八月の組香

十五夜の月光が世界を遍く照らすという組香です。

焚かれた客香を席中で空焚きするところが特徴です。

※ このコラムではフォントがないため「ちゅう:火へんに柱と書く字」を「*柱」と表記しています。

*

説明

*

  1. 香木は、4種用意します。

  2. 要素名は、「團々離海嶠」「漸々出雲衢」「今宵一輪満」と「清光何處無」です。 (委細後述)

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. 「團々離海嶠」「漸々出雲衢」「今宵一輪満」は各4包、「清光何處無」は1包作ります。

    (以下、要素名は2文字に省略します。)

  5. 「團々」「漸々」「今宵」のうち各1包を試香として焚き出します。

  6. 「團々」「漸々」「今宵」の各3包のうち、「團々」と「漸々」から各1包、「今宵」から2包引き去ります。(=計 4包)

  7. 手元に残った「團々」と「漸々」の各2包、「今宵」の1包を打ち交ぜます。(計5包)

  8. 本香A段は、5炉廻ります。

  9. 連衆は、試香に聞き合せて、これと思う要素名を名乗紙に5つ書き記して回答します。

  10. 本香A段が終わったところで、一旦正解を宣言し、当った答えに合点を掛けて置きます。

  11. 続いて、先ほど引き去っておいた「團々」と「漸々」の 各1包、「今宵」の2包に「光 」の1包を加えて打ち交ぜてます。(計5包)

  12. 本香B段は、「一*柱開(いっちゅうびらき)」で焚き出します。(炉数不定)

※ 「一*柱開」とは、1炉ごとに回答し、正解を宣言し、当否を記録するやり方です。

−以降13番から16番までを「清光」が出るまで繰り返します。−

  1. 香元は、1炉ごとに香炉に添えて札筒(ふだづつ)か折居(おりすえ)を廻します。

  2. 連衆は、1炉ごとに試香に 聞き合せてこれと思う札を1枚打ちます。

  3. 香札が返ったところで、香元は正解を宣言します。

  4. 執筆は、香の出を記録し、当った答えのみ香記に書き記します。

  5. 「清光」の出が宣言されたところで、本香は打ち止めとなります。

  6. 「清光」は、香炉のまま香盆に据えて「空焚き」とします。

  7. 点数は、要素名の当りにつき1点と換算します。(10点満点)

  8. 下附(中段)は、各自の当り様によって、景色のある言葉を書き記します。(委細後述)

  9. 下附(下段)は、全問正解は「全」その他は得点を漢数字1文字で書き附します。

  10. 勝負は、最高得点者のうち、上席の方の勝ちとなります。

 

 海辺の夕涼みに孤高の月が身を照らす季節となりました。

おかげさまで、「今月の組香」も300組を数えることとなりました。思えば39歳から書き始めたこのコラムも今月で25周年を終えようとしています。流石に初回の「重陽香」からご覧いただいている方は少ないと思いますが、長い間のご愛読本当にありがとうございました。

ここで、誠に突然で申し訳ないのですが、本号を以って「今月の組香」は定期連載を休止させていただくことにいたしました。その理由の一つは、やはり「寄る年波」です。「目と手がまともなうちは、クセで書き続ける!」つもりでしたが、折からの「ネタ不足」に加え、やや頭の方も衰えてきたのでしょう、集中力が続かず執筆中に頭が痛くなって筆を止めることが多くなりました。そのため、昔は月に3日あれば書き終えていたコラムでしたが、次第に「土踏まずの文筆活動」に時間を取られることが多くなりました。また、私もせいぜいあと15年の余命と考えると「死ぬまでにやりたいこと」も捨てがたいタスクとして残っており、「締め切りの無い生活」も老後にとって大事なことだと思い始めました。そのようなわけで、これからは「ご紹介したい組香」と出会った時にその都度掲載するという方式に切り替え「毎月定期掲載」にはこだわらないことといたしましたので、何卒ご了承をお願いいたします。

その代わり、これからは一旦休止していた「香書の読み解き」に主軸を移したいと思います。「組香の紹介」に比べると実践的ではないので、皆様へのプレゼンスは下がると思いますが、もともと「香道400年来の言葉を将来に残す」というコンセプトで始まったサイトですので、自分の興味の赴くまま「悠々自適」の香道研究を続けて行き、その成果として「読み下し」をサイトに残して行きたいと思っています。「翻訳」は、いわば「読めた文字をテキスト起こす」単純作業ですので、これまでのように自分の思いが発露できるクリエーティブな「執筆」ではありません。それでも、資料を頂いた皆 様の気持ちに答えるかたちで、少しでも多くの香書に陽の目を見せてやりたいと思います。

職業人としても来年3月末で完全リタイアのつもりですので、もしかすると春以降は暇でしょうがなくなるかもしれません。ただ、その際もなるべく「やりたいことリスト」に横線を引くことに傾注して、人生の終焉を豊かに迎えていくべきだと思っています。もともと「香人921」のアイデンティティの大部分は「今月の組香」で支えられていました。お陰様で香道界に身を置いていた時代に比べて、ネット香人の方がはるかに内実を伴った発展・拡大を成し遂げることができました。しかし、今は老いさらばえて、中身が虚ろなまま形骸のみを保っている状況です。自らの引力で内部崩壊を起こす前に体躯を小さく凝縮して行くのも老後の務めかなと思いました。まあ、それでも「執筆」という仕事は魅力的ですし、なによりもクセになっているので、またすぐに懐かしくなるかもしれません。そんな時は、こっそりと「組香の紹介」を掲載して行こうと思います。また、これに伴ってサイトの構成や内容も少しずつ更新して行こうと思っていますので、今後ともよろしくお願いいたします。

今月は、十五夜の月光が世界中を照らす「海月香」(かいげつこう)をご紹介いたしましょう。

「海月香」は、『外組八十七組の内(第三)』に掲載のある秋の組香です。今月は、納涼も兼ねて「水」に関する組香をご紹介しようと探しておりましたところ、漢詩の句が要素名となっている珍しい組香を見つけました。おそらくは、これらの難しい漢字の羅列が壁となって、今までご紹介するに至らなかったのだと思います。「クラゲ香だったら面白いのに…」などと思いながら読み解きを進めてみましたら、組香の景色が「能」や「禅語」の世界にも広がり、世界中の人々が十五夜の円満な月に照らされて心和ましていく姿が思い浮かびました。そこで今回は、当コラムの一区切りに「世界平和」を願って、この組香をご紹介することといたしました。このようなわけで、今回は『外組八十七組の内』を出典として書き進めて参りたいと思います。

まず、この組香には「証歌」のようなものが、出典の「海月香之記」の記載例の「記録の奥」の部分に書き記されています。

「水の面に照る月なみをかぞふればこよひぞ秋の最中なりける 拾遺和歌集171 源順」

この歌の詞書には「屏風に、八月十五夜池ある家に人あそひしたる所」とありますので、月見の宴の遊興で詠まれたものと思われます。意味は、「池の水面にある月の姿を映した波の美しさに月齢をかぞえてみれば、今宵はまさに仲秋の真ん中の十五夜であったよ。」ということでしょう。なお、「月なみ」は「月波」(波に映る月光)と「月次」(月齢)を併せ持った言葉です。

詠人の源順(みなもとのしたごう:911-983)は、平安時代中期の貴族で、若い頃から学才を発揮しましたが、官位としては従五位上とそれほど出世しませんでした。しかし、歌人としては、村上天皇の時代に「梨壺の五人」として和歌所寄人となり、勅撰歌人としても『拾遺和歌集』(27首)以降の勅撰和歌集に51首が入集しており、「三十六歌仙」の一人に数えられています。

この歌は「秋の最中」を詠った代表的な秀歌として名を馳せ『和漢朗詠集』にも掲載されていますが、出典の本文中にこの歌に関連する記述は一切なく、要素名や下附の部分でも漢詩の世界が色濃く展開されているため、非常に影が薄く感じます。私見ですが、この歌は「組香の文学的支柱」としての「証歌」ではなく、漢詩が表す景色を総括的に補完するための「脚色」として、漢詩の達人であった源順の歌を用いて景色のお化粧塗りをしているのではないかと思います。なお、歌の末尾について、出典では「なりけり」となっていましたが、この歌が掲載された書物は、すべて「なりける」となっているので、このコラムでは書写のミスとして修正しました。

次に、この組香の要素名は、「團々離海嶠」「漸々出雲衢」「今宵一輪満」と「清光何處無」となっています。これは即ち五言絶句の「漢詩」であり、それぞれが「起承転結」を表す句となっています。この詩について調べてみますといろいろな世界観が広がり、これがこの組香の「文学的支柱」なのであろうことが判ります。

訓読しますと…

團々離海嶠(だんだんとしてかいきょうはなれ)

漸々出雲衢(ぜんぜんとしてうんくをいづ)

今宵一輪満(こよいいちりんみてり)

清光何處無(せいこういづれのところにかなからん)

意味は「丸い月が海の近くにそびえる高くけわしい山を離れ、少しずつ雲の行き来する處から顔を出す。今宵も一輪の満月が輝いている。この清らかな光が届かないところなどどこにもない。」ということでしょう。

この詩について、原典を辿りましたところ、中国のサイトに以下の記述が見つかりました。

【曹全碑隸書集字】

《中秋玩月》

團團離海角,漸漸入雲衢。

此夜一輪滿,清光何處無!

この詩の作者は不明だが、五代十国時代の南唐、金陵の金輪寺の詩人であり僧侶であった「明光」が書いたという説もある。

中秋節の真夜中、明光が寺で月を見ていたとき、月が空の真ん中にあり、全世界が明るいのを見て、心が悟りを開き、この詩を詠んだと言われている。あまりの嬉しさに、彼は興奮して寺の鐘を鳴らしたという。この詩が詠まれたのは、南唐の故李荘公が即位しようとしていた頃である。李荘公は真夜中に寺の僧が鐘を鳴らすのを聞き、何か不吉なことがあるのではと町中が警戒した。 明王は憤慨し、夜明けに鐘をつく僧を殺そうとした。 明光が逮捕され、裁判にかけられたとき、彼は月と戯れて詩を得たと報告し、それを朗読した。

僧が詠んだ月の詩が吉兆となったのは、文人が謡うような、「三々五々の夜、月は半ば塀の上にあり、風は動き、影は動く、見るも哀れ」というような詩ではなかったからである。

※「每日頭條」https://kknews.cc/zh-tw/other/xeppej9.htmlから引用→「DeepL」で翻訳

この漢詩は、日本に伝わって謡曲「三井寺(みゐでら)」となります。「三井寺」は、滋賀県大津市にある天台宗寺門派の総本山で「日本一の音色」と言われる「三井の晩鐘」は、近江八景の一つともなっています。正式名称の「園城寺(おんじょうじ)」は、我々香人にとっては「六十一種名香」の名前としても知るところでしょう。

「三井寺」のあらすじ

 中秋の名月の夜に三井寺の僧たちが、弟子の少年を連れて講堂の庭で月見をしていると、子供が行方知れずになった「物狂いの女」が登場して、寺の鐘を撞こうとします。

 これを僧が止めると、女は「『団々として海嶠を離れ漸々として雲衢を出づ』と詩を作り、後句に悩んでいた詩人が、明月に心を澄まして『今宵一輪満てり 清光何れの処にか無からん』という句を思いついて、嬉しさのあまり心乱れ高楼に登り鐘を撞いて咎められた」という「詩狂の故事」を語り、「これほど狂い廻っても、子に似た人さえいない」と悲しみます。

 そこに居合わせた少年が、自分こそ貴女の子「千満」だと明かし、鐘の声のお陰で巡り合えた親子は故郷に帰り、富貴の家となりました。 

 (めでたしめでたし)

このように、この物語は明らかに先ほどの中国の故事から引用されて作られています。そして、この組香は、作者が当時見聞きすることができた謡曲「三井寺」の景色を写したのではないかと思います。

因みに、茶道に使われる禅語で『虚堂録(きどうろく)』等に「此夜一輪満、清光何處無」と先ほどの漢詩の後句のみが伝わっています。これは、優れた情景描写に加えて「仏の慈悲を月の光にたとえたもの」と解釈され、仲秋の名月の景色を表す二行物として茶席に掛けられています。

ここで、第一句の末尾について、出典は「海境」(海神の国と人の国とを隔てる境界)という文字が使われています。また、中国の詩では「海角」(岬)となっており、どちらも「岸を離れた」という意味で用いられたものと思われます。しかし、日本に伝承されている詩では「海嶠」となっており、月ならば「山端を離れた」の方がふさわしいと思いますので、このコラムでは「海峡」に修正しました。

さて、この組香の香種は4種、全体香数は13包、本香数は10炉となっており、構造は複雑です。まず、「團々離海嶠」「漸々出雲衢」「今宵一輪満」は各4包、「清光何處無」は1包作ります。(以下、要素名は2文字に省略します。)次に、「團々」「漸々」「今宵」のうち各1包を試香として焚き出します。本香について、出典では「出香、先ず團々二包、漸々二包、今宵一包合わせて五包打ち交ぜ焚き出す。試香に合わすべし。聞き終りて又、残り團々二包、漸々二包、今宵一包に清光一包合わせ、五包焚くべし。」とあり、手元に残った「團々」「漸々」「今宵」の各3包のうち、「團々」と「漸々」から各2包、「今宵」から1包引き去り、計5包を打ち交ぜて、本香A段は「名乗紙の後開き」で5炉焚き出します。(冒頭の小記録 と解説は、構造式に表わす都合上「所定の包を引き去って本香の本香A段の5包を手元に残す」という形に表現しています)。

本香が焚き出されましたら、連衆は試香に聞き合せてこれと思う要素名を出た順に名乗紙に5つ書き記して回答します。段は試香で聞いたことのある香ばかりですので、簡単かと思います。段が焚き終わり名乗紙が返って参りましたら、その結果を一旦香記に認めます。執筆は各自の答えをすべて香記に書き記し、香元に正解を請います。香元はこれを受けて正解を宣言します。執筆はこれを聞き、香の出の欄に正解を書き記します。出典の「海月香之記」の記載例では、要素名を「團」、「漸」、「今」と1文字に省略して「千鳥書き」しています。 本香A段は、「月待ち」の景色を表すものと考えられます。

続いて、最終的に残った「團々(1包)」、「漸々(1包)」、「今宵(2包)」に「光」の1包を加えて計5包を打ち交ぜて、本香B段を焚き出します。段については、出典に「清光の出を以って限りとして夫れ切る。残り焚くべからず。」とあり、客香である「清光」が焚き出された時点で「打ち止め」とすることが書かれています。 「主役が登場したら打ち止め」という組香もよく見受けられ、ここでも「清光」の登場は「月見の成就」を表すのですしょう。

出典には明示されていないのですが、名乗紙の後開き方式では、いつ「清光」が出て「打ち止め」にすべきか判らないため、段は「札打ちの一*柱開」で行うべきかと思います。幸いこの組香は「十種香札」で読み替えができますので、「團々(一)」「漸々(二)」「今宵(三)」「清光(ウ)」として、回答すればよろしいかと思います。

そうして香元は、香炉に添えて札筒か折居を廻します。連衆は試香に聞き合せてこれと思う札を1枚打ちます。香札が戻って参りましたら、執筆は、先ず香元に正解を請います。香元はこれを受けて正解を宣言します。執筆はこれを聞き、香の出の欄に要素名を書き記します。出典の「海月香之記」の記載例では、段は要素名を「團」、「漸」、「今」、「清光」と省略し、段の千鳥書きの下に縦一列に書き記します。続いて、執筆は札を開き、「一*柱開」の例に則り、当った要素名のみを各自の回答欄に記載します。B段は、これを「清光」が出るまで続けます。

そして、「清光」が出た場合について、出典には「其の清光の香を香盆に残して空焚とするなり。」とあり、その香炉を香盆に載せて席に残し「空焚き」とすることになっています。このことは、答えの正否にかかわらず、この組香の主役である「十五夜の月光」を遍く席中の皆で楽しむ「月見」の景色を表すものなのでしょう。これが、この組香の卓越した趣向であり「最大の特徴」と言えましょう。

香元が「清光」の宣言を終えた時点で記録はあらかた出来上がっており、次は下附の段となります。この組香には、中段と下段、2種類の下附が用意されており、中段には、各自の当り様によって景色を表す言葉が配置されています。

当り様と下附

当り様

下附(中段)

全の人は

二千里外(にせんりのそと)

初五種の内当り多く、後少なきは

暁雲(あかつきのくも)

後多く、初少なきは

宵雲(よいのくも)

両方等分なれば

山家月(さんかのつき)

一、二*柱の当りは

木の間月(このまのつき)

無聞の人は

雨雲(あまぐも)

今宵ばかり当る人は

三五夜中(さんごやちゅう)

清光ばかり当る人は

新月色(しんげつのいろ)

全体としては、A段とB段の成績を比べて付ける景色特定の当り様に付ける景色の2つがあるようです。「雲」のかかる言葉は、午前・午後の時間帯と雲の分量でなんとなく理解できます。「山家の月」は、見晴らしが良いので始終雲もあり月もありで「等分」なのでしょう。「木の間の月」は、枝葉の間からチラチラ見える程度の月影で「前後を比べるにも値しない」のでしょう。その他の言葉は、三五夜中新月の色二千里の外の故人の心(白居易)」の詩から引用されており、意味は「八月十五日の新たに射し出た月の光を見るにつけても、二千里の彼方にいる友人の心が思い遣られる。」ということでしょう。「二千里」とは中国の長安から江陵までのことです。「故人」とは白居易と親交があった文人宰相「元稹(げんしん)」のことで、左遷先の彼を思い遣ったことが伺われる詩となっています。この下附は、例えば「今宵」のみ全て聞き当たると、結果的にB段の当りの方が多いので、下附を「三五夜中」とすべきか「宵雲」とすべきか迷いますが、その際は「特殊法優位の原則」で、「三五夜中」を書き附すことでよろしいかと思います。

因みに、この詩も謡曲「三井寺」では、シテ「実に〳〵今宵は三五夜中の新月の色。二千里の外の故人の心。水の面に照る月並を数ふれば。秋も最中夜も半。所からさへ面白や。」の台詞として登場します。

さらに、この組香では、下段に各自の成績を点数で下附します。全問正解は「全」その他は要素名の当りにつき1点と換算し(10点満点)各自の得点を漢数字1文字で書き附します。このように各自の回答欄の下に下附が2段重なるというところもこの組香の特徴と言えましょう。

下附を書き附しますとこのような回答欄となります。

           

           
  團   漸   漸   漸   團   團
  今   團      團   今   今
  團         今   漸   團
           
     
   
 

   

           

 
           

 

 

    は当り

そうして、先ほどの「水の面に…」の歌を記録の奥に書き記して、景色を締めくくります。

最後に勝負は、最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。「お月見」ですので、同点の場合は「清光」を聞き当てた方が優先というルールがあっても良いかもしれませんね。

出典本文の末尾には「香業習い有る五事の内、月の會に業用考うべきなり。」とありますので、由緒正しい「月見の香筵」となることでしょう。皆さんも「海月香」で水面に映る月の波を感じてみてはいかがでしょうか。

 

 

四半世紀を超えた歩みを止めるのは難しいと思います。

岐路の先は細く草深いですが…

マイペースで足跡を残して行きたいと思います。

香筵を去りて分け入る八重葎独り行くべし我が道なれば(921詠)

 組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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