一月の組香
芸道の普遍的真理と到達の過程を表した組香です。
お正月は一年の事始め、お稽古の原点に立ち返って聞いてみましょう。
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慶賀の気持ちを込めて小記録の縁を朱色に染めています。
説明 |
香木は4種用意します。
要素名は、「習、行、知、真」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「習、行、知」はそれぞれ3包作り、そのうち1包ずつを試香として焚きます。
残った「習、行、知」の各2包(計6包)に「真」1包を加えます。
本香は、この7包を打ち交ぜて7炉焚き出します。
答えは、「習」「行」「知」「真」と要素名を出た順に7個書きます。
点数は、当たり方のパターンにより下附で表されます。
「全中」とは、パーフェクトのことです。「全不中」はその逆です。
7つの答えに一部当り外れのあるものは「その他」となります。
香道では、正月になると教室等の仲間が集まり、賀詞交換や師匠への年賀の意味も含めて「お初会」という特別な席を設けます。お正月の組香というと、松、竹、梅、鶴、亀のような要素名使ったもの、「君が代」の歌詞を証歌や聞きの名目に使ったものが多く見られます。「慶賀香」などがこの種のおめでたい組香の代表作でしょうが、私は正月を一年の事始めと捉えて「元のその一」、即ち「初心に返る」契機としていただくのも良いのではないかと思い「事始香」を御紹介することとしました。
永年お香を嗜んでいますと、やはりいろいろな節目に出会います。一途に習い覚えるだけの時期は良いのですが、ある程度時が経つと、へんに極めたつもりになったり、迷ったり、挫けたり、そこから細い曲がりくねった小道を見つけたりと、個々人が多様な経路でじっくりと極意(真理)を目指すこととなります。そして、真理は必ずしも道の到達点のみに存在するものでもありません。よく職人が「一生勉強」という言葉を使いますが、芸道というものも真理といつも一体で修行をしていながら、その真理がなかなか自分のものにはならないところがあります。
この組香の証歌も利休がそんな気持ちで詠んだのではないでしょうか。・・・とても心に染みる歌です。
「習い」「行い」「知る」ことというのは、道を極める上で必要不可欠の要素でしょう。習うことが行うことや知ることそのものであったり、また、習うことが新しい行いや知ることの端緒であったりとそれぞれに因果関係があり原因と結果を成しています。これらは「永遠の三角関係」とも言えるのではないでしょうか?そして、その三角関係に棹差して見え隠れする「真理」という存在があり・・・こんな連綿を繰り返しながら人々は道を進むのではないかと思います。
事始香は、「精進の姿」を景色として時系列的にそれを物語る組香です。香人もそれぞれ知識を重んずる人、手習いを重んずる人と様々なタイプがあると思いますが、私自信を顧み、将来を予想しますと「知→習→行→習→知→真→行」と人生の最後に「行い」の足りない分のツケが回ってくるパターンではないかと思っています。皆さんはいかがでしょうか?組香の結果が自分の精進パターンと一致していたら面白いでしょうね。
下附は、すべて当たれば「よろこび」と書き記します。これは「真」を手に入れた喜びのみならず「習、行、知」そのものへの喜びも表すでしょう。すべて外れても「悲しみ」とはしないで、「くりかえし」と仕切り直させるところも芸道ならではの粋な計らいです。答えが当たったり外れたりしている人は、「習っているつもりで知っていたり、行ったつもりが知っていた」と自分のやっていることの意味が分からなくなっているのですから道の途中で「まよう」ということでしょうか。
香道は、私にとっていつも新しい発見や喜びを与え続けてくれています。これがなければ「コンピュータを買ってインターネットでホームページを運営」「香道の門戸を広げるとともに四百年後にも判読可能なノウハウを残す」なんて考えもつかなかったでしょう。(考えつく方がオカシイですかね?)でも、決して「まよう」ではないという確信があります。「高いところに上ると道が開け、その道のりは遠く見える」と言います。道のりの遠さに挫けず、楽しみ且つ喜びながら一歩一歩進みたいものです。
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。