六月の組香

詩歌管弦の「三舟の才」をテーマにした組香です。

段ごとに異なる立物の進みが特徴です。

※ このコラムではフォントがないため「 ちゅう。火へんに主と書く字」を「*柱」と表記しています。

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説明

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  1. 香木は 、4種用意します。

  2. 要素名は、「詩(し)」「歌(うた)」「管弦(かんげん)」と「源帥(みなもとのそち)」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. 連衆は「詩方(しかた)」「歌方(うたかた)」「管弦方(かんげんがた)」の3組に別れて聞きます。

  5. 「詩」「歌」「管弦」は各4包、「源帥」は1包作ります。(計 13包)

  6. このうち「 詩」「歌」「管弦」の各1包を試香として焚き出します。(計 3包)

  7. 手元に残った「 詩」「歌」「管弦」の各3包を打ち交ぜ 、その中から6包を任意に引き去ります。(9−6=3包)

  8. 本香A段は、「 一*柱開(いっちゅうびらき)」 3炉廻ります。

    ※ 「一*柱開」とは、1炉ごとに回答し、正解を宣言し、当否を記録するやり方です。

    −以降9番から13番までを3回繰り返します。−

  9. 香元は、1炉ごとに香炉に添えて「札筒(ふだづつ)」か「折居(おりすえ)」を廻します。

  10. 連衆は、試香と聞き合わせて、これと思う答えの書かれた香札を1枚打ちます。

  11. 香元は、正解を宣言します。

  12. 執筆は、当った答えのみを香記に書き記します。

  13. 盤者は、所定の数だけ立物の「舟」を進めます。 (委細後述)

  14. 続いて、先ほど7番で引き去られた6包から、さらに任意に5包を引き去 り、手元に残った1包に「源帥」1包をを加えて打ち交ぜます。(=2包

  15. 本香B段は、 「二*柱開(にちゅうびらき)」炉廻ります。

※ 「二*柱開」とは、2炉ごとに回答し、正解を宣言し、当否を記録するやり方です。

  1. 香元は、1炉ごとに香炉に添えて「札筒(ふだづつ)」か「折居(おりすえ)」を廻します。

  2. 連衆は、試香と聞き合わせて「初・後」の香を判別し、これと思う答えの書かれた香札を1枚打ちます。

  3. 香元は、2炉焚き終えたところで正解を宣言します。

  4. 執筆は、「初・後」の香のうち「源帥」の当りのみを香記に書き記します。

  5. 盤者は、「源帥」を聞き当てた組の「舟」を岸に向け直します。 (委細後述)

  6. さらに、先ほど14番で引き去って置いた5包を打ち交ぜます。

  7. 本香C段は、「 一*柱開」 炉廻ります。

−以降、9番から13番までの要領で5回繰り返します。−

  1. 「盤上の勝負」は、先に岸に漕ぎ戻り、「源帥」の人形を舟に乗せた組か「勝方(かちかた)」となります。 (委細後述)

  2. 「盤上の勝負」がついても、香は残らず焚き出します。

  3. なお、「勝方」となった舟は、「後興(ごきょう)」として、当り数だけ沖に向けて漕ぎ出します。

  4. 本香が全て焚き終わったら、各自の回答欄に書き記された答えの数により下附を書き附します。(委細後述)

  5. 答えの当りを1点と換算し、各組の構成員の得点の合計し、点数の多かった組が「勝方」となります。

  6. 執筆は、見出しの下に「勝」と書き記します。

  7. 「記録上の勝負」は、勝方の最高得点者のうち、上席の勝ちの勝ちとなります。

 

川面を渡る涼風が恋しい季節となりました。

NHKの朝ドラ「らんまん」で、主人公の槙野万太郎が「植物が好きで、英語ができて、絵が描けるワシしかできんじゃろ!」と家業を捨てて植物学への道に進むことを決意する場面がありました。それを見て、「香道が好きで、パソコンスキルがあって、古文書が読めるから・・・」と本当に心許ない三種の神器を携えて、この活動を始めた頃の自分を重ねてしまいました。

サイトを開設して、もうすぐ26年が経ちますが、職業人としての私は、いつも政策イノベーションの最前線に晒され、それを咀嚼して組織の仕事に定着させる役割を転々としていました。そんな多忙な日々の間に子育てがあり、大震災があり、家移りが4回あり、パソコンも3回壊れましたが、「破門騒動の自粛期間(1998.58)」を除いて、「今月の組香」を1回も休まずに掲載を続けて来られたことは、運も味方に付けていたのかもしれません。

皆さんは、これを「努力と根性!」と見ていらっしゃるのかもしれませんが、私自身には「無理して頑張る」みたい気持ちは無く、今でも「癖でやり続けて来た」というのが、最も適切かつ正直な表現だと思っています。もちろん「香道人」としては、地の底まで落ち、毎日うなされましたし、その後も「香人」としての感情の浮き沈みが無かったわけではありませんが、モチベーションを上げるきっかけは、「香的生活」の其処此処に転がっており、なんとか持ち堪えられました。

もともと私は、「絵を描く、詩を書く、曲を書く」のが得意で、「多芸多才」と言えば聞こえは良いものの「一つのことをコツコツ地道にやり続ける」ことには向かず、今でも自分は「即断即決のマルチタスク型人間」だと思っています。そんな「新し物好きで三日坊主で器用貧乏」の私が、この道を究めたきっかけは「自分が香道にフラれた理由を探す旅」のようなものでした。しかし、「香り」という一事だけは、「やることそのものが楽しくて仕方がなくて、意識しないのに淡々とやり続けていられる」というのは事実で、いつしか香りに携わる様々な先師の御霊や読者の皆様に「継続する才能」を与えられたのだと思っています。私がフラれたのは「香道界」であって、「香道」そのものではなかったのです。

普通、「努力」をする人は、それを積み重ねて目指す「到達点」のようなものがあり、また「見返り」も期待しているはずです。しかし、私は、情報ボランティアの活動に右肩上がりのイメージはなく、「自己満足的研究」の「成果」は求めますが、「評価」は期待していないところがあります。おそらく、その原動力は「知的好奇心」と少しの「承認欲求」を満たすものだったのでしょう。それがいつしか「自己実現」となり、「独りよがりの文化貢献」という使命感に昇華したのかもしれません。また、そういう「癖」にこだわる自分も好きだったのかもしれません。

そんな私の人生も終盤にさしかかって、第一人格の「お伽の国の公務員」は風前の灯火・・・第三人格の「忘れかけた時の役者」は消えて無くなりました。残る第二人格の「晴れ時々香人」が、我が人格を統合してしまう前に少しずつ身軽になることも考えています。私は、結果的に「香道を好きでやっている人」に半生を捧げましたが、一方で他分野のいろいろな楽しみを犠牲にしてきた感は否めません。「生まれ変わってでもやるか?」と聞かれれば・・・「どうですかねぇ。」と答えるでしょうから、そこまでの「才能」はなかったようです。今、老い先短い人生の悔いのない生き方を探しています。

今月は、才能を兼ね備えた人々の川遊び「三舟香」(さんしゅうこう)をご紹介いたしましょう。

「三舟香」上野宗吟著の『香道宿の梅』に掲載のある「盤物」の組香です。この組香は、我が蔵書の『御家流組香集(義)』1812年)にも掲載があり、前々から気になっていたのですが、その複雑な構造と立物の進み、札紋や下附の言葉の難解さ、そして何よりも「盤物なのに盤立物に関する記述が一切無い」ということから掲載を諦めていたものでした。しかし、近年、同志社大学の矢野環先生と福田智子先生が「竹幽文庫『香道籬之菊』の紹介:和歌を主題とする組香(十二)」という研究紀要論文を公表され、その中に『香道籬之菊』1757年)のほか『香道宿の梅』1761年)にも詳しく掲載されていることがわかりしました。見れば『御家流組香集』の「三舟香」は『香道宿の梅』の前段を書写したもののようでした。また、季節感については、原点を突き詰めれば「大堰川の紅葉」もチラつくのですが、緑の渓谷に船で漕ぎ出し、空の青と水の青にサンドイッチされる景色も素敵ですので、川開きも行われるこの季にご紹介してみようと思い至りました。このようなわけで、今回は『香道宿の梅』を出典として、研究紀要に掲載された『香道籬之菊』の記述も踏まえつつ書き進めて参りたいと思います。

まず、出典の題号の下には「正翼組之」とあり、この時代に創作されたオリジナルの組香であることがわかります。この「正翼」については、著者である上野宗吟の周辺の人物と推察されます。上田宗吟も表千家六代の覚々斎原叟宗左(かくかくさい げんそうそうさ)門下の茶人ですので、この時代の香道の裾野の広さが伺えます。調べて見ると江戸時代中期の儒者・医師「富永正翼」(とみながまさしげ:1698-1771)という人に尋ね当たりました。彼は、詩文をよくし、漢詩人をはじめ、当代の文化人とのと流も深かったようですから、漢詩の素養にも恵まれていたことから、私は、おそらく組香の作者は彼ではないかと思っています。

次に、この組香に証歌はありませんが、「三舟の才(さんしゅうのさい)」の故事を題材にして組まれた組香であることがわかっています。「三舟の才」とは、漢詩・和歌・管弦の三つの才能を兼ね備えていることです。平安後期の歴史物語である『大鏡』には、「藤原道長(ふじわらのみちなが)が大堰川で、漢詩の舟、管弦の舟、和歌の舟にそれぞれの道に優れた人々を乗せた舟遊びを催した際、道長に『どの舟に乗るの?』と聞かれた藤原公任(ふじわらのきんとう)が、和歌の舟を選び『小倉山嵐の風の寒ければ紅葉の錦着ぬ人ぞなき』と秀でた歌を詠んで誉れを得ましたが、『漢詩の舟で詩を詠んだ方がもっと評判が良かったかな』と後悔し、『でも道長さんにどの舟に乗るの?”と聞かれるくらい私の多才ぶりは認められているのだな』と悦に入る。」というエピソードがあり、これに端を発します。これが、鎌倉中期の教訓説話集『十訓抄』に掲載されて、正翼の目に留まったのでしょう。この組香で「三舟の才」を持ち合わせた主役は、源経信(みなもとのつねのぶ)となっています。

源経信1016-1097)は、平安時代後期の公家で官位は正二位・大納言「帥 大納言」「桂大納言」と呼ばれていました。詩歌・管絃に秀で、有職故実にも通じ、その多芸多才ぶりは、かの藤原公任と並び称されていました。歌人としては、『後拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に85首が入集しており、『小倉百人一首』の「夕されば門田の稲葉おとづれて芦のまろやに秋風ぞ吹く(金葉和歌集183)」は皆様もご存じのことと思います。 

以下に『十訓抄』の該当部分を示します。

第十 才芸を庶幾すべき事(三)

御堂関白(藤原道長)、大堰川にて遊覧の時、詩歌の舟を分かちて、おのおの堪能の人々を乗せられけるに、四条大納言(藤原公任)に仰せられていはく、「いづれの舟に乗らるべきや」。公任卿いはく、「和歌の舟に乗るべし」とて乗られけり。

さて詠める

  朝まだき嵐の山の寒ければ散るもみぢ葉を着ぬ人ぞなき

後に言はれけるは、「『いづれの舟にのるへきぞ』と仰せられしこそ、心おとりせられしか。また、詩の舟に乗りて、これほどの詩を作りたらば、名は上げてまし」と、後悔せられけり。

この歌、花山院(花山天皇)、『拾遺集』を撰ばせ給ふ時、「紅葉の錦」とかへて入るべきよしを仰せられけるを、しかるべからざるよしを申されければ、もとのままにて、入りにけり。

また円融院(円融天皇)の御時、大堰川逍遥の時、三舟に乗るともあり。

第十 才芸を庶幾すべき事(四)

帥民部卿経信卿、また、この人におとらざりけり。

白河院、西川に行幸の時、詩・歌・管絃の三つの舟を浮べて、その道々の人々を分かちて乗せられけるに、経信卿、遅参のあひだ、ことのほかに御気色悪しかりけるほどに、とばかり待たれて参りたりけるが、三事兼ねたる人にて、汀にひざまづきて、「やや、どの舟にまれ、寄せ候へ」と言はれたりける。時にとりていみじかりけり。かく言はれん料(りょう)に、遅参せられけるとぞ。さて、管絃の舟に乗りて、詩歌を献ぜられたりけり。「三舟に乗る」とはこれなり。

このように『十訓抄』では、前段で『大鏡』にもある藤原公任の逸話を示し、後段で「どの舟でもいいから乗せて!と言った経信もこの人に劣らない」と紹介しています。これについて、出典の本文冒頭に「承保帝、西河の御遊に詩歌管絃の三舟をうかべ、をのをの其能ある人分れて乗て出る時、源経信おくれ参りしに、舟はや一町ばかりも漕出したる折からなれば、汀に蹲て声を揚て、三つの舟は撰はず、いづれにても便よき舟こぎもどし給へといひて、そのたよりにまかせ、管絃の舟に乗り、かねて詩歌を奉りし故事にすがりて此香を組侍り。」と組香の作意が記載してあります。このように、この組香は、後段に表された「白河院が西川に行幸した際に浮かべた詩・歌・管絃の三舟」の景色を盤面に展開するため、連衆を「詩方」「歌方」「管弦方」の3組に分けて聞き比べを行う「一蓮托生型対戦ゲーム」となっています。 

続いて、この組香の要素名は「詩」「歌」「管弦」と「源帥」となっています。「詩」「歌」「管弦」については、それぞれの舟の名前ですし、その舟の中で詠まれ、奏でられた詩歌や音楽そのものをも表すものと考えられます。また、「源帥」とは、すなわち源経信のことです。彼は最晩年に「大宰権帥(だざいごんのそち)」となり、任地で亡くなっていますので、最終役職である「帥」が彼の代名詞となり「帥大納言」と称されていました。このことは、彼の日記が『帥記(そちき)』と言うことからも汲み取ることができます。

さて、この組香の香種は4種、全体香数は13包、本香数は10炉となっており、その構造はいささか複雑です。まず、「詩」「歌」「管弦」は各4包作り、「源帥」は1包作ります。次に「詩」「歌」「管弦」のうち各1包を試香として焚き出します。そうして、手元に残った「詩」「歌」「管弦」の各3包(都合9包)を打ち交ぜて、そこから任意に6包引き去ります。本香段は、こうして残った3包を「一*柱開」で焚き出します。続いて、先ほど引き去った6包から任意に5包を引き去り、手元に残った1包に「源帥」の1包を加えて打ち交ぜます。こうして、本香段は「二*柱開」で2炉焚き出します。さらに、先ほど引き去った5包を打ち交ぜ、本香段として「一*柱開」で焚き出します。このように、この組香では、本香を3段に分けて焚き出す、複雑な段組構造が 特徴となっています。

続いて、 本香が焚き出されますと、連衆はこれを聞き、これと思う答えの書かれた香札を1枚投票して回答します。回答に使用する香札については、出典に「札乃紋」として、「表 詩方 大雅、小雅、二南   歌方 旋頭、長歌、短歌  管弦方 玉琴、瑶瑟、龍笛」「裡(うら) 詩三枚 歌三枚 管弦三枚 源帥壱枚 以上 十枚壱人前也」とありますが、現代では専用の香札を用いることは難しいため「十種香札」を代用してよろいしかと思います。なお、連衆の名乗として使用する札表の言葉の意味は、下記のとおりです。

札表

区分

名乗

解釈

詩方

大雅(たいが)

「詩経」の三大別である風・雅・頌のうち「雅」の部門を構成する部分で、周王朝の儀式、祭祀、宴会などに歌われた詩を収めています。

小雅(しょうが)

「詩経」の「雅」の部門を構成する部分で、「大雅」より短い民謡風な詩を収めています。

二南(じなん)

「詩経」の「風」の部門で、各国の民間で歌われた15の詩章の最初となる「周南・召南地域」をまとめて「二南」と言います。

歌方

旋頭(せんとう)

和歌の一形式である「旋頭歌(せどうか)」のことです。「旋頭」とは、「頭句に帰る」ということで、「5・7・7」の3句を繰り返したものです。

長歌(ちょうか)

和歌の一形式で、「57」の2句を3回以上繰り返し、最後を多く7音で止めるものです。

短歌(たんか)

和歌の一形式で、「57577」の5句で構成するものです。合計 31字であるので,「みそひともじ」ともいう。

管弦方

玉琴(ぎょくきん)

玉で飾った琴と言う意味で一般的には「琴の美称」です。ここでは、雅楽器の「和琴(わごん)」のことかもしません。

瑶瑟(ようしつ)

翡翠で飾られた琴のような撥弦楽器のことで、古代中国では50本の弦がありましたが、後世には弦数が減り、宋代以降は祭祀に用いる雅楽専用の楽器となりました。なお、日本における雅楽では用いられていません。

龍笛(りゅうてき)

雅楽で使う管楽器の一つで、唐楽の演奏に使われる横笛のことです。

このように、札紋は「詩・歌・管弦」にまつわる代表的な言葉が配置されています。

なお、この組香は、出典に「九人にて聞く。詩方三人、歌方三人、管弦方三人。人数不足ならば二段づつとすべし。」とあり、札紋の関係から3名ずつの「9名限定」で遊ぶのが基本ですが、連衆を「詩方、歌方、管弦方」の3組に分けることは必須として、連衆の数により減員は可能であることが示されています。この点 について『香道籬之菊』では「連中九名に限る」と限定されています。

さて、この組香は「盤物」ですので、専用の「三舟香盤」を使って、戦況を楽しみながら香を聞くことが最大の趣向となっています。このとについて、出典には「三舟香盤立物之図」の項があり、そこには「詩の舟 金にて作る。黄純子の幟をたて、詩といふ文字を縫(ぬい)とす。金の麾を勝ち次第に幟の上にさすべし。「矢員香」の麾のことし。鳳凰の頭。」「歌の舟  銀にて作る。白綸子の幟を立、歌といふ文字を縫とす。銀の麾を用ゆ。孔雀の頭。」「管絃の舟 朱ぬり也。緋純子ののぼりをたて、管弦の文字を縫とす。真紅の麾を用ゆ。龍かしら。」「盤は 青海波のごとくにして、波のうねりにて一間、二間をわかつべし。初めの方を岸と定む。横三行に竪は十間なり。三行は舟を出すは舟を出す溝をほるべし。末の方は波を舟の長さに永くすべし。波は銀にてほり、上に作る岸の方に源帥を立る。」と 図とともに詳しい仕様が記載されています。

ここからは、盤物としての「立物の進み」を中心に全体の流れを説明して参りましょう。混乱をきたさないよう今回は、文間に出典を差し挟まずに書き進めます。

  1. A段(源帥が来ないまま3艘が出航する場面)

詩・歌・管弦の舟は盤の手前の「岸」に留めてゲームを開始します。A段は、「一*柱開」で、連衆は1炉ごとに香札を打ちます。「詩方」「歌方」「管絃方」とも、1炉の当たりにつき2間ずつ、舟を向こうの「沖」の方に進めることができます。2人では4間、3人では6間となりますから、当り数によっては、2炉目で舟が「沖」に行き着くこともあります。この場合は、香はそのまま聞いて回答・記録しますが、舟は 「沖」に繋ぎとめて段が始まるのを待つこととなっています。

一方、A段の3炉で当りが少なく、まだ「沖」に着いていない舟は、B段でも「沖」に向かって進み続けることとなっています。(まず沖に着いてからUターンするというルールです。)

因みに、出典や『御家流組香集』には記載のないものの、『香道籬之菊』には「一組三人共に三*柱終る迄一人も不聞時は、其舩を二間目に出で置べし。其後、客香聞あらば、聞人の多少に不構、舟を二間進すべし此時岸より漸く四間目に至る也。若又客香一人も不聞時は、其幟を伏せ、舩を取除け、此組は退座すべし。」とあり、段の香を誰も聞き当てられなかった 組は、その舟を2間目に置きます。これは、岸から離れずにそのまま係留していれば「源帥」がこれ幸いと乗ってしまうので、当否に関わらず出航させるという配慮でしょう。そうして段で「源帥」を聞き当てることができれば、人数に関わらず舟を2間進め、段は4間目から沖に向かって漕ぎ出すことができます。一方、段の「源帥」を誰も聞き当てられなかった場合は、舟に立てた幟を伏せて舟を盤から取り外し、その組は退席となります。競馬香の「落馬」のようですが、「一同退席」は、いささか厳しい処遇ですね。このため、同書には「客香にて盤の勝負定る故、聞安き香を客香に組て、一組三人の内にては必聞中る様に設るべし」とあり、客香には聞き分けやすい香木を使用して、落伍者が出ないように配慮すべきことも注記されています。

  1. (源帥の呼びかけに気づく場面)

まず、「岸」に「源帥」の人形を立て「やや、どの舟にまれ、寄せ候へ」と沖の舟を呼ぶ場面を作ります。段は、「二*柱開」ですので、連衆は2炉聞き終えてから2枚の香札を打ちます。各組の誰か 1人でも2炉のうちの「源帥」を聞き当てていれば、「源帥の声を聞いた」こととなり、その方の舟を「岸」に向け直します。「沖 」についている舟は、何人聞き当てても向きを変えるだけで進みません。

一方、まだ「沖 」についていない舟が「源帥」を聞き当てた場合は、1人につき2間進むことができ、(地の香を聞き当てても舟は進めません。)「沖 」に着いたら向きを変えて段まで待つこととなっています。それでも 「沖」に着かなければ、段でも「沖」を目指します。

なお、組のうち誰も「源帥」を聞き当たてられなければ、「源帥の声を聞いていない」ので舟を戻すことはできず、舟をその場に留め置き、ここで「盤上の負け」となります。(これは、あくまで「盤上の負け」ですので、「記録上の勝負」を続けて香炉を聞き続け、香記に成績を残すことはできます。)

  1. C段(源帥を乗せるべく岸まで漕ぎ競う場面)

ここまでで既に脱落する舟もあるかもしれません。C段で残った舟は「岸で呼ぶ源帥」を目指します。 C段は、「一*柱開」で、連衆は1炉ごとに香札を打ち、1炉の当たりにつき1間ずつ、舟を「岸」の方に漕ぎ戻すことができます。そうして、「盤上の勝負」は、いち早く「岸」に戻った舟が「源帥」を乗せれば「勝 方」となります。

なお、舟が三艘とも同時に岸へ着いた場合は、「源帥」の人形は「管絃」の舟に乗せ「金麾(きんざい) 」を「詩」の舟の幟に、「銀麾(ぎんざい)」を「歌」の舟の幟に、「真紅麾 (しんくざい)を「管絃」の舟の幟に挿します。また、岸に着いた舟が2艘、もしくは1艘であった場合は、その舟に人形を乗せ、その舟の麾を挿します。経信が「管絃」の舟に乗り詩歌を献じたということから、同着の場合はどの場合も、「管弦の舟」が優先されます。

「盤上の勝負」が決しても、なお香が焚き終わらなかった場合は、「源帥」を乗せた舟は再び沖の方に向けて漕ぎ出します。これを「後興( ごきょう)」と名付け、「至極の勝」となります。残りの舟は、聞き当てた数だけ岸に向けて進めます。これは、「勝ち舟が既に源帥を乗せて沖に出たことを知らずに、岸に漕ぎ戻る 」ことを表します。この勝ち舟の「ウィニング・ラン」が、この組香の「最大の特徴」と言えましょう。このように、この組香は、「競渡香」のように水上で丁々発止と行われる漕ぎ進みと漕ぎ戻しの「腕力」もさることながら、源帥の声を聞いて向き直る「聴力」も交えた戦況が、盤上に繰り広げられるところが魅力となっています。

「盤上の勝負」が決すると、次は「記録上の勝負」となります。まず香記は、「詩方」「歌方」「管弦方」と見出しを書いて、その左に構成員の 札紋と名前を記載しておきます。この組香の本香段と段は「一*柱開」ですので正解は1炉ごとに宣言され、香記には当たった 答えのみが記載されます。段は「二*柱開」ですので、2炉聞き終えた後に正解が宣言されます。 2炉のうち「先の香」か「後の香」が客香の「源帥」なわけですが、記録には「源帥」の当りのみを書き記し、「地の香」は聞き捨てとします。こうして、本香が焚き終わった時にはあらかた出来上がっています。

因みに、唯一香記の記載例が示されている『香道籬之菊』では、「二*柱開」の段は「源帥」の当りのみが記載され、聞き捨てとなる「地の香」には、「〇」を書いて当りを示すこととなっています。

この組香の点法については、出典に「点数は十*柱香に同じ」と短くあるため委細は分かりかねますが、「有試十*柱香」のように要素名の当りに付き1点、客香に加点要素なし、段の「地の香」は聞き捨てとすれば、後の下附の配置と辻褄が合います。

下附は、香記の回答欄に記された答えの数を各自の成績とし、それに従って書き附します。出典には、下記の通りの4文字が書かれています。作者の正翼は漢詩も作っていたため、それなりの意味はあるものと思いますが、確信には至りませんでしたので、ここでは概意のみ掲載しておきます。

成績と下附

成績

下附

概意

皆中

 

風流兼達

(ふうりゅうけんたつ)

風流に兼ねて達した人

*

解事怜官

(かいじれいかん)

練達した音楽を奏でる楽官

*

閑雅人物

(かんがじんぶつ)

風流でしとやかな優れた人柄の人

*

好文雅士

(こうぶんがし)

学芸などの文化を好む上品な人

*

筆研良友

(ひっけんりょうゆう)

文章を書くためになる良い友人

*

談笑非俗

(だんしょうひぞく)

笑いを交えて語り合う世俗化していない人

*

握手大噱

(あくしゅたいきょう)

手を握って大笑いできる人

*

崑岡一塵

(こんこういつぢん)

仙界「崑崙山(こんろんさん)」の僅かな塵のような人

*

桂林蛛糸

(けいりんちゅうし)

景勝「桂林」の蜘蛛の糸のような人

(桂林には「文人仲間」という意味もあります)

罰杯無算

(ばつはいむさん)

罰として数えきれないほど酒を飲まされること

このように、おそらく成績ごとの「品格」や「称号」を表す意味で作られた言葉が列挙されています。ただし、「三*柱」「二*柱」は「とるに足らない人」という蔑称で使われているように思えますし、「無」に至っては、完全に「お仕置き」となっています。

最後に、「記録上の勝負」は、各組の構成員の得点を合計して、最も多い組が「勝方」となり、香記の見出しの下に「勝」と記します。そして、香記は勝方の最高得点者のうち上席の方に授与されます。

各地では川開きも行われ、涼しさを求めて水面に足を運ぶことも多くなりますね。舟遊びは、古くは万葉の時代から行われ、数々の歌にも歌われています。皆様も「三舟香」で 「三舟の才」にあやかってみてはいかがでしょうか。

 

 

「続ける才能」のうち最も無為に近いのは「やめないこと」ですが

終点を想定して最後のブレーキを踏み込むタイミングって難しいですね。

船べりに波の綾なす翠影鳥啼く渓の清しき瀬音(921詠)

 組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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