「物名歌」をテーマに作られた組香です。
植物の名が和歌の景色に変わるところが魅力です。。
※このコラムではフォントがないため「
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説明 |
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香木は、5種用意します。
要素名は、「笹」「松」「枇杷」「芭蕉」と「ウ」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「笹」「松」「枇杷」「芭蕉」各2包作り、「ウ」は1包作ります。(計9包)
「笹」「松」「枇杷」「芭蕉」のうち1包を試香として焚き出します。(計 4包)
手元に残った「笹」「松」「枇杷」「芭蕉」の各1包に「ウ」の1包を加えて打ち交ぜます。
本香は、5炉焚き出します。
連衆は、試香に聞き合せて、要素名に対応した「聞の名目」で答えます。(委細後述)
執筆は、連衆の答えをすべて香記に書き写します。
香元は、正解を宣言します。
執筆は、正解の名目を定めて、当たった答えに合点を掛けます。
点数は、「ウ」の当りは2点、その他は1点とします。
下附は、全問正解は「皆」、その他は得点を漢数字で書き記します。
勝負は、最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。
思い出モノと決別するのにやたらと時間を費やす大掃除の季節となりました。
この前、ネットオークションで木箱入りの「光琳かるた」が出品されていました。これは、名古屋に住んでいた時、「徳川美術館」内で出張販売されていた品で、裏面の金張りが実に名古屋らしく、高校時代に百人一首大会の賞品でもらった古いかるたしか持っていない私の琴線に触れました。ただ、価格が30万円ほどしたので、単身赴任の懐には厳し過ぎ「顔が気に入らないかぁ?」というカタルシスで購入を思いとどまったことがあります。これが、即決価格15,000円でしたので、思わず「即決」してしまいそうになったのですが、ウォッチリストに掲載した後、「置き場所は?」「使い道は?」と考えているうちに、結局「欲しいけど、必要じゃないな。」ということで入札には至りませんでした。件のかるたは、その後一週間「店晒し」になって、翌週には即決価格でどなたかに落札されて行きました。
『欲しいと思うものを買うな。必要なものだけを買え。』とは、古代ローマの政治家、大カトー(マルクス・ポルキウス・カトー・ケンソリウス:前234〜前149)の格言ですが、これを見ると、未だモノに満ち足りていたわけではない時代から、人間は「欲しいもの(wants)」と「必要なもの(needs)」の狭間に揺れていたのだということがわかります。私は、これらを「無いと困るか、困らないか」で分けていますが、財貨も情報も爛熟した現代の日本では、同じ機能でも微妙に差別化され、「まとめ買いお得!」「ここが便利!」「○○限定!」に乗せられて、予期せぬモノを買わされている人は多いと思います。いわゆる「衝動買い」で購入したモノは、実際には十分に使いこなせないまま放置され、そのうち必要なモノがどこにあるのかわからなくなって、また買っては積み上げてを繰り返し、「汚部屋」を作ってしまいます。ゴチャゴチャした部屋は「自分を映す鏡」・・・「捨てられない思い出」とともに「刹那な満足感の残骸」が住む人の寂しい心の裏側を晒しているようです。他方、食品には「消費期限」がありますから、どんなに冷蔵庫に詰めておいても別れの日は来ます。世界中に飢えている人がたくさんいる中で、「買っては捨てる」という行為に快感を覚えている人はもはや少なく、多くの人は日々つきまとう罪悪感に苛まれて辛いのだろうと思います。自分の「浪費癖」を自覚して後悔しながら買い続けている依存症の人はまだマシな方で、「誰々のため、何々の時に絶対必要!(かも?)」という使命感に燃えている方は、反省がない分だけ症状を拗らせてしまうような気がします。
私は「ひとつ買ったら、ひとつ捨てる」を長年続けており、モノを増やさずに暮らしてきました。新しいモノを買うのは大抵「買い換え」で、「無くなったら、もう一度欲しくなるモノ」にこだわって品選びしています。また、捨てる前に1回は修理して、モノに対する愛情を表すこともルールにしており、「使い切った」と実感することで「捨てる」という罪悪感から解放されています。他人様はこれを「貧乏性」と称するかもしれませんが、自分が納得した性能を満たす品々に囲まれて、不自由のない生活をしているのですから心は豊かです。まぁ、私のような人ばかりでは経済は拡大循環していかないし、香木や香道具や香書もありますので偉そうには言えませんが、「needs」だけに囲まれた生活は、在った所にちゃんと戻せば整理や掃除の手間も少ないのでとても快適です。「ミニマリストを目指すのか?」と言われれば、全くそうではないのですが、せめて遺品整理で子供達に苦労をかけないよう、大掃除の時期に「捨てられないモノ」を「捨ててもいいモノ」に格下げしながら、「起きて半畳、寝て一畳」的な余命相当の暮らしをして行きたいと思っています。
今月の組香は、和歌から"もののな”を見つける「物名香」(ぶつめいこう)をご紹介いたしましょう。
「物名香」は、『御家流組香集(信)』に掲載されている組香です。この組香の景色に取り立てて統一した季節感はありませんので「雑」の組と分類して良いでしょう。今月もご紹介すべき組香を探していましたところ、大掃除で気にかかっていた「物(モノ)」という文字が目に留まりました。小記録を見ても最初は主旨がよくわからなかったのですが、調べて行くうちに和歌集の部立に「物名」というものがあり、事物の名前を歌題して三十一文字に忍ばせる技巧を競う歌合も開催されていたことを知りました。そこで、皆様にもこのような歌遊びの存在を知っていただきたく、季節が定まらないのを良い口実にして、今月にご紹介することといたしました。今回は、我が蔵書の他書に類例が見当たりませんので、『御家流組香集』を出典として、たった6行に認められた聞書を頼りに筆を進めて参りたいと思います。
まず、この組香の題号について、出典には読み仮名等はついていません。「もののなこう」と読めば、雅でたおやかな感じがしますが、古今集の部立において、熟語は全て音読みとなっており、歌も「物名歌(ぶつめいか)」と読むことから、この組香は「物名香(ぶつめいこう)」と読むことが相当であろうと判断しました。
次に、この組香には証歌があります。出典によれば、各自の回答は要素名に対応した「聞の名目」で記載することとなっており、そこに列挙された5句を繋げると、下記のとおり、この組香の文学的支柱となる和歌が現れてきます。
「いささめに時まつまにぞ日はへぬる心ばせをば人に見えつつ(古今和歌集454 紀乳母)」
※ 出典では第5句が「人に見えつる」と記載されていますが、原典により「人に見えつつ」に修正しています。また、原典の表記に濁点を補っています。
意味は、「ほんの少しと思ってチャンスを待っている間に日は経ってしまった、この心の思いをあの人に知られながらも…」ということでしょう。歌そのものは「恋歌」なのですが、この歌の詞書には「ささ、まつ、ひは、はせをは」とあり、この歌は初めから「笹(ささ)」「松(まつ)」「枇杷(ひは)」「芭蕉葉(はせおは)」の 4種の植物を織り込む目的で作られていたことが分かります。そのため、この歌は『古今和歌集』の巻十「物名」の部に掲載されています。
ここに掲載されている「物名歌」とは、初めから「隠題 (かくしだい)」という事物の名を織り込む目的で作られた和歌のことで、「歌の中ではその言葉自体は意味をなしていない」という特徴を持った遊戯的な詠法の一種です。これは、言葉に別の意味を込めて詠み込む「掛詞」とは異なり、「折句」と同様、文字自体を歌に詠み込む技巧で成り立っています。「物名歌」は、平安時代から盛んになり、延喜五年(905)頃には『宇多院物名歌合』が催されており、『古今和歌集(905年)』『拾遺和歌集(1005年頃)』『千載和歌集(1187年)』には「物名」の部立が設けられています。
因みに、皆様ご存知の「古今三木」の「おがたまの木(小賀玉木)」「めどに削り花(蓍に削花)」「かはなぐさ(川菜草)」も証歌と同様『古今和歌集(巻十)』の「物名」の部に掲載されています。
・み吉野のよしのの滝にうかびいずるあわをか玉の消ゆと見つらむ(431 紀友則)
・花の木にあらざらめども咲きにけりふりにしこのみなる時も哉(44 文屋康秀)
・うばたまの夢に何かはなぐさまむ現にだにも飽かぬ心を(449 清原深養父)
なお、詠み人の紀乳母(きのめのと: 生没年不詳)は紀全子(きのぜんし)のことです。彼女は、陽成天皇の乳母で、『古今和歌集』にはもう一首 「富士の嶺ねのならぬ思ひにもえばもえ神だに消けたぬむなし煙けぶり(1028)」が入集されています。こちらも「恋歌」ですが、自己の不幸を自虐的に笑い飛ばすような「諧謔(かいぎゃく)」の色合いが強いためか、巻十九の「俳諧歌」に掲載されています。
続いて、この組香の要素名は、「笹」「松」「枇杷」「芭蕉」と「ウ」となっており、前述のとおり証歌に織り込んだ 4種の植物の名が配置されています。
「笹」と「松」は言葉そのものが季語となっていませんが熟語となって様々な季節を表します。「枇杷」は、バラ科の常緑高木で庭木のほか果樹として栽培され、黄色い実は初夏の高級果物となっています。そのため 「夏」の季語となっていますが、私は初冬に白い小さな花をつけ、地味ながら放つ芳しい香りが最も好きです。「芭蕉」は、バショウ科の多年草で「秋」の季語となっています。日本でも庭木として使われており、バナナに似ていますが実は食べられません。葉の繊維から布や紙を作り沖縄の「芭蕉布」が有名です。これら4種の要素名に敢えて季を配するならば「笹」は香道の花結びとなっている「雪持笹」として 「冬」、「松」は花札の1月ですから「吉祥の松」として「春」を配すれば、四季に通ずる組香と解釈することもできるでしょう。最後に「ウ」は、証歌のうちで唯一「物名」が織り込まれていない句を表しています。
さて、この組香の香種は5種、全体香数は9包、本香数は5炉となっており、構造は至って簡単です。まず、「笹」「松」「枇杷」「芭蕉」は各2包作り、「ウ」は1包作ります。次に、「笹」「松」「枇杷」「芭蕉」のうち各1包を試香として焚き出します。そうして、手元に残った「笹」「松」「枇杷」「芭蕉」の各1包に「ウ」の1包を加えて打ち交ぜます。本香は5炉焚き出します。
本香が焚き出されましたら、連衆は試香と聞き合せて香の出を判別します。出典には「手記録にて聞くなり」とありますので、この組香は「名乗紙使用の後開き」で進行することになります。回答方法については、出典に「此の歌の五句に聞き分け『人にみへつる』の句をウと定むべし」とありますので、連衆は、それぞれの要素名に因んだ句を「聞の名目」とし て答えます。その際、聞いたことのない香りは「ウ」として「人にみへつつ」と答えます。
香の出 | 聞の名目 |
笹 | いささめに |
松 | 時まつまにぞ |
枇杷 | 日はへぬる |
芭蕉 | 心ばせをば |
ウ | 人に見えつつ |
本香が焚き終わりましたら、連衆は名乗紙に聞の名目を5つ書き記します。名乗紙が戻って参りましたら、執筆は、連衆の答えをすべて香記に書き写します。答えを写し終えたところで、執筆は香元に正解を請い、香元は香包を開いて正解を宣言します。執筆はこれを聞き、香の出の欄に正解を 要素名のまま書き記します。香の出の欄を書き終えましたら、執筆は正解となる名目を定め、各自の答えを横に見て、正解と同じ名目の右肩に合点を掛けます。各自の解答欄には、証歌の5句が漏れなく現れて 、順不同ながら一首を形成するようになります。なお、この組香の点法についてはなんら記載がないのですが、御家流の常道に従って客香の「人に見えつつ」 の当りは2点とし、その他は1点と換算して、最高点は6点と すると成績に差が付き易くて良いかもしれません。(今回の小記録にはそのように記載しています。)また、和歌の「5句」にこだわって「加点要素なしの5点満点」もよろしかろうと思います。いずれにしろ、合点は得点の数だけ答えの右肩に掛けます。
合点を掛け終わりますと、次は下附の段となりますが、この組香の下附についてもなんら記載がないので、こちらも御家流の常道に従って、全問正解は「皆」、その他は得点を漢字1文字で書き附すこととします。先ほどの「加点要素なしの5点満点」の点法を取った場合は、「一句」「二句」のように獲得した句の数を下附するのも良いかもしれません。
最後に勝負は、最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。
『古今和歌集』巻十の「物名歌」にある47首は、「うくひす(鶯)」や「からもものはな(杏の花)」など、言葉を1つ織り込んだものが圧倒的で、4つも織り込まれた証歌は、巻中で最多を誇ります。このような貴重な和歌を見つけて組香を編み出した作者に敬意を表したいと思います。また、巻十には「あぢきなし なげきなつめそ うきことに あひくる身をば 捨てぬものから(455 兵衛)」という「なし、なつめ、くるみ」を織り込んだ歌がありますが、これならば地の香3種・客香2種の「物名香」ができそうです。皆様も是非「物名歌」を1首ひねっていただき「異物名香」の創作に挑戦されてみてはいかがでしょうか。
事物は多すぎると窮屈で少なすぎると寂しいものですね。
老いらくとなれば「持ちきれないものは持たない」ことが大事なようです。
「よき、こと、きく」
月清き夜ごとに凍つる真澄鏡淡き雲間の影を映して(921詠)
今年も1年ご愛読ありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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