十月の組香

蟷螂に琵琶の名手を決めさせるという組香です。

要素名に音符をあらわす特殊な文字を使うところが特徴です。

−年に1度の初心者用解説付きバージョンです。−

※ このコラムでは、フォントがないため「おつ」を「乙」、「ぎょう」を「行」、「」を「上」と表記しています。

説明

  1. 香木は4種用意します。

  2. 要素名(ようそめい)は、「一(いち)」「乙(おつ)」と「行(ぎょう)」そして「上(じょう)」です。

  3. ※「要素名」とは、組香の景色を構成する名前で、この組香ではそのまま答えの名目としても使用します。

  4. 香名(こうめい)と木所(きどころ)は、景色のために書きましたので、季節感や趣旨に合うものを自由に組んでください。

  5. ※「香名」とは、香木そのものにつけられた固有名詞で、あらかじめ規定された要素名とは違って自由に決めることが出来ます。組香の景色をつくるために、香木の名前もそれに因んだものを使うことが多く、香人の美意識の現われやすい所です。

    ※「木所」とは、7種類に分かれた香木の大まかな分類のことです。(香木のコラム参照)

  6. 「一」「乙」「行」は各「上」は1包作ります。(計13包)

  7. 連衆は、「妙観方(みょうかんがた)」と「孝定方(たかさだがた)」の二手に分かれます。

  8. 「一」「乙」「行」のうち、各1包を試香(こころみこう)として焚き出します。(計3包)

  9. ※「試香」とは、香木の印象を連衆に覚えてもらうためにでございます。」「でございます。」とあらかじめ宣言して廻すお香です。

  10. 「上」の1客香(きゃくこう)となります。

  11. ※「客香」とは、「試香」が無く、本香で初めて聞くお香のことで、古くは客が持参したお香のことを表していました。

  12. 手元に残った「一」「乙」「行」の各3包に「上」1包を加えて(計10包)を打ち交ぜ(うちまぜ)ます。

  13. ※「打ち交ぜ」とは、シャッフルのことで、香包を順序不同に混ぜ合わせることです。

  14. 本香(ほんこう)は「一*柱開」(いっちゅうびらき)で10炉廻ります。

  15. ※「本香」とは、聞き当ててもらうために匿名で焚くお香です。連衆は、このお香と試香の異同を判別して答えを導きます。

    ※「一*柱開」とは、香札(こうふだ)等を使用して「香炉が1炉廻る毎に1回答えを投票し、香記に記録する」聞き方です。

  16. 本香1炉が焚き出され、聞き終えた客から順に試香に聞き合わせて香札(こうふだ)を1枚打ちます。

※「香札」とは、組香の回答のために用意されている小さな投票札のことです。以下、15番までを10回繰り返します。)

  1. 執筆(しっぴつ)は、打たれた香札を札盤(ふだばん)の上に並べて仮に留めておきます。

    ※「執筆」とは、組香の記録を書き記す担当の人です。

    ※「札盤」とは、投票された香札をわかりやすいように並べて置く桝目の入った盤です。

  2. 香元(こうもと)は、香包(こうづつみ)を開き、正解を宣言します。

    ※「香元」とは、香席のお手前をする担当の人です。

    ※「香包」とは、香木の入った畳紙のことで、「試香包」と「本香包」に別れています。(ここでは「本香包」のこと。)

  3. 執筆は、正解した人の要素名のみ回答欄に書き記します。

  4. 点数は、客香の独聞(ひとりぎぎ)は3点、2人以上は2点、その他は1点と換算し、グループごとの点数を合計します。

※「独聞」とは、連衆の中で唯一の正解者となることです。

  1. 盤者(ばんしゃ)は、合計点の多い方の差分だけ、所定の方法で人形を進退させます。(委細後述)

※「盤者」とは、盤立物(ばんたてもの)といったゲーム盤のコマ等を扱う担当の人です。

  1. 盤上の勝負は、立物の蟷螂を5間進めて、いち早く自方の人形の膝元に寄せたグループの勝ちとなります。

  2. 盤上の勝負が早く決着しても、香が無くなるまで一*柱開を続けます。(本香10炉)

  3. 記録上の勝負は、各自の得点を合算し、合計点の多いグループの勝ちとします。

  4. 下附は、各自の回答欄の下に全問正解は「皆」と記載し、その他は点数で記載します。

  5. 最終的には、双方の合計点で組香の勝負を決し、「勝方」の下に「勝」と書き添えます。

 

夜風が肌寒くなって、幽玄の調べが似合う季節となりました。

今年の夏、福島県の 川内村 で、流星と川風と蛍を舞台に「琵琶と琴の夕べ」を楽しみましたが、秋の窓辺に遠くから幽かに聞こえてくる琴や琵琶の音は、物悲しくことさらに趣があります。

川内村 には、もともと伝説の「琵琶仙人」という人が居たそうです。樋口 春(なごし)という「ちょっとカッコイイ名前」の仙人は、20歳にして錦心流薩摩琵琶の奥伝に達して「樋口主水」と号し、昭和30年からこの村に住んでいました。彼は、平成14年に98歳で大往生するまで、「百姓」として暮らし、そのかたわら、全国各地で琵琶の演奏会やテレビ出演を手がけ、乞われれば酒を演奏料として一曲弾き語るとこともあったということです。在りし日には、モリアオガエルの声もまばらになった「平伏沼」(ひらぶせぬま)の庵から幾重にも沢を隔てた家々まで、仙人の奏でる幽玄の調べが聞こえて来ることもあったのでしょう。晩年になるまで弟子も取らず、商売にもせず、自分の音を一心に聞きたい人々に向けてのみ卓越した技量で伝える。・・・美しい生き方だと思います。

一方、御殿の縁側に半座して、月を見ながら「のほほ〜ん」と奏でる公家系の琵琶にも憧れます。大河ドラマ「風林火山」の長尾景虎役にGacktが起用されているのには驚きましたが、正にあの景色かと思います。今では絶えてしまった楽琵琶の独奏でしょうか?前向きではないけれども、手持ち無沙汰で弾いてしまい、その音にいつしか自ら酔ってしまうというのが、弦楽器に共通した魅力ではないでしょうか。

私にとって、琵琶は心霊楽器です。「ゲゲゲの鬼太郎」で最初に流れる「びょ〜ん、びょ〜ん」という音は、「平家の亡霊」にまつわるたくさんの逸話のイメージとも相まって、私には霊界とのパイプ役のような気がするのです。無知ゆえの暴論なのかも知れませんが、盲僧系も公家系もどこか「そういうもの」を召喚し、慰める力があるように思えてなりません。特に徒然の琵琶は、その「音魂」が自分自身を霊界に解き放ち、森羅万象と融合することによって、霊的なバランスを整え、お互いの魂を慰める呪術のようにも思えるのです。

そのような日本の琵琶の音は、弦楽器と打楽器の両面の特性を持った非常に優れた楽器なのですが、素人衆には意外に敬遠され、「速弾きテクニック」の中国琵琶ばかりが脚光を浴びています。現代の日本人には、「侘び・寂び」が意味も解らずブランド化しており、「雅」も持てはやされる片隅で「幽玄」がウケないのとも似ています。それだけ、日本人の精神世界が狭く浅くなっているような気がしてなりません。秋の夜長は、「奥深く神秘的な静寂の世界に心を遊ばせる」ことも大切な精神修養かもしれませんね。

 今月は、蟷螂が頭を傾げながら琵琶の上手を決める「蟷螂香」(とうろうこう)をご紹介しましょう。

「蟷螂香」は大枝流芳の『香道軒乃玉水(上)』「流芳組」との表記があるオリジナルの組香です。また、この組香は『御家流組香集(仁)』にも掲載がありますが、どちらも同様の内容となっています。 

この組香の由縁は小引の書き出しに「むかし妙観といへる人と孝定と言える人と妙音院の御前にて、蟷螂の出でたるに、それを中に置きて、いづれにも琵琶をひかせて、我方へ引よせたらんを以て琵琶の上手と定むべしと仰せられける事をうつして組み侍るなり。」とあり、蟷螂を審判にして琵琶の引き比べをさせた逸話に基づくようです。

この逸話の出典を調べましたところ、隆円著の『文机談』(ぶんきだん)の中に見つけることができました。この書は、文永9年(1272)以後に成立した「楽書」で、琵琶にまつわるたくさんの人とその繋がりや逸話を集めた本です。著者の僧隆円は、藤原孝時に師事した琵琶の名手で、師のために常に机に向って文書の書写をしていたため、いつしか同門の人から「文机房」の異名を得たと、この本の序にも書いてあり、そのため「文机房の手記」=「文机談」となったものと思われます。

 まず、この組香のテーマとなっている「蟷螂の験くらべ」の話は、後に「妙音院(みょうおんいん)」と呼ばれた藤原師長 (ふじわらのもろなが:1138-1192が、保元の乱(1156)で父の藤原頼長の罪に縁座して土佐に配流されていた時、追随してきた部下の「孝定」と「博玄」とともに暇に任せて琵琶を弾き暮らしていたということに端を発します。

 

『文机談』(伏見宮本)宮内庁書陵部蔵

巻二 桂流−治部卿局−證盛−浄蓮−博玄

験争事(げんあらそいのこと)

御つれづれのあまりに、夜もひる(昼)もただ御比巴(琵琶)にのみなぐさ(慰)ませ給う。尋陽の秋の月に船女がうれ(憂)へを通しけるも、胡州の旅のそらに照君が思いをわすれけるも、いまはよそならずおぼしめしければ、是なんかりせば何事をいとみみてか、九年の春秋をば、おくらましとて、いとど我もあそばし、人にもひか(弾)せ給う。

ある時に仰せられけるは、「蟷螂の験くらべといふなる事こそ、けふある事にてあるなれ、いざこの事こころみん」とて、「いもむしり」というむし(虫)をめしよせて、御ふつくゑ(文机)のうゑにおかせ給いて、「孝定」と「博玄」と比巴を弾きて雌雄を決すべしと御気色ありければ、孝定はさる人にて心え(得)ずはおほ(多)けれども、主君の仰せなれば、御定めに任せて弾けり。博玄、又身命をすててこれをひく。蟷螂、この両弾を聞きてややかしら(頭)をうごかして耳をそばだつ。この気色をみるに、いとど御興ありて、「ひけや、ひけや」と仰せらる。蟷螂よくよく聞き定めて後、孝定が弾する比巴の海老尾によぢのぼりて、左の指の□のうゑに座せり。博玄、いろをうしなひて弾をとどめつ。仰云、この事まことなりけり。

※ 平林盛得・相馬万里子編 古典文庫(1988)第449冊『文机談』から引用後、読み下し。

上記を掻い摘まんで申しますと、妙音院がある日、「昨今、蟷螂の験くらべというのがあるらしいぞ。さて、やってみよう!」と仰って、蟷螂を文机の上において「二人の雌雄をこれで決しよう」と両側から2人に琵琶を弾かせました。孝定はまだ若年で自信がなかったのですが、主命とあっては断ることもできず、型どおりに弾きました。一方、博玄は既に名手の誉れも高かったので、負けてはならじと身命を賭して弾きました。蟷螂は、頭をよこに振りながら動かずに聞いていましたが、しばらくて、孝定の弾く琵琶の突端に上り、彼の指に留まりました。結局、この勝負は孝定の勝ちとなり、博玄は顔色を変えて落胆した。という話です。

「妙音院」は、その後、長寛2年(1164)に許されて帰京し、後白河院の近臣として仕え、治承元年(1177)には太政大臣にまで登りつめますが、その2年後に平清盛の政変で解任され、尾張で出家しています。

 この物語の「孝定」とは、「藤原孝定」であろうと思います。『文机談』の「孝博−孝定−孝道」の段には、琵琶の名手として名高かった「孝博は娘(周防局)しかいなかったので、周防局を少納言家の藤原成高に嫁がせ、その子(孝定)を養子にした」とあります。この系譜は、以後も琵琶の名家として記録され、伝承の系譜では「師長も孝定も孝博の直弟子」ということになっています。

 一方、「博玄」(源博玄)については、まず「この組香の『妙観』とは別人だろう」との疑念をもたれるかもしれませんが、『文机談』の「博玄の事」の段には、「めいくわん三郎これ也。」とあり、これが「妙観」との一致点であろうと思います。現在の平曲を担う当道の一派としては「妙観派」がありますので、この人に因んで在野の流派として伝承されたのかもしれません。 このように、逸話の「博玄」を「妙観」と読み替えたところから、組香の進め方について筆を進めます。

この組香は、上記の逸話に基づいてあらかじめ連衆を「妙観方」「孝定方」の2つのグループに分けます。その上で香を聞き、1炉ごとの勝負により蟷螂の引っ張り合いをして、最終的にはメンバーの当たり数の総計を比べて組香の勝敗を決める「一蓮托生対戦型」のゲームとなっています。

次に 、この組香の要素名は「一」「乙」「行」「上」です。これらの一見見慣れない文字については、フォントも無いため調べるのに苦労しましたが、和楽器の楽譜をみた時の印象から、「音符ではないか?」と仮定して調べを進めていましたら、琵琶特有の「譜字」というものに尋ね当たりました。

『古事類苑』の楽舞部によれば、琵琶は四柱四琴にして、柱(じ)を按ずる者十六、按ぜざる者四、総て二十声、故に絃毎に、譜字五あり。」とありました。「柱」とは、西洋の弦楽器の指板に付いている、弦を押さえる場所を示す突起した線の「フレット」に相当するものです。このフレットが1弦つき4つずつあるため、琵琶の場合は、指を離して鳴らす開放弦を加えると、出すことの出来る音は「5音×4弦=20音」となります。

そして、それぞれに・・・

  1. 第一絃を(いち)|(く)|(ぼう)|(しう)|(と)

  2. 第二琴を(おつ)|(げ)|(じふ)|(び)|(こう)

  3. 第三絃を(ぎょう)|(しち)|(ひ)|(ごん)|(し)

  4. 第四絃を(じゃう)|(はち)|(ぼく)|(せん)|(や)

と読む「譜字」があるのですが、漢字で書き表すのは難しいです。
 
その中で、この組香の要素名となっている「一」「乙」「行」「上」は、「柱を按ぜず。故に散声(さんせい)と称す。」とあり、つまりは指を離した「開放弦」で「ビョ〜ん♩」と鳴らしたときの音と言うことになります。その配音を、日本音楽の音名である十二律で示すと「一」は黄鐘(おうしき)、「乙」は壱越(いちこつ)、「行」は平調(ひょうじょう)、「上」は黄鐘となり、西洋音階の(ラ)」「E(ミ)」「D(レ)」「A(ラ)」になります。

即ち、この組香の香種が4種であることは、琵琶の弦数を表すものであるとは間違いないでしょう。香数については、「有試十*柱香」の形式に則っており、「一」「乙」「行」を各4包作り、その中から1包ずつ試香を焚き出します。そして、残る本香は「3+++1=10」で「 三枝三葉一花」の美意識となっています。

ここで、この組香は「一*柱開にて勝負するなり」と指定していますので、香炉が1つ回る毎に答えを投票します。回答に使用する香札について出典には一切記述がありませんが、「蟷螂香之記」の記載例のある別書では、名乗欄(各自の名前を書くところ)に「札名」をメインに「名前」を右肩に付記する形となっています。「一*柱開」の組香で、一々答えを書いて名乗紙を提出していては面倒ですので、お持ちの方は「十種香札」を流用すればいいでしょう。「十種香札」ならば「一」を「一」、「二」を「乙」、「三」を「行」、「ウ」を「上」と読み替えすれば、種類も数も十分対応できます。

この組香は、「蟷螂香盤」というゲーム盤を使用して、双方の競争心を煽る趣向となっています。香盤は、真ん中に「勝負場」(しょうぶのば)があり、そこに蟷螂の人形を置きます。(この季節の蟷螂は「枯蟷螂」が相当であろう思われます。)勝負場からは両方に5目ずつの罫線が書いてあり、盤の両端にはゴールとなる「妙観」と「孝定」の人形が琵琶を奏でるスタイルで座っています。

さて、本香一炉が廻り、連衆の投票が筆者まで廻ってくると、香元は正解を宣言し、執筆は当たった人のみ要素名を香記に書き記し、盤者は双方当った人の数の「差分」だけ勝方の方へ蟷螂を進めます。ただし、双方の当たり数が同数の場合は、蟷螂は動きません。勝方としては、相手と勝負して勝った数だけ蟷螂が膝元に寄ってくるという趣向となっています。このように1炉ごとの勝負を10回繰り返します。もし、蟷螂が膝元まで寄ってきてゴール寸前で「リーチ」がかかったとしても、次の香炉で負方となれば相手の勝ち点分だけ後退させられますので、蟷螂は2人の間を行きつ戻りつすることになり、この綱引き感が勝負の妙味となっています。

この組香の点数について、出典には「客独聞三点、二人よりは二点たるべし」とあり、客香である「上」の香を1人で聞き当てると3点加算されます。また、試香のある香(地の香)に比べて聞き当てづらい客香は、2人以上でも2点加算されます。その他は、当たりにつき1点と換算します。この点数と盤上を蟷螂が進む間数は同じく換算しますので、当たり方によっては、一方が「上」を5名正解して10点、他方が2名正解して4点となると、いかに差分をとっても「6間」進むこととなり、たった1回で盤上の勝負がつくこともあります。

このようにして、人形を引き寄せ合い、最初に自陣(勝負場から数えて6間目)に蟷螂が入ったところで盤上の勝負は終りますが、本香は香が無くなるまで焚き出し、記録上の勝負を決します。記録上の勝負は、前述の点法によって各自の得点を下附し、さらに、グループごとの合計点の多い方が勝ちとなります。

最後に、組香の記録は、連衆の名乗りを「妙観方」「孝定方」の見出しの後にそれぞれ列挙するところが対戦型香記の習いです。「勝方」の記載は、「孝定方  勝」のように、見出しの下に「勝」と付記してあらわします。なお、個人賞は、「勝方の中で最高点を取った方」となり、ご褒美に香記が授与されます。

孝定・博玄の「験くらべ」には、後日談として「孝定捨比巴事」(たかさだびわをすつること)という段が続いています。孝定は宿所に帰って言うには、琵琶の道を極めていない私が、なんで博玄ほどの人に勝てようか。主命とはいえ面目ない。」と、息子の孝道を呼んで「今日から私は、琵琶を思い切ることとした。この『獅子丸』は、お前が弾くなりなんなり、好きにしろ。」といって、結局6年間触れもしなかった。これを聞いて妙音院は苦々しく思ったがどうしようもなかった。というものです。 この時、琵琶の名器「獅子丸」を預けられた孝道は18歳。その後も息子の孝時(隆円の師)・孝経を含め、多くの弟子に藤原の琵琶を伝えて名門を継承したということです。

 

枯蟷螂は大抵「オバサマ」なのだそうです。

それは、交尾後に雌が雄を食べてしまうからです。

そして、生き残った蟷螂は保護色のために冬になると枯葉色に体色を変えていきます。

若い孝定に留まった蟷螂も「イケメン好き」だったのかも・・・

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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