九月の組香

 

いにしえ人のみちのくへの道行きを表した組香です。

簡潔な組香ですが、下附が多彩な心象風景を醸し出すところが特徴です。

 

説明

  1. 香木は、3種用意します。

  2. 要素名は、「都の霞」「秋風」「白河の関」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、自由に組んで下さい。

  4. 「都の霞」「秋風」を2包ずつ(計4包)作り、そのうち1包ずつを試香として焚きます。

  5. 残った「都の霞」「秋風」各1包と「白河の関」1包をうち混ぜて本香は3炉です。

  6. 答えは、出た順に要素名で書きます。

  7. この組香はすべてのパターンに下附があります。

  8. 「皆」とは、パーフェクトのことです。「全不中」とは、すべて外れのことです。

  9. その他、1つだけ当たった場合も、それぞれに見合った下附があります。

 

 最近の路線探索ソフトによれば、京都から仙台までは約865km。新幹線で約5時間、飛行機で約4時間の道のりだそうです。

 「春霞の立つ頃から秋風が吹く頃まで」というと、四ヶ月ぐらいでしょうか?一日歩いては一夜の宿を求め、関止めに遭っては迂回し、地図もなく迷い…1000年前のみちのくへの道は、想像を絶する過酷なものだったのだろうと思われます。

 証歌にも「春に漂白の想いで旅立ち、いろいろあって未だ仙台(松島、塩釜)にも辿り着かず、みちのくの入口である白河関にやっと着いた頃には、秋風が吹くようになってしまった。」という詠嘆の気持ちが良く現れています。

 さて、この組香は、能因法師の旅支度のように簡素に組んであります。要素名である「都の霞」と「秋風」は季節の風景でもありますが、それ以上に「旅の始点」と「現時点」といった時間的経過を表す意味が大きいと言えましょう。そして、これらの要素に試香がついているのは、経験済みの風景や時間をもう一度思い起こすという作業なのだと思われます。一方、「白河の関」には、試香がなく「初めての地で、越せるか越せないか分からない」ということを表し、組香が「関越え」を主題にしているものと理解させているのです。

 次に、この組香は、下附が多彩な景色を物語ります。どのような当たり方をしても景色が付くようになっています。白河の関に至った現在のわが身「旅衣」を中間地(時)点として、「関越ゆる」は成就、「関止」は停滞、来し方を思い起こせば「春風ぞ吹く」、行く手に思いを馳せれば「紅葉散る」とそれぞれに漂白の想いにかられ、長い間旅をし続けている能因法師の心情を物語っています。

 簡潔にして、深い心情表現がなされている点で、優れた作品だと思います。

 もうひとつ、「都をばまだ青葉にていでしかど紅葉散りしく白河の関(源頼政)」という歌があります。似通った歌ですが、こちらは「青葉の頃から紅葉が降る頃まで」ですからもっと時間がかかっていることになりますね。私は、この歌も隠された証歌だったのではないかという気がします。それは、秋風が吹き始めた頃では、まだ、紅葉が散り始めることはないのに、下附で「秋風」→「紅葉散る」と時間を引っ張っているのは、作者が、この歌から出典を得たのではないかと推測されるからです。

 最後に、「白河の関」は、現在も福島県白河市に史跡があります。古代、東山道の陸奥国への関門として、栃木県との境に置かれた関所で、福島県いわき市の勿来関、山形県温海町の念珠(鼠)ケ関とともに奥州三関の一つです。能因法師の白河入りが実際いつ頃だったのか、以前に調べたことがあるのですが、証拠となる文書は無いということでした。一般的には、古くから歌枕として「遠くまで旅をした」という気持ちを表すために和歌に詠み込まれていることが多いので、実際に訪れたかどうか?地元としては不明ということでした。

 

未だ見ぬ歌枕を訪ねて命がけの旅をすること

それ自体が歌人の人生そのものだったのかもしれませんね。

私も「香」を求める旅が人生最大の楽しみになっています。

 

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

 

 

因みに

京都→白河間は702km。

仙台より近いのに新幹線利用で5時間半かかります。