五月の組香
香りによって懐旧の情を呼び起こされるという組香です。
段組のある組香なので、時間経過や場面転換を味わって聞きましょう。
説明 |
香木は4種用意します。
要素名は、特になく「一、二、三、ウ」と番号で表わします。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「一、二、三、」は、それぞれ4包(計12包)作り、そのうち1包ずつ(計3包)を試香として焚きます。(ウは、試みがありません。)
残った「一、二、三、」各3包(計9包)をうち混ぜて、任意に5包を引き去り、仮置きしておきます。
手元に残った4包に「ウ」1包を加えてうち混ぜ、A段本香は、5炉回ります。
A段の香炉が回り終えたら、「続いてB段焚き始めます。」と宣言します。
先程、仮置きしたおいた5包から任意に2包を引き去り、総包に納めます。(2包は使用しません。)
手元に残った3包に「ウ」1包を加えてうち混ぜ、B段本香は、4炉回ります。
答えは、要素名を出た順序に書きますが、「聞の名目」に従って、A段のウと思われるものは「花橘」、B段のウと思われるものは「袖の香」と書きます。
点数は、基本的に当った香の数となりますが、A・B段ともにウを当てた場合は「昔の人」、A・B段ともにウが当たらなかった場合は「五月雨」と下附します。
陰暦五月は、「橘月」とも呼ばれます。
この組香の題材である、「伊勢物語」の第六十段は、「公務が忙しく家庭を顧みない『男』を捨てて、男と逃避行した『家刀自』が、後に勅使として宇佐八幡宮へ下向した元の夫とめぐりあい、夫が懐旧の情を歌に詠んだので、女は自分の心浅さを恥じて出家した」という話です。
「花橘の香」が懐旧の情を催もすものとして取り扱われた例は「源氏物語(花散里)や「徒然草(十九段)」にもみられ、後世の和歌にもしばしば詠まれるなど、一種「型式化」しています。
A段は、香包5包が「五月」を表わし、それに「花橘」(ウ1包)を加えることによって、「五月になると花橘が香る」という情景を一義的に表わします。また、香包5包を「人」と解釈し、「夫婦だった頃、人あまたあるなかで、『男』は『家刀自』の香りを花橘の様だと思っていた。」という内的背景も説明しているようにも思えます。
B段は、宇佐の接待役『官人』の催した宴の席上ということになるでしょう。3包は、「宴席の客」なのでしょうか?そこに昔聞いたことのある「袖の香」(ウ1包)が加わって、懐旧の念がこみ上げ、『男』は肴に出た橘の実を取って歌を詠み『家刀自』の香りを懐かしむのです。
A段・B段とも「一、二、三」と要素に匿名性を持たせていることによって、各要素が「月」であったり、「人」であったりと解釈できるところが妙味ですね。
B段には、「A段で引き去った5包とウ1包をうち混ぜて、任意に2包とりこれを焚く」という意地悪な組香もあります。これだと、「袖の香」が出ないこともあり、『男』は『家刀自』に逢えないということになります。(-_-;)
下附は、ウ香を二つとも聞き当てた場合は、「昔の人」となり、二人は再会を果たします。ウ香を二つとも聞き当てられなかった場合は、「五月雨」となります。「雨にはばまれて外歩きもできず、悶々と失った女房への想いに耽っていた」ということになるのでしょうか?
香りは、人間の最も動物的な脳の部分に作用する刺激ですから、過去に聞いたことのある香りによって、そのときの情景や記憶がよみがえるということは、皆さんも経験していることと思います。そのような「個人的記憶」と「文学的背景」、「香席の雰囲気」というものが相俟って香木の印象は「一期一会」に昇華されていくのではないでしょうか?
いずれ、このようなエピソードは、現代ではよくある話ですね。
ただ一つ違っているのは、「女が悔い悩んで出家してしまう」というところでしょうか?
いまなら、「男」は、後足で砂をかけられるぐらいですよね。
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。