香元は手記録盆を廻して、名乗紙を回収します。名乗紙が返って参りましたら、執筆は連衆の答えを全て書き写します。写し終えたところで、執筆は正解を請い、香元はこれを受けて香包を開いて正解を宣言します。執筆はこれを聞き、香の出の欄に要素名を縦一列に書き記します。
続いて、執筆は当否の判定に移りますが、出典では「魚の香ばかりに点をなす。波の香は聞き捨てなり。」とあり、合点は「魚」の当りにのみ掛けることとなります。そうすると香記には、各自最高で3点の合点が掛けられています。出典では「魚三*柱聞きは網と認る。二*柱の聞きは”さて”と認め、一*柱は釣と認る。波も魚も不中、大風と認る。」とあり、「魚」の当り数に応じて、下附がなされることとなっています。
この組香の下附に用いられた言葉を開設すると下表のとおりとなります。
下附 |
読み |
意味 |
網 |
あみ |
魚等を捕獲する目的で糸などの繊維を編んだもの。ここでは、投網などの水上から魚にかぶせる「掩(かぶせ)網類」のこと。 |
叉手 |
さで |
「叉手網」のこと。袋状にした網地の口を木または竹などで枠をつけ、魚をすくい上げる最も小型の網漁具「抄 (すくい) 網類」のこと。 |
釣 |
つり |
釣竿の先に糸を垂らし、針を付けて魚を釣り上げること。 |
大風 |
おおかぜ |
はげしく吹く風のこと。ここでは、風で波が逆立って魚が見えず、獲れなかったこと。 |
このように、下附は、漁法の「作業効率」とでも言いましょうか、一網打尽の「網」、手救いの「叉手」、一匹ずつ狙う「釣」と一回の作業で獲れる魚の量を端的に表していて秀逸です。そして「大風」は、「お天気に恵まれなかったのねぇ。」となだめてくれ、場を和やかにする下附となっているところが御家流らしいと思います。
ここで、出典の「波も魚も不中、大風と認る。」については、「波」の数が大半のため、そもそも全ての「波」を聞き外すことは不可能で、さらに前段では「波は聞き捨て」となっていることに矛盾します。そのため、ここでは「波」の当否は捨象して、「魚」を全て聞き外した際に「大風」と附すことといたしました。
最後に、勝負は最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。
この組香は、行間に涼風が吹き通るような楚々とした小記録で香記も涼やかに仕上がるところが魅力です。皆さまも納涼がてら「漁猟香」で川遊びに出かけてみてはいかがでしょうか。
海も川も池も「危険!」とされてしまう昨今・・・
大人も子供も思い思いに裾をまくって楽しめる自然豊かな親水公園が欲しいですね。
夕されば瀬絶えの水に住む魚も天を仰ぎて白雨待つかな(921詠)
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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