『古今和歌集』の仮名序と真名序から要素を配置した組香です。
本香の結び合わせ方や答え方に特徴があります。
※ このコラムではフォントがないため「」を「*柱」と表記しています。
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説明 |
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香木は、7種用意します。
要素名は、「鶯(うぐいす)」「蛙(かわず)」「浅香山(あさかやま)」「歌 (うた)」と「混本歌(こんぽんか)」「旋頭歌(せどうか)」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「鶯」「蛙」「浅香山」は各2包、「歌」は同香を2包、「混本歌」は別香を2包、「旋頭歌」は1包作ります。(計11包)
「鶯」「蛙」「浅香山」のうち1包ずつを試香として焚き出します。 (計3包)
まず、「歌(同香2包)」と「混本歌(異香2包)」をそれぞれ2組に結び置きします。(2×1+2×1=2×2=4)
次に、手元に残った「鶯」「蛙」「浅香山」の各1包に「旋頭歌」1包を加えて打ち交ぜ、2包ずつ2組に結び置きします。(2×2=4)
こうしてできた4組を組ごとに打ち交ぜます。(2×4=8)
本香は、2包ずつ4組で都合8炉焚き出します。
香元は、2炉ごとに香炉に続いて「折居(おりすえ)」を2枚廻します。
連衆は、1炉ごとに試香に聞き合わせて、それぞれ要素名に対応した「香札(こうふだ)」を1枚投票します。
一方、「歌(同香2包)」と「混本歌(異香2包)」の組については2炉につき札を1枚投票して答えます。(余った折据はそのまま返します。)
執筆は、全員の答えを香記に書き写します。
香元が、正解を宣言します。
執筆は、当たった答えに合点を掛けます。
点数は、「歌」と「混本歌」の名目の当たりは2点、その他要素名の当りにつき1点と換算します。
下附は、全問正解には「全」、その他は 点数を漢数字で書き附します。
勝負は、最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。
震災翌日に家族とフライパンを囲んだ「誕生会」を思い出す季節となりました。
今月は、東日本大震災から12年・・・干支が一回りしたことになります。この間、震災復旧・復興事業によって、瓦礫の山が人の住める土地となり、以前には望むべくもなかった社会基盤が整備され、被災地が「元の姿」に戻ることは決してなかったのですが、新たな街と人と仕事が「ささやかながら」生まれました。その後に大災害に見舞われたも地域もありながら、継続して浄財を廻していただいた全国の皆様には本当に感謝しかありません。私の中では、10年を節目に心の区切りがついており、以来3月11日は「ありがとうの日」として、全国の皆さん「あの時はありがとう!」という感謝を伝えることにしています。一方、被災地に留まり、忘れてはいけない震災体験を訪れる方に語り続けている方々は、「10年の区切りで一気に関心が薄れた」と異口同音にため息を漏らします。それには、財政支援の縮小もありますが、「語り手」と「聞き手」の間に温度差が広がっていることにも原因はあるようです。
私が初めて「語り部」を知ったのは、沖縄・長崎・広島の戦争体験と平和の大切さを説くものでした。また、お仕事の関係では、「むかしがたり」として地域の大切な文化や伝統を綿々と語り継ぐ「語り部」の活動にも触れました。さらに、阪神淡路大震災・熊本地震・西日本豪雨の被災地でも自然災害の悲惨さと命の大切さや命を守る行動を説く活動が続けられています。しかし、これらの運営団体のほとんどが同じ悩みを変ええているようです。
震災を例に取れば、被災者が「思い出したくもない体験」を涙で言葉を詰まらせながらやっと語れるようになり、それを繰り返すうちに「気持ちの整理」と「語りのスキル」を得て、「伝えていかなければ!」という使命感に繋がって行くまでには時間が掛かります。あまつさえ輩出の難しい「語り部」が、やっと脂が乗り始めた頃、「進学や就職」を節目に辞めて行くケースも多く、運営団体は「若い働き手」を失いつつ、折からの「資金難」に「高齢化」が拍車をかけて活動自体が先細りとなることもあるようです。そのような状況を押して迎え入れた修学旅行生や視察団の中には、バスの中で寝ているような人も見受けられ、「語り部」の皆さんも全員に想いが伝わるということは、あり得ないことがわかっていても、誰かの心に「種」を撒くつもりで、敢えて「体験のない人への伝承」を続けていくしかないと感じているとのことでした。これは、すべての「語り部」に共通した「達観」のように感じます。
先月のコラムで書きました通り、私がインターネットの世界に香道の門戸を開き、香道界に暖かい風を送り続けたことで、リアルの「香道界」が隆盛を博したかというと決してそうではないことが分かりました。しかし、サイトを運営する中で自然に生まれた「400年前の言葉を未来に繋げる」という活動は、「評価」はされなくとも「成果」を遺してさえいれば、存在意義は有るのだと信じています。私の研究活動は決して「扇動」ではなく、「むかしがたり」だと思っていただければ幸いです。「語り部」とは、受け手がどんな畑であれ、荒れ地であれ、「種」を撒く者なのだと思います。「種」の中には歩留まりもありますが、条件さえ整えば何時かは芽を出し、花を咲かす筈・・・そう信じて、自身の地力を蓄えつつ、やみくもに「種」を撒き続けたいと思います。
「新古今香」は、『外組八十七組之内(第五)』に掲載のある組香です。この巻には「三代香、新古今香、続古今香、歌争香、歌仙香、贈答香、探題香」等、和歌をテーマにした組香が掲載されています。ただし、「外組」だけに本家本元の「古今香」は掲載されていません。「古今香」と言えば、平成17年7月に御家流系の「古今香」をご紹介しています。この組香は、「鶯」「蛙」と「歌」をあらかじめ「鶯・鶯」「蛙・蛙」「鶯・蛙」「蛙・鶯」「歌・歌」と5組に結び置きし、配置された5つの聞の名目を当てはめる組香でした。一方、杉本文太郎の『香道』の習三十組に列される「古今香」は、打ち交ぜた後に5組に結び置きするため、聞きの名目が9つとなっています。今回は、春らしく「鶯」を登場させようと組香集を探していましたところ、「新古今香」「続古今香」とまるで八代集のシリーズのような題号が目に留まりました。詳しく見ましたところ、残念ながらそれぞれが「新古今集」「続古今集」をテーマとしている訳ではなく、「古今香」の派生組だということがわかりましたが、そのようなネーミングの妙も魅力的でしたので、今回ご紹介することといたしまた。そのようにわけで、今回は数多ある「古今香」の派生組の中から面白い構造を持つ『外組八十七組之内』を出典として書き進めたいと思います。
まず、この組香に証歌はありませんが、小記録の要素名「鶯」「蛙」「浅香山」あたりから「古今和歌集仮名序」を思い浮かべられる方もおられると思います。『古今和歌集』は、醍醐天皇の命により、平安時代の延喜五年(905)頃に成立した全20巻からなる日本最初の勅撰和歌集で、紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑の撰による約1,110首が納められています。特に、紀貫之の書いた「仮名序」「真名序」は、歌学のさきがけとされています。
因みに、『新古今和歌集』は、後鳥羽院の命によって撰進され、鎌倉時代初期の元久二年(1205)頃に成立した全20巻からなる勅撰和歌集で、いわゆる「八代集」のラストバッターです。撰者は源通具、藤原有家、藤原定家、藤原家隆、藤原雅経、寂蓮で、「真名序」は藤原親経、「仮名序」は藤原良経が書いています。
冒頭に書きましたとおり、最初はこの組香が『新古今和歌集』の景色を写した組香なのではないか?と調べてみましたが、『新古今和歌集』に固有の景色が組香の中に見えるわけではなく、要素名の配置もどうしても『古今和歌集』の域を出ていないという違和感がありました。調べて行くうちに杉本文太郎の『香道』に、今回の組香と全く同じ要素名で全く構造の異なる組香が「替古今香」として掲載されており、組香の題号にある「新」の字は、派生組に冠する「異」「替」の意味で用いられいたのだと確信が持てました。おそらく編者は、「景色もそう遠くはないし、出典の目次のラインナップとして、『新』『続』となることも八代集に擬えて面白かろうと」と名付けたのではないかと思います。
次に、この組香の要素名は「鶯」「蛙」「浅香山」「歌」と「混本歌」「旋頭歌」となっています。これらについては、それぞれ『古今和歌集』の「仮名序」と「真名序」に掲載のある言葉です。「仮名序」には、「やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける…花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける」という一節や「なにはづの歌は…あさか山のことばは、うねめのたはぶれよりよみて・・・このふた歌は、うたの父母のやうにてぞ、手ならふ人のはじめにもしける」という記載があり、これが配置の由来とみて良いでしょう。「鶯」は春告鳥であり、古今集にも「春来ぬと人は言へども鶯の鳴かぬ限りはあらじとぞ思ふ(古今集11 壬生忠岑)」などが掲載されています。また、「蛙」は、「河鹿(かじか)」のことで、澄んだ美しい声で鳴くため、山の鹿に擬えて「河の鹿」と呼ばれました。古今集には「蛙鳴く井手の山吹散りにけり花の盛りに逢はましものを(古今集125 読人知らず)」などが掲載されています。そして、「歌」は、広義の和歌のことで「和歌六体」のすべての歌を指すものと思われます。「浅香山」(浅積山)は、福島県郡山市にある歌枕の山で、現在の「額取山 」(ひたいとりやま:1008.7m) の通称です。仮名序には「安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心をわが思はなくに(万葉集3807 陸奥国の前の采女)」と紹介され、「難波津にさくやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花(王仁)」とともに和歌の父母とされています。また、「真名序」には 「爰に人の代に及びて、この風大きに興る。長歌・短歌・旋頭・混本の類、雑体一にあらず、源流漸く繁し」とあります。「混本歌」は、和歌六体(長歌・短歌・旋頭歌・混本歌・折句・沓冠)の一体とされていますが、@旋頭歌と同様の体ではないかと見る「六句体歌説」、A俳句と和歌の中間ではないかと見る「四句体説」、B片歌又は五・七音の対の幾つかが連続する歌ではないかとする「偶数形式説」など諸説あり、何を指しているのかは未だに定説ありません。「旋頭歌」も和歌の一体で、下三句が頭三句と同じ形式を反復することからそう呼ばれ、「五七七・五七七」の片歌を反復した六句体となっています。本来民謡的な歌いものが多く、『万葉集』には62首の旋頭歌が収められていますが、その後は、ほとんど詠われなくなりました。このように、この組香の要素名は、「鶯」「蛙」「浅香山」「歌」が仮名序から、「混本歌」「旋頭歌」が真名序から引用されており、紀貫之の綴った歌論をお香で思い起こすように工夫されています。
さて、この組香は、香7種、全体香数は11包、本香数は8炉となっており、その構造に特徴があります。まず、「鶯」「蛙」「浅香山」は2包ずつ、「歌」は同香で2包、「混本歌」は別香で2包作り、「旋頭歌」は1包作ります。次に、「鶯」「蛙」「浅香山」のうち1包を試香として焚き出します。ここで出典では「出香八包を先ず始めに歌二包、混本歌二包を二結びとして置き、残り鶯、蛙、浅香山、旋頭歌の四包を打ち交ぜ、二包づつ二むすびにして、初めの二むすびに打ち交ぜ、一結びづつ焚き出す」とあり、「歌(同香2包)」と「混本歌(異香2包)」をそれぞれ2組に結び置きし、手元に残った「鶯」「蛙 」「浅香山」の各1包に「旋頭歌」1包を加えて打ち交ぜて2包ずつ2組に結び置きします。この「結び置き」の所作がこの組香の第一の特徴となっています。そうして本香は、4組を結びのまま打ち交ぜて、2包ずつ4組、都合8炉を焚き出します。
本香が焚き出されましたら、連衆はこれを聞き、試香と聞き合せて、これと思う札を1枚打ちます。ここで、出典では「鶯、蛙、浅香山、旋頭歌は香一種に札一枚づつ打つなり。歌、混本歌は二種に札一枚打つべし」とあり、「鶯」「蛙」「浅香山」「旋頭歌」は、1炉ごとに札を打ち、「歌」と「混本歌」の組は、2炉ごとに1枚札を打つように決められています。 なお、回答に使用する香札について、出典には「十種香札」を「鶯(一)」「蛙(二)」「浅香山(三)」「旋頭歌(ウ)」「歌(花三)」「混本歌(月三)」と読み替えて打つように注記されています。また、「名乗紙にても聞くなり」とありますので、名乗紙に答えを6つ書き記す方法でもよろしいかと思います。
そうすると、連衆は@「鶯」「蛙」「浅香山」は試香と同じ香り、A「旋頭歌」は地の香と組み合わされて出てくる 客香、B「歌」は同じ香りのする客香のペア、C「混本歌」は違う香りのする客香のペアとして判別します。このようにして答えると、本香8炉 なのに答えは6つとなります。この出香数と答数の違いが、この組香の第二の特徴と言えましょう。
ここで、この組香は、「札打ちの後開き」となっていますが、「歌」と「混本歌」の組は2炉で1枚の札しか打ちません。これらが「同香の客香のペア」なのか「異香の客香のペア」なのかは「初・後」の2炉を聞き終わらないと判らないため、常の如く1炉ごとに1枚の折居を廻すと「歌」と「混本歌」の際に札を打つタイミングがなくなることに気づきました。そこで、香元は各組(2炉)ごとに香炉に添えて2枚の折居を廻し、連衆は、「鶯」「蛙」「浅香山」「旋頭歌」のペアは「初・後」の順番にそれぞれ札を打ち、「歌」と「混本歌」の組は、香の異同を判別してから、初炉の折居を無投票 (パス)として、後炉の折居に札を打つという方式を取るのがよろしいかと思います。このように、この組香は回答方法にも第三の特徴が隠されていました。
続いて、本香が焚き終わり、香札が全て帰って参りましたら、執筆は折居を開き、各自の答えを香記の回答欄に「要素名の頭文字(1字)」で書き記します。その際、答えは「千鳥書き 」とし、初炉を右上、後炉を左下に書き記しますが、「歌」と「混本歌」は、答えが1つですので、真ん中に書き記します。執筆は、答えを書き終えたところで、香元に正解を請います。香元は、これを受けて香包を開き正解を宣言します。執筆はこれを聞き、香記の香の出の欄に千鳥書きで2列4段に書き記します。(本香は8炉ですので、香の出は8つとなります。)
因みに、出典の「新古今香之記」の記載例では、「札紋」が名乗として使われるように書いてありますが、『香道』の「古今香」では、連衆の名乗に「在原元方、柿本人丸、藤原敏行、読人不知、小野小町、伊勢大輔、凡河内躬恒、遍照僧正、紀貫之、在原業平」と四季の巻頭と巻軸の歌を詠んだ歌人の名前を「名乗」として香記に書き記すことになっています。また、同書の「替古今香」では、「柿本人麿、在原業平、凡河内躬恒、猿丸太夫、山部赤人、在原元方、小野小町、僧正遍照、藤原敏行、文屋康秀、伊勢大輔」とあり、「いづれにても書くが、天皇及び親王は憚るがよい 。」とややアバウトになっていますが、「古今香」の派生組として歌人を名乗に使うという趣向は雅趣を増すために好ましいのではないかと思います。
この組香の点法は、「歌」と「混本歌」の当りは2点、その他は要素名の当りごとに1点と換算し、全問正解は8点となります。 また、執筆は、得点の数だけ答えの右肩に合点を掛けます。下附は、全問正解には「全」、その他は 各自の得点を漢数字で書き附します。
最後に勝負は、最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。
語り部とは「忘却」との闘い…。
時には、霧の中に語り続けているような気もしますが
霧が晴れれば、必ず真正面に誰かが立っているでしょう。
誰ぞ聞く昔語りも絶やさねば後の心に花も咲くらめ(921詠)
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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