八月の組香
源氏物語の空蝉の帖を題材にした組香です。
段組で表された場面転換と登場人物の心情を味わいながら聞きましょう。
説明 |
香木は、
要素名は、
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「空蝉」は
この段階で、
この各要素を1包ずつ組み合わせて使うところが、この組香の特徴です。
A段では、
A段の
B段では、
B段の
C段では、
C段の
得点は点数で記載します。
この組香は、源氏物語第三帖の「空蝉」を題材にしています。
有名な「雨夜の品定め」に続く「箒木」の帖の後半で「源氏」は、紀伊守邸へ方違(かたたがえ)の際、半ば無理やり「空蝉」と契り、その後、弟の「小君」をもらい受けます。その小君の手引きで再度、空蝉の寝所に忍び込みましたが、空蝉が蝉の抜け殻のように単衣(ひとえ)を脱ぎすべらして逃れたので、たまたま同室に寝ていた「軒端の荻」(のきばのおぎ)と契ってしまうということストーリーです。光源氏が17歳(既婚)のときですから、女遊びが一番楽しい頃の「ちょっとしたつまずき」のエピソードとも言えましょうか?後に挿入された短編的な逸話とも言われています。
「空蝉香」の「空蝉」は人名であり、季節感とはあまり関係がありませんが、「蝉」という語感と「空蝉」の帖の舞台が、夏の夜の話であったことから、この季節の組香として用いられるようになったようです。
この組香は、登場人物が要素名となっています。
「源氏」は、申すまでも無いでしょう。「源氏物語」正編の主人公であり、桐壺帝の第二皇子です。その美貌と才覚を高麗の相人が「光君」と称して後、臣籍に下って源姓となり、「光源氏」と言われるようになりました。この時期の源氏は優れた資質のみならず好色(いろごのみ)でも知られていますが、晩年に見られる「契った女は一生面倒を見る」という律儀さは見習うべきものがありますね。
「空蝉」は、源氏をめぐる女性の一人で、故衛門督の娘、伊予介の後妻です。一度は源氏に身を許しましたが、身分の不相応を恥じて、以後源氏を避け続けました。夫の死後、尼となりましたが、のちに源氏に二条院に迎えられます。
「小君」は、空蝉の弟で故衛門督の末子、年齢は不詳ですが、かわいらしく、且つ幼いのになかなか気遣いのある人間として描かれています。
「軒端の荻」は、空蝉の継子です。容貌風体は、源氏が紀伊守邸で碁を打つ二人を垣間見する際に詳しく記述されています。軒端の荻は、そのまま空蝉の寝所で寝てしまいますが、空蝉が単衣を残して抜け出したために、忍び込んだ源氏が間違えて(勢いで?)契ってしまいます。
これらの登場人物は、用いられる香木の量でも、主役、脇役が容易に見てとれるでしょう。また、「空蝉」と「小君」に試みがあるのは、既に「源氏」の知人であることを物語っているものと思われます。
この組香は、段組がされており、それぞれの段が「空蝉」の帖の場面と登場人物の存在意義を表しています。
A段は、小君の手引きで源氏が空蝉と合うところ、箒木の後半から紀伊守邸へ忍んで行くまでの場面でを表しています。
B段は、寝所の場面で、源氏が忍び、軒端の荻が寝ており、空蝉が単衣を残して逃れます。ですから、B段の空蝉の出は、「単衣」(ひとえ)と答えて隠し、登場人物は源氏と軒端の荻だけとなります。
C段は、源氏と空蝉の事後の気持ちを表します。源氏は、「蝉が殻を脱ぐように身を変えて逃げ去っていった木の下にも、やはり貴女の人がらが懐かしく思われます」と和歌を懐紙に書いて小君に渡し、それを見た空蝉は「空蝉の羽に着く露が木に隠れて見えないように私も密かに貴方を忍んで涙で袖を濡らしております」と懐紙の隅に書いて返歌とします。C段では、それぞれの要素を「源氏」は「木陰」、「空蝉」は「木下」と読み替えて答えとします。普通ならば、詠み手の気持ちをそのまま当てはめて、「源氏」は「木下」、「空蝉」は「木隠」とするところですが、この組香では、「歌を送られた者の想いの馳せ」を託すために敢えて交叉させ、恋慕の情の深さを表現しています。そして、一包だけを焚くことによって、この組香における「空蝉」の帖のテーマを「源氏の想い」か「空蝉の想い」か一方に導き、更に新たなストーリーの展開を期待させるように作ってあります。つまり、隠れてはいても「木下」、「木隠」の歌のどちらかは、あとづけの証歌としての意味をもつという訳です。(最初から証歌二首として掲載される場合もあります。)
因みに、この組香に皆中は「人がら」、その他は「濡るる袖」 と更に下附をつけるという説もあります。私としては、「濡るる袖」はいいのですが、「人がら」は「人殻」の掛詞になっていますから、全部当たったときの下附にはふさわしくないような気がし ています。虚飾に陥りやすい嫌いがあるので、私は点数だけでもよいと思うのですがいかがでしょうか?
この組香は、非常に良く解釈された優れた組香だと思います。
先達が新組の考案に命をかけた姿が眼前に現れるような感慨にみまわれ、身の引き締まる想いがします。身が引き締まりすぎて、つい解説が長くなりました。あしからず<m(__)m>
今様の「ダブル不倫」も古典の世界では美しい人心の機微になりますね。
源氏物語は、男の私にも単なる読み物ではない人生観を与えてくれます。
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
それにしても
源氏物語に「女性の結婚拒否思想」の暗示を感じるのは私だけだろうか・・・
貴女!結婚してますぅ?