二月の組香

初春の若菜摘みの景色を写した組香です。

後段の出によって証歌の変わるところが特徴です。

説明

  1. 香木は、4種用意します。

  2. 要素名は、「淡雪(あわゆき)」「野路(のじ)」「籠(かご)」と「若菜(わかな)」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. 「淡雪」「野路」「籠」は各4包と「若菜」「若菜」は1包作ります。(計13包)

  5. 「淡雪」「野路」「籠」のうち1包を試香として焚き出します。(計3包)

  6. 「淡雪」「野路」「籠」の各3包を打ち交ぜて、ここから任意に3包を引き去ります。(3×−3=6)

  7. 手元に残った6包を2包ずつ3組に分けます。(2×=6)

  8. 本香段は、「二*柱開 (にちゅうびらき)」で6炉廻ります。

    ※ 「二*柱開」とは、2炉ごとに正解を宣言し、答えの当否を決めて記録するやり方です。

    −以降9番から13番までを3回繰り返します。−

  9. 香元は、1炉ごとに香炉に続いて「札筒(ふだづつ)」または「折居(おりすえ)」を廻します。

  10. 連衆は、1炉ごとに試香に聞き合わせて、聞の名目の書かれた「香札(こうふだ)」を1枚投票します。

  11. 執筆は、2炉ごとに香記に連衆の答えを全て書き記します。

  12. 香元が、2炉分の正解を宣言します。

  13. 執筆は、当った答えの右肩に合点を掛けます。

  14. 先ほど引き去っておいた3包に「若菜」の1包を加えて打ち交ぜ、その中から任意に2包を引き去ります。

  15. 本香B段は、2炉廻ります。

  16. B段も段と同様に香記に記録し、正解を宣言して、合点を掛けます。

  17. 得点は、当りにつき1点とします。

  18. 下附は、全問正解の場合は「全」、その他は各自の得点を漢数字で書き附し、全問不正解は空白とします。

  19. B段の出によって、所定の詩歌を「香の出の左」に書き記します。(委細後述)

  20. 勝負は、最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。

 霜柱が耕した柔土から若菜が芽を出す季節となりました

昨年末に私が稽古に通っていた教場を訪れみました。この教場は、我が師匠から姉弟子に引継がれていましたが、姉弟子が急逝し、同輩が指導を引き受けたとのことでした。姉弟子は、私が香道を辞した経緯も承知していましたので、時宜に応じて香席にも誘ってくれ、参加する際は「何が悪いのぅ」という感じで、他教場の門弟の三白眼からも守ってくれました。教場を背負ってからは、突然の長電話で涙ながらに復帰を勧められることもありました。最後に会ったのは単身赴任から帰って来た頃でしょうか。「退職後にはカルチャーの受講生で来るから(笑)」と約束していたところでした。しかし、その頼りの姉弟子が急逝したため、亡くなったこと自体もその後開催された「追善香席」の開催も私は知らず、来賓として参加した他県の香人の方から話を聞かされたというわけです。仙台の香道界に累が及ばぬようにするための「敢えての距離」が本当の「疎遠」になってしまったことに今更ながら気付かせられました。

改めての顔つなぎのつもりで伺った教場は、コロナ禍のため1回10名で開講されているらしいですが、「昼の部」は予約待ちの状況だそうで一安心。しかし、私が所属していた「わかな」をはじめ「ゆづき、ゆかり、あけぼの、はつ音、しらぎく」と 総勢160名を擁し、6つあったグループも当時活躍されていた師匠のほとんどが亡くなったか辞めたかしてしまい、「教えられる人」がうまく世代交代できずに大半が解散しているようです。習うのは好きでも教えるのが好きな人は、長く師事している弟子の中にもなかなか見つからないものですから無理からぬところ、全国各地でこのような話は聞きます。今では、彼女が複数の教室を掛け持って、香道の火を絶やさないように頑張っているそうで すが、毎月の稽古のことばかり考えて、お香を心底楽しむことはできず「あの頃は良かった〜」と本音を漏らしていました。

教えてくれた香人に彼女と面会したことを報告したところ、「仙台の香道を支えてやって」と言われましたが、私自身、どうやったら出身会派を陰ながら支えられるのか考えが及ばない状況です。なにせ門外の身ですので、私が関わること自体が彼女やその弟子達にとって不利益になるかもしれません。25年前に「仙台香道界のポータルサイトを作りたい」と師匠に相談し、その後「香道の門戸を開く」「香道界に暖かい風を送る」と豪語してサイトを立ち上げて続けてきたのですが、今、出身会派の惨状を知るに至って「私の今までの活動も一体何だったのだろうか?」と自問する始末でした。

とはいえ、「道は続くよどこまでも」で、許状はなくとも香木を所持されている御仁の周りには大正時代さながらの香道サロンができて 行くものです。こういった「お稽古」ではない「香席」の伝承は脆弱ですが、世に香木がある限り、必要最低限の作法とともに絶えることなく有り続けるのだろうと思います。折しも今年から始まったNHKの大河ドラマ「どうする家康」では、香道シーンが見られるとか・・・。「篤姫」放映の際に受講希望者がいっぱいになり、 和室二間続きで教室を開いていたことが懐かしく思い出されます。今年は、コロナ禍の沈静化と大河の下の2匹目のドジョウを狙って、全国で苦労している教授達が報われ、次世代を担う方の輩出ができる程度の復興を期待したいところです。

今月は、雪間の野辺の若菜摘み「若菜香」(わかなこう)をご紹介いたしましょう。

「若菜香」は、杉本文太郎著の『香道』に掲載された「春」の組香です。この組香は水原翠香著の『茶道と香道』にも記載があり、その内容は後述する1点を除きほとんど同じです。「若菜香」は同名異組が多く、平成10年2月には『御家流組香追加(全)』をはじめ『組香の栞(その一)』、『組香の鑑賞』、『香筵雅友』に掲載されている「若菜香」をご紹介しています。こちらは、御家流の定番組香で「ふみわけて野沢の若菜今日摘まむ雪間を待たば日数経ぬべし(新千載集31 後村上天皇)」が証歌となり「春」「野」「沢」「雪」と「若菜」の五種組で当り数によって下附が景色となる組香でした。一方、志野流の定番組香にも『外組八十七組(第一)』や『香道の作法と組香』に掲載された「若菜香」があり、こちらは、「美豆野」「烽火野」「交野」「浅沢小野」「武蔵野」「若菜」の六種組で畿内の歌枕となっている「野」の一つから若菜を摘む趣向となっています。さらに『香道蘭之園』には、『源氏物語』の「若菜(上)」と「若菜(下)」の各帖をそれぞれ写した盤物の「若菜香」もあります。今回、再び「若菜」を冠した組香をご紹介しようと思い立った際、真っ先に思い浮かんだのは『外組八十七組(第一)』に掲載されている志野流定番の「若菜香」でしたが、調べて行くうちに『香道の作法と組香』に詳しい解説が掲載されていたため断念しました。その代わり、やや記述か曖昧で、同じ志野系の組香でもそのうち歴史に埋もれてしまいそうな藤野家系の「若菜香」をご紹介することといたしました。このようなわけで、今回は、『香道』を出典としつつ、『茶道と香道』との対比にも触れながら書き進めたいと思います。

まず、この組香の題号の「若菜」とは、正月7日に7種の若菜を食して長寿を祈った「人日(じんじつ)の節句」に由来するものです。古代中国で6世紀に編纂された『荊楚歳時記』には、「正月七日を人日となす。七種の菜を以て羹を為る」とあり、これが「人日に7種の若菜を羹(あつもの=熱く煮た吸い物)にして食べると年中無病でいられる」という俗信の元祖と言われています。

日本における若菜摘みについては、奈良時代の『万葉集』の巻頭歌から「菜を摘む娘」が登場し、芹などの「春菜」が新たな季節の到来を祝って歌にも詠まれ、これを食用にして体内に春の生気を取り込んでいたことがわかります。平安時代の『源氏物語』「若菜(上)」では、「沈の折敷四つして、御若菜さまばかり参れり。…御土器くだり、若菜の御羹参る 」とあり、若菜を進物として献上したり、饗応として若菜の羹をふるまったりしていたことがわかります。また、『扶桑略記』には、「宇多天皇寛平八年(896)閏正月六日の宴あり。北野雲林院に行幸す。」と若菜摘みの宴のことが記載されており、従者を連れて新春の野に繰り出す宮中催事ともなっていることがわかります。なお、『四季物語』には「七種のみくさ集むること人日菜羹を和すれば一歳の病患を逃るると申ためし古き文に侍るとかや 」、推古五年(596年)に「都の外の七つ野とて七所の野にて一草づつを分ち採らせ給ふけり云々」とあり、若菜摘みが伝来後ほどなくして公式行事となっていたとも考えられます。

現在も行われている「七粥(ななくさがゆ)」は、有職故実書の『公事根源』「 九 供若菜 上子日」「内膳司より、正月上の子日是を奉る也。寛平年中より始まることにや。延喜十一年(912年)正月七日に、後院より七種の若菜を供ず」とあり、「尋常には、なづな、はこべら、芹、菁(あおな=すずな)、御形、すずしろ、仏の座」と七草の原型が示されています。その後も「七草」の内容には所説ありましたが、室町時代の『河海抄』に記載された「せりなづなごぎょうはこべらほとけのざすずなすずしろこれぞ七種(くさ)」に落ち着き、私も母から口伝えで習いました。これらは、今日も「春の七草」として受け継がれています。

因みに、『延喜式』には「正月十五日 供御七種粥料」とあり、これを「七草粥」の起源する向きはあるのですが、その際に使われた食材は「米、粟(あわ)、黍(きび)、稗(ひえ)、葟(みの=ムツオレグサ)、胡麻(ごま)、小豆(あずき)」といった穀類で文字通り「七粥(ななくさがゆ:十五日粥)」でした。この日、宮中の賢所では「七種粥」を食しましたが、役人たちには「小豆粥」が振る舞われており、これが民間に伝わって小正月の「小豆粥」となって行きます。「正月七日」といえば、宮中では「白馬の節会」が開催されていますので、同じ日に「七草」を奉って粥を食べる行事を併催することは難しかった筈です。「七草粥」の行事は鎌倉から江戸時代に「人日に七草を食する」ことと「初子に粥を食べる」という伝承が合わさって「正月七日に七草粥を食べる」と韻を踏む形で定着したのではないかと思います。

次に、この組香に、厳然とした証歌はありませんが、香の出によって記録に認める詩歌が配されています。出典によれば「野と若菜と出づれば 君のため春の野に出て若菜つむ。雪と若菜出づれば 我ころもでに雪はふりつつ。籠と若菜と出づれば 和菜羹啜口期気味之克調。若菜出でねば あすよりは若菜摘まむとしめし野に昨日も今日も雪は降りつつ。と出の左側に書く。」とあり、後述する段組構造の後段に出た2炉の出によって、詩歌の一部や全部を「香の出の欄の左側」に書き記して、最終的に若菜摘みの成否を含めた組香の景色を決定することが主旨となっています。

これに用いられている詩歌は、次の通りです。

「君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ(古今和歌集21 光孝天皇)」

この歌は、『小倉百人一首』の15番目の歌としても有名で、意味は「あなたに差し上げるために春の野原に出て若菜を摘む私の袖に、雪が降り続いていることですよ。」ということでしょう。詠人の光孝天皇(こうこうてんのう:830887年)は、第58代天皇で宇多天皇の父で、政治はすべて藤原基経に任せていたため、鷹狩りや相撲に興じ、和歌や和琴に秀でていたようです。

「倚松樹以摩腰 習風霜之難犯也 和菜羹啜口 期気味克調(和漢朗詠集29 菅)」

この詩は、「春 子日」の項の筆頭に掲載されており、読みは「しようじゆによりてもつてこしをすれば、ふうさうのをかしがたきことをならふ、さいかうをくわしてくちにすすれば、きみのよくととのほらんことをきす」で、意味は「松の木に触れて腰を撫でるのは、松が風や霜に犯されず常に緑であるように、我が身に老いの至らぬように願うためであり、七種の若草を羹(あつもの)にして口に啜るのは、身体の気分がよく調って無病であることを祈るためである。ということでしょう。この組香では、この詩の後半の2句が採用されています。(詩の赤字部分は出典では省略されている字です。)作者の「菅」とは、菅原道真(すがわらのみちざね:845-903年)のことで、ご存知のとおり、もともとは学者でしたが、右大臣まで上り詰めるも謀反を企てたとして大宰員外帥として左遷され、任地で亡くなっています。死後、都では災いが続き、それが彼の怨霊の仕業であると畏怖されたことから、次第に「天満大自在天神」として神格化され、墓所の上に太宰府天満宮の御本殿が造営され、現在では学問の神、受験の神として親しまれています。

「明日よりは春菜摘まむと標めし野に昨日も今日も雪は降りつつ(万葉集1427 山部赤人)」

意味は、「明日からは春菜を摘もうと目印をした野なのに昨日も今日も雪が降り続けるよ」ということでしょう。「(しめ)」とは場所取りのための目印のことで、自分の占有として他人が立ち入るのを禁ずることができたようです。その縄張りにずーっと雪が降り続いて、春の楽しみである若菜摘みができないという失望と焦りを詠んだ歌です。詠人の山部赤人(やまべのあかひと:青年不詳-736)は、奈良前期の宮廷歌人で「三十六歌仙」の一人です。歌風は自然の美しさや清さを詠んだ叙景歌で知られ、後世、柿本人麻呂とともに「歌聖」として称えられています。

続いて、この組香の要素名は「淡雪」「野路」「籠」と「若菜」となっています。「淡雪」とは、はかなく消えていく春の雪のことで、ここでは当日の天候を表します。「野路」とは、野の中の道のことで野辺の景色や道程を表します。「籠」とは、竹や植物の蔓などで編んだ器のことで、収穫した若菜を入れて持ちかえる手籠のようなものでしょう。これら3つの要素が若菜摘みの舞台を構成します。そして「若菜」は、若菜摘みの成否を左右するこの組香の主役となります。このように、この組香では、「新春にそぼ降る雪の中、籠を手に野辺に繰り出して若菜を探す」景色を表す趣向となっています。

さて、この組香の香種は4種、全体香数は13包、本香数は8炉となっています。出典には「試終りて本香九包打交へ、中三包を取除き、六包を二包宛に組んで二*柱開とする。而して更に残した三包の中へウを加へて相交へ、又其の二包を除きて二包を*柱く」とあり、この組香が段組構造を取っていることが判ります。まず、「淡雪」「野路」「籠」は各4包作り、「若菜」は1包作ります。次に、「淡雪」「野路」「籠」のうち各1包を試香として焚き出します。続いて、手元に残った「淡雪」「野路」「籠」の各3包を打ち交ぜて、ここから任意に3包を引き去ります。そして、最終的に手元に残った6包を2包ずつ3組に分けて、本香段は、「二*柱開」で3回、都合6炉廻ります。これは、若菜摘みに向かう道すがらの情景を表している段となろうかと思います。

香元は、本香が焚き出す際、1炉ごとに「札筒」か「折居」を廻します。回答に使用する「香札」については、「十種香札」を「淡雪(一)」「野路(二)」「籠(三)」「若菜(ウ)」と読み替えて使います。連衆は、1炉を聞き終えたところで、試香と聞き合せて、これと思う「要素名」の書かれた香札を1枚打って回答します。段はすべて試香で聞いたことのある香りなので、判別しやすいと思います。1組目の「初・後 」の香炉が回り終え、香札が2枚返って来ましたら、執筆は、各自の答えをすべて香記に書き写し、写し終えたところで香元に正解を請う所作をします。香元は、「初・後 」の香包をそれぞれ開いて正解を宣言します。執筆はこれを聞き、香の出の欄に要素名を出た順に2つ書き記し、当った答えに合点を掛けます。本香段は、これを3回繰り返します。

続いて、本香段は、先ほど引き去っておいた3包に「若菜」の1包を加えて打ち交ぜ、その中から任意に2包を引き去って、手元に残った2包を焚き出します。こちらは若菜が収穫できたかどうかの結果を表す段となります。「若菜」が絶対に出るというわけではありませんので、試香と良く聞き合せて判別しましょう。こちらも段と同様に記録し、正解を宣言して合点を掛けます。その際、段とB段の区切りが分かるように香の出の欄も解答欄も少し間を置くとよいでしょう。

本香が焚き終われば、香記はあらかた出来上がっています。点法について、出典では「記録は常のとおり」とありますので、当りは各1点とし、満点は8点となります。執筆は各自の成績を下附する際、全問正解には「全」その他は各自の得点を漢字1文字で書き附し、全問不正解は空白とします。

因みに、『茶道と香道』では、本香段について「六を二宛組て*柱開とし」とあり、この点が出典の「残り六包を二包宛に組んで*柱開とする。」と大きく異なります。出典には、香記の記載例がないため、これには相当悩みました。ただ、両書に共通した「二包宛」を尊重すれば、「一*柱開」では辻褄が合わないため、ここでは「二*柱開」と記載のある出典を採用しました。それでも、この組香には「聞の名目」がないため、@香札を2枚ずつ打って香の「初・後」を考慮せず組ごとの当否を競う4点満点の組香とするか、A香札を1枚ずつ打って香の「初・後」を考慮して要素ごとの当否を競う8点満点の組香とするかのどちらかによることになります。しかし、@では、各組の香札が混じって点法が不明瞭となり、勝負に不合理な点 も多くなります。そこで、このコラムでは『茶道と香道』の「一*柱開」を加味しながら、Aを採用し「 1炉ごとに解答するものの、正解は2炉ごとに宣言して記録する」方式としました。

そうして、最後にB段の出によって、先ほどの詩歌を「香の出の左」に書き記し、この組香の最終的な景色を決定します。「野と若菜」は「君がため春の野に出でて若菜摘む」と書き「春の野に出て若菜摘むそのままの景色」、「雪と若菜」は「わが衣手に雪は降りつつ」と書き「雪は降りつつも若菜を摘む景色」、「籠と若菜」は「和菜羹啜口期気味克調」と書き「籠に収穫があって菜羹を口にできる喜び」、「若菜なし」は「明日よりは春菜摘まむと標めし野に昨日も今日も雪は降りつつ」と歌一首を書き「雪に邪魔されて若菜摘みに行けない口惜しさ」を表すのでしょう、それぞれが納得の行く景色を醸し出しています。これら詩歌の書き記し方ついては、出典に詩歌の列挙に続いて「唯右の句を其の出に依って、出の左側に書くのである。」とあります。志野流では、香の出の欄の左に証歌を記すこともあるので、今回は「これかな?」と思いました。勿論、他流の方は「記録の奥」に記されてもよろしいかと思います。

最後に、勝負は最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。

旧暦の「人日」や「初子の日」は、1月の末頃となってしまい、正月は「祝香」がたくさんありますので、催行の時節としてはやや苦しい「若菜香」ですが、陽光も強まり新芽が萌え出ずる如月に「旬」の若菜摘みをされてみてはいかがでしょうか。


【改組】

 正式な組香の解釈もおぼつかないまま、この組香を御家流風に「名乗紙使用」の「後開き」の「二*柱聞」となるように改変してみました。

変更点

@    「聞きの名目」の配置

段と証歌の関係から、段も香の初後は問わない形とし、2炉ごとに1つの答えを名乗紙に都合4つ書き記して回答するようにしました。

A    「証歌」の増設

「野と若菜」は歌1首を書き記すこととし、新たに「雪と若菜」にふさわしい証歌「ふみわけて…」を配置しました。

小記録

香の出と聞の名目

香の出

聞の名目

説 明

淡雪と淡雪

吹雪【ふぶき】

風をはらんで降りしきる淡雪

淡雪と野路

枯野【かれの】

淡雪が解けて濡れた枯芝の野辺

淡雪と籠

風韻【ふういん】

風が籠を吹きすぎる音

野路と野路

岐路【きろ】

野辺の分かれ道

野路と籠

足音【あしおと】

野路を踏みしめて歩く音

籠と籠

笹啼【ささなき】

籠が軋む音と鶯の笹啼き

淡雪と若菜

春雪【はるのゆき】

若菜に降りかかる雪

野路と若菜

春野【はるのの】

若菜の生えた野原

籠と若菜   

春菜【はるな】

春に摘んで食用とする若菜

若菜なし

春興【しゅんきょう】

収穫なしでも野遊びは春の愉しみ(香の出に関わらず段に「若菜」が出なければ、全てこの名目とする。)

 これですと、私の頭にはすんなり入って催行できそうです。皆様はいかがでしょうか?

 

 

沢辺の氷が解けて光満る川面となるように・・・

今は、私を育んでくれた「わかな」の一陽来復を心から祈るばかりです。

凍土の解け初めし野の暁は春笑むがごと若菜生い行く(921詠)

 組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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