四月の組香
源氏物語にも登場する有名な和歌に因んだ組香です。
花の宴が催される頃のうららかな情景を思い浮かべながら聞いてください。
説明 |
香木は4種用意します。
要素名は、「霞、花、月、春」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「霞、花、月」はそれぞれ2包(計6包)作り、そのうち1包ずつ(計3包)を試香として焚き出します。
残る「霞、花、月」各1包(計3包)をうち混ぜて、任意に1包を引き去り、残った2包は総包に納めます。
引き去った1包に「春」3包を加えて、うち混ぜて順に焚き出します。
本香は、4炉回ります。
答えは、要素名を出た順に4つ書きます。
点数が皆の場合は、「春」の中に混じって焚かれた1包の要素名によって、下附が変わります。
答えに当り外れのある場合は、「すぎゆく春」と下附します。
春先になって、空気に湿り気が出てくると、冬には、冴え冴えとしていた月が急にぼんやりと霞んで別人のように恥じらいます。うっすらと外輪のかかった白い月を見るのに見飽きるということがないのは、「想像」という知的活動に誘われるからでしょう。これは、平安貴族の「御簾越しの恋」と同じように人々を宇宙への憧憬の念に駆り立ててくれます。
この組香は、「霞、花、月」をあらかじめ試みすることによって「毎年訪れる春の事象」を確認しています。そして、その事象に薄っすらとベールをかぶせるように「春」という試みの無い要素が織り交ぜられ、おぼろげな中からいつもの春の景色を探し当てるという趣向です。
要素名「霞、花、月」は、春日を愛でる「時の景色」を表わしているのではないでしょうか?つまり、霞(朝)、花(昼)、月(夜)という含みが あり、そのうち一つの要素のみが出ることによって、「春」という要素そのものの「時」の概念を定義付けているような気がします。例えば「春、春、月、春」と出た場合、「月」の出によって「春」そのものが「春の夜」の景色になり、「霞」によっては「春の朝」、「花」によっては「春の昼」となるように・・・・
また、試みで聞いた要素は一つしか焚かれないのに、試みに出なかった「春」という香が3つも出るというのは、正に「春」を御簾代わりにして「月」にベールをかぶせているようにも思えます。
事実、別の「朧夜香」(香6種10柱焚き)では、「霞、花、月」から1包抽出することは変わりませんが、「春」 という要素名に代わって「初春」「中春」「季春(晩春)」がそれぞれ3包用いられており、明らかに「季節の経過」と「時の景色」を結び付けた意図が感じられますし、御簾代わりの「○春」が9つも焚かれ、より複雑に構成されています。
下附については、「霞、花、月」に対応する景色を端的に表現していますが、これは皆(パーフェクト)のときしか記録されず、その他は「すぎゆく春」と附されます。これは、毎年訪れる春の事象に気付かず、おぼろげのままに季節を過ごしていく様を表現しているのでしょう。
この組香の証歌となっている大江千里の和歌は、中世の美意識を代表する春の歌とされています。この歌は、源氏物語の「花宴」に登場する「朧月夜の内侍」が光源氏に遭遇したときに口ずさんでいた歌としても有名です。朧月夜の君を見初めた光源氏は、
「春の夜の 情けを知れば 照る月に おぼろげならぬ 契りをとぞ思う」と大変直接的な歌を返し、長〜い「なりませぬ!なりませぬぅ。」状態の末、遂に結ばれます。朧月夜は源氏物語に登場する女性の中で人気が高い登場人物ですが、私はこの「なりませぬ。なりませぬ。」状態の描写に現れる朧月夜の理知的で初々しい姿が好感を呼んでいるのではないかと思います。暖かい春の夜が続きます。皆さん、ベランダに出て朧月夜の表情を心行くまで堪能してください。
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。