山本霞月宗匠を憶ふ( やまもとかげつそうしょうをおもう)

昭和五十八年(1983) 岩波夏子、竹山千代 編集・発行 小冊子

 

目次

香道四十年 ・・・・・・・・・・・・・・・・・山本 霞月

もう四十年も前のことでございます。二児を抱えて夫を失い茫然としていた私にお香をやってみてはと勧めてくれたのは亡くなった主人の父でした。私共は従兄妹同志の結婚で舅は私の伯父であり、もともとは和歌山の紀伊藩お立入りの薪炭商でしたが廃藩御一新の後は一族で銀行業を始め私の結婚と同時にすっかり東京に落ちついて年二回の総会に故郎へ帰るほかはこれという仕事も持たぬ気ままな隠居暮しでございました。伯父は、結局一番よいのはお香だ、地昧だが非常に内容があって面白い、きっと見の支えになるだろからと申すのでございます。私もお香は好きでしたし、亡き夫の供養にもなりますので、伯父の勧めに従うことにいたしました。(下略)

香道四十年をかえりみて ・・・・・・山本 霞月

香合式 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・松久保 秀胤

組香 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・岩波 夏子

潮干香 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・竹山 千代

美しき人生 ・・・・・・・・・・・・・・・・・高田 好胤 著より

山本伽耶さん ・・・・・・・・・・・・・・・高田 好胤

霞汲楼のお稽古 ・・・・・・・・・・・・三条西 尭山

白い蘭 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・正田 富美子

伯母のこと ・・・・・・・・・・・・・・・・・岩井 恵子

伽耶小母様 ・・・・・・・・・・・・・・・・池田 信子

山本霞月先生をお偲ぴして ・・・黒田 輝子

恩師 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・伊藤 英子

山本先生を御偲びして ・・・・・・・東 照子

池田山汲霞楼の思い出 ・・・・・・山田 汪子

山木先生 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・安田 敦子

またゝぴ物語(其の一) ・・・・・・・竹山 謙三郎

またゝぴ物語(其の二)

幾年過ざても忘れられない想出 ・・・浜谷 あや子

在りし日の奥様をお偲びして ・・阿部 くに子

山本先生思出あれこれ ・・・・・・・岩波 夏子

山本先生と私 ・・・・・・・・・・・・・・・竹山 千代

テレビ出演のこぼれ話 ・・・・・・・・岩波 夏子

編集を終って ・・・・・・・・・・・・・・・岩波 夏子

山本霞月宗匠の十三回忌に当り私共がどうしても宗匠が香道にどんなに御熱心に取り組まれたか、又種々堪え難いいやな目に逢われたかを一言書き残して置きたい思いにかられ、汲霞楼時代から今日まで一貫して宗匠のお教えを守り、その精神をお手本として香道に茶道に又家庭生活に精進して来られた方達に呼びかけ御生前の思出を書いて頂いたのが此の小さな本となりました。

お家流香道が今日のように広く学生の間までに発展したそもそもの初めは山本宗匠の広大なお考えと熱心な御努力のおかげであって    偶然にこうなったのでは無い事を知る者は現在数少くなって居ります。お香を習っていてもその精神を知らずに人と人との和を欠いたり礼もわきまえない傾向をよく耳にします事は誠に残念で霞月先生の御遺志にも大いに反する事だと思います。どうぞ皆様お香を志す方達に汲霞楼時代の雅びな雰囲気のお香の事を伝えて上げて下さいませ。それが霞月宗匠え()の何よりの御供養であると思います。

(下略)

後記 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・竹山 千代

(抜粋)

この小冊子を出す事を思ひ立ったのもW山本霞月先生が終戦直後の食べる事しか考えられないあの敗戦の中から立ち上がられ、香道の某礎とたる御宗家創立を固められたと云9御偉業が年月の為に書風化され埋れてしまうのではないかと思はれるので、現在の御香道の歩みの中で`山本霞月先生の御名前が決して忘れ去られる事のない様に、少しでも多くの方々に、どれ程の決意と身を投げ出しての努力の積み重ねによってつの大きな仕事をみのらせる事が出来るかを語りついで頂き度いと願った為である。

 

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