初冬の月と紅葉の散り際をテーマにした組香です。
結び置きや段組み、二*柱開、複数客香などの趣向が満載です。
−年に1度の初心者用解説付きバージョンです。−
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説明 |
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香木は5種用意します。
要素名(ようそめい)は、「有明(ありあけ)」「紅葉吹(もみじふ く)」「山颪(やまおろし)」と「月(つき)」が2種です。
※「要素名」とは、組香の景色を構成するためにそれぞれの香に付された言葉です。
香名(こうめい)と木所(きどころ)は、景色のために書きましたので、季節感や趣旨に合うものを自由に組んでください。
※「香名」とは、香木そのものにつけられた固有名詞で、あらかじめ規定された要素名とは違って自由に決めることが出来ます。組香の景色をつくるために、香木の名前もそれに因んだものを使うことが多く、香人の美意識の現われやすい所です。
※「木所」とは、7種類に分かれた香木の大まかな分類のことです。
「有明」「紅葉吹」「山颪」は各3包、「月」2包と「月」1包は別の香を用いて作ります。(計12包)
まず、「有明」「紅葉吹」「山颪」と2包の「月」のうち各1包を試香(こころみこう)として焚き出します。(計4包)
※「試香」とは、香木の印象を覚えてもらうために「有明でございます。」とあらかじめ宣言して廻すお香です。
ちなみに1包の「月」は、客香(きゃくこう)となります。
※「客香」とは、「試香」が無く、本香で初めて聞くお香のことです。
次に、試香で残った「有明」「紅葉吹」「山颪」の各3包を打ち交ぜ(うちまぜ)ます。(計6包)
※「打ち交ぜ」とは、シャッフルのことで、香包を順序不同に混ぜ合わせることです。
この6包を2包ずつ3組に結び置き(むすびおき)します。(2×3=6包)
※「結び置き」とは、香包を複数ひとまとめにして結んで組を作り、個々に混じり合わないようにする手法です。
続いて、試香で残った「月」1包と試香の無かった「月」1包を打ち交ぜて結び置きします。(2×1=2包)
本香(ほんこう)は、二*柱開(にちゅうびらき)で A段からB段(月・月)へと続けて8炉焚き出します。(2×3)+(2×1)=8包
※「本香」とは、聞き当ててもらうために匿名で焚くお香です。連衆は、このお香と試香の異同を判別して答えを導きます。
※「二*柱開」とは、2炉ごとに正解を宣言し、答えの当否を決めるやり方です。
−以降11番から15番までを8回繰り返します。−
香元(こうもと)は、2炉1組を焚き出すごとに空の手記録盆(てぎろくぼん)を廻します。
※「香元」とは、香席でお手前をする担当の人です。
※「手記録盆」とは、回答用紙を配布したり、回収したりするのに使う小さな長方盆のことです。
連衆(れんじゅう)は2炉ごとに試香に聞き合わせて、名乗紙(なのりがみ)に要素名や聞の名目(ききのみょうもく)を2つ書いて回答します。
※「連衆」とは、香席に参加しているお客様のことです。連歌の世界では「れんしゅ」とも言われています。
※「名乗紙」とは、 現代では「手記録紙(てぎろくし)」「記紙(きがみ)」と呼ばれている回答用紙のことです。
※「聞の名目」とは、複数または単数の要素名に替えて答えとして書き記す言葉です。
執筆は連衆の答えを全て香記(こうき)に書き記します。
※「執筆」とは、組香の記録を書き記す担当の人のことで、連歌の世界では「しゅひつ」と読み、流派によっては「筆者(ひっしゃ)」とも言います
※「香記」とは、香席の景色全体を表す成績表のようなもので、最後に組香の勝者に授与されます。
香元(こうもと)は、香包(こうづつみ)を開き、正解を宣言します。
※「香包」とは、香木の入った畳紙のことで、「試香包」と「本香包」に別れています。
下附(したづけ)は、全問正解の場合のみ「全」と書き、その他は、各自の点数を漢数字で書き記します。
※「下附」とは、各自の当たり方によって得点の代わりに付される言葉などです。
勝負は、最高得点者のうち上席の方の勝ちとします。
日に当たった落ち葉の香りがそこはかとなく漂う季節になりました。
夏の火照りも治まりましたので、我が漫遊の旅も「祭り系」から「ネーチャー系」に落ち着きつつあります。頭の中には岐阜県の「白川郷」と三重県の「熊野古道」が去来し、まだ紅葉の時期には間があるということと、昨年のコラムで「神渡る熊野の道の山風に降り敷く紅葉いかがあらんや」などと歌に詠んだこともあって、「熊野古道」を先行させることにしました。バス往復による弾丸日帰り旅行を思い立ってみたところ、全16コースと多岐に分かれており、「景観」 や「温泉」を比較検討する暇もありませんでした。そこで目についたのが「西国一の難所」の文字、ちょうど9月は山伏の時期で「修行」の血が騒いでいたところだったので「八鬼山越え」を敢行することとしました。
伊勢道に入りますと、 名古屋でバスに乗り込んだお客は、コースごとにバス停で降りて行きました。最も人気だったのが、よく観光パンフレットに載っている広い石畳と檜林のある「馬越峠」で 、峠の入口であらかたのお客が降りると、バスには6人しか残らず、その全員が「八鬼山越え」のメンバーでした。たまたま席も近かったので、互いに「猛者」の顔を見合わせて、「なにを好き好んでねぇ。」という自虐的な微笑みが起こり、一瞬にして連帯感が生まれるというのは、いつも通り のことでした。私以外は全て女性で、熊野古道のデビュー戦は私だけ・・・他の方たちはそりなりに場数を踏んで「八鬼山越え」まで到達してきた、所謂「難所好き」でした。3年ほど前から、ファッションとしての「山ガール」が流行り、お金持ちの独身女性がトレッキング用の道具を買うことで、冷え切った日本経済も少しく温められたわけですが、最近は、その中から硬派の人が振り分けられて「登山女子」が新しいトレンドとなっており、彼女らは心身も道具も本格的になっているようです。「八鬼山」は標高627mですから、「登山」とまでは行かないのですが、皆さん装備は本格的でした。
八鬼山の登山口では、私が露払いで、まずアオダイショウや大きなサワガニに遭遇し「ギョッ」としましたが、まぁ、敵も驚いている風なのでそれなり微笑ましく、足元から退避するのをじっと待ちました。多雨な地域なのと、連日の雨で最近は人が入っていないこともあり、石畳の苔は青々と茂り、まさに「翠の絨毯」でした。苔好きの私は、どこを切り取っても持って帰りたい景色をかろうじて画像に納めることで満足しつつ、「町石(お地蔵さん)」や「行き倒れの墓」に手を合わせつつ、 頂上を目指しました。
難所の「七曲り」は流石に厳しく、何度か心臓の限界を鼓膜から感じることができましたが、「曲点(踊り場)」で休憩をとりつつ何とか踏破しました。その後は、なだらかな土の道でペースも上がったのですが、「もう尾根か?」と思ったのは甘い幻想で、そこからまた石の階段が続き、本当に辛かったのは難所を抜けて「荒神堂」から山頂までの区間でした。常々、私が「人生は登山」と言っていますが、正に「胸突き八丁」はいつも最も辛いものです。また、自分の辛さを思うにつけ、何よりも「エライ」のは、賦役に駆り立てられて石を運んで登りながら、この道を築いた地域住民の ご先祖様だなと思いました。
今回も「難所の後は景色に救われる」の定理も見事に当たり、伊勢湾が眼下に広がる芝生半分、杉苔半分の綺麗な広場に出ました。ここの東屋で短い昼食をとり、観光気分を味わったところで、下りの難所に挑戦です。今度は、木の階段が続く急斜面「江戸道」で、膝と滑落を気にしながら慎重に降りて行きます。下りきった石畳の道の脇には沢が流れ、付近一帯が苔の庭園でした。沢を渡るところで、顔を洗い、水を飲んで一息つき周りを見渡すとタヌキが現れ、そこが「精霊の森」 のように思えました。しばらく佇んでいるとシンガリの集団に抜かれて現実に戻り、ここからは30分で文明社会に戻らなければならないことを自覚しました。平地になってからは、かなりの早足で美しい石塀と水路、石畳に囲まれた「名柄」地区を抜けて、私だけは海岸に出ました。震災以来、海には近づいていなかったので、三陸を彷彿とさせるリアス式の海岸線と青い海、潮の香りを懐かしんでから駅に向かいたかったのです。大きな道路で合流するころには6人のパーティーが互いの達成感も共有したのでしょう。自然に口数も多くなりました。そして、予想もしなかった駅前の坂で「ここが一番の難所だわ。」と苦笑いし、それぞれの修行が満願したのでした。
いよいよ、今月は「紅葉とどぶろく」を当て込んでの「白川郷」ですが、おひとり様は宿泊が難しく「月見酒」の時間までは滞在できない可能性大です。前年は「香嵐渓」で奥三河の人工林の紅葉 狩りでしたので、今年は、奥飛騨の天然の紅葉を愛でて来たいと思っています。できれば、「有明の月」を愛でながら「一杯の濁りの酒を呑むべくあるらし」といきたいところですね。
今月は、月と紅葉と風が冬の訪れを語る「有明香」(ありあけこう)をご紹介いたしましょう。
「有明香」は、杉本文太郎著の『香道』に「五十組」として掲載のある組香です。同名の組香は、有賀要延著の『香と仏教』にも掲載があり、その記載は、本文に微妙な言い回しの違いはありますが、要素名の「紅葉吹」が「紅葉吹颪」となっている以外は、ほとんど同じです。『香と仏教』は、『五十組香式並記録書』を典拠とし『香道』を参考文献としたところが伺われるため、両者は、基本的には同じ組香と考えていいでしょう。そうなると 、どちらの記述を優先するかは好みの問題となりますが、私自身は『香と仏教』の要素名に「有明」「紅葉吹颪」「山颪」と「颪」が2回出てくるところが、どうにも重く感じられて、「颪」が1回しか出てこない『香道』の方が、美意識として好きでした。そのようなことから、今回は『香道』を出典とし、『香と仏教』を別書として書き進めて参りたいと思います。
まず、この組香には証歌があり、出典には「ほのぼのと有明の月の月影に紅葉吹きおろす山おろしの風(新古今591 源信明朝臣)」とあります。意味は「ほんのりと明け方の空に残る月の光の中、山風か紅葉を吹きおろしてくるよ」という感じでしょうか。私としては、「月の月影」や「おろす山颪」などの韻の重複が読みにくく感じて秀歌とは思えず、そのために別書の要素名も「颪」が重複する原因となったと思うのですが、これはこれで強調の技巧なのかもしれません。
ここで、この歌の解釈で重要となるのは季節感です。普通、「有明」「紅葉」といえば秋を感じる方も多いと思いますが、「山颪」は冬の要素です。このため多くの方が、「この歌は秋歌か冬歌か?」と思い 悩むことでしょう。その答えは、この歌が新古今集の「冬」の部に掲載されているということで明白になります。この歌は、おそらく「後朝(きぬぎぬ)」あっての景色でしょうから「有明」「紅葉」といった一見鮮やかな色を持ちつつも、気温は低い「山颪」 が主景の歌というわけです。皆さんも小記録を見て旧暦をご承知の方は「なぜ10月に有明香?」と目を疑った方もいらっしゃるでしょうが、このように秋から冬へと「月も清かに紅葉吹きおろす」という非常に短い季節感を切り取った組香であるところが、私の琴線に触れて今回のご紹介と相成ったわけです。
次に、この組香の要素名は「有明」「紅葉吹」「山颪」と「月」と「月」で、すべて証歌から引用された言葉です。「有明」とは、陰暦16日以後、月が空に残りながら夜が明けることです。「紅葉吹」は、所謂モミジをイメージせずに、晩秋に草木の葉が赤や黄色に色づいた状態として見て、これらが吹雪のように舞い散る景色と解釈しましょう。前述した別書の「紅葉吹颪」との違いは、「紅葉ふきおろす」の句を全部引用したか一部引用したかの違いです。また、私としては、敢て動詞を残さずにさっぱりと「紅葉」とした方が、要素名が全部名詞に揃って香記の景色としては綺麗かなとも思っています。「山颪」は、文字の表すとおり山から吹きおろす風で、木枯らしの吹き始めといった景色でしょうか。「月」が2つあることも証歌に由来しており、「月の月影」と「月」が2つ出てくる句をうまく利用しています。そして、証歌の中では判然としないのですが、出典では「名乗りには試有るを『宵の月』とし、試無きを『暁月』と書き出す」とあり、この2つの「月」を「月(宵)」と「月 (暁)」と時間的経過の違いを設けて用いています。この趣向は、後述する記録の段でさらに深みを増すこととなります。
さて、この組香の構造は少し複雑です。まず、香木は「有明」「紅葉吹」「山颪」を各3包作り、「月」2包と「月」1包を別香で作ります。次に、「有明」「紅葉吹」「山颪」各3包と「月」2包のうち、各1包(4種)を試香として焚き出します。そして、残された「有明」「紅葉吹」「山颪」各2包を打ち交ぜて、2包ずつ3組に結び置きし、「月」同士は 、これと分けて打ち交ぜ、2包を1組に結び置きします。これについて出典では「出香八包のうち、一、二、三の六包を打ち交え二包づつ二*柱開とし、次に四と五を焚き出す。」と簡単に書いてありますが、別書では、「出香八包の内、有明、紅葉吹颪、山颪、此の六包打交、二包(本 文に「一包」とあるのは間違い)宛三結にして、客は別々に客斗(ばかり)まぜ、二包一結びにす。」と詳しく記載があり、あらかじめ2包4組に「結び置き」の所作を指定しています。微妙なニュアンスの違いですが、出典では「結び置き」という所作を含まずに、順に2包3組に置き分けて順に焚き、その後に「月」の組を打ち交ぜて焚き出すという方式を取っています。後段の「月」の組については、6包焚き出した後で取り違えようもありませんから、結び置きはなくてもよさそうな気がしますが、前段の6包については、結び置きの方が、手前座で取り違えることがなく無難なため、このコラムでは別書の「結び置き」方式でご紹介しています。
本香A段は、「有明(2包)」「紅葉吹(2包)」「山颪(2包)」を打ち交ぜて作られた2包3組を順に焚き出します。続いて、本香B段は「月(試香あり)」と「月(試香なし)」の2包1組を焚き出します。
この組香は「二*柱開」で行われることが指定されていますが、「香札使用」とも「名乗紙使用」とも明示されていません。ただし、B段の回答に「聞の名目」を使用するため、専用の香札が無ければ名乗紙を1人前4枚用意して行うのが順当でしょう。香元は、試香が終わったところで名乗を載せた手記録盆(以下「盆」)を廻し、各自は4枚ずつ名乗紙を取ります。この時、名乗紙も4枚ずつ結び置きしておけば、より親切でしょう。出香が始まりましたら、香元は2炉ごとに空の盆を廻します。連衆は香の出た順番に要素名を2つ書き記し、盆に載せて次客に送ります。
名乗紙が帰って参りましたら、執筆がこれを開け、香記に各自の回答を「左右段違いに2つ」書き写します。答えを書き終わったところで執筆は香元に正解を請い、香元は香包を開いて正解を宣言します。執筆は、正解を香の出の欄に書き記し、当たった人の要素名の右肩に点を書き記します。本香A段では、これを3回繰り返します。
この組香は、香の出の欄の書き方に最大の特徴があります。出典には「出は歌の傍らに記す」としか書いてありませんが「有明香之記」の記載例にその真意が見て取れます。まず、執筆は、香記を書き始める際、いつも答えの奥に書いている「証歌」を香の出の欄に書き記しておきます。そして、香の出を書く際に、あらかじめ書かれていた証歌の要素名に対応する句の部分にその香の出た順番を漢数字で書き入れます。例えば1炉目が「山颪」、2炉目が「有明」の場合、証歌の「山颪」の右肩に「一」、「有明」の右肩に「二」と書き記します。もちろん、「有明」「紅葉吹」「山颪」は2包ずつ出ますので、2度目は、最初に書いた漢数字の下に書き加えます。
一方、B段に関して、出典には「名乗には試有るを『宵の月』と書き、試無きを『暁月』と書き出す。」とあり、連衆は、聞いたことのある「月(試香あり)」を「宵の月」、初めて聞く「月(試香なし)」を「暁月」と名乗紙に「聞の名目」を2つ記載して回答します。そして、香の出の欄については、証歌にある「月の月影」の2つの「月」にそれぞれ振り分けて香の出を記載します。出典には、「試有る四を客、無きをウ」と記す。」とあり、執筆は、「月(試香あり)」を「ウ」、「月(試香なし)」を「客」と記載し、香の出の順番を漢数字で付記することとなっています。さらに、「宵の月」である「ウ」は「月影」の右肩に書き、「暁月」である「客」は有明の「月」の右肩に付します。 「ウ客」の順序が逆なような気がしますが、「暁」と「有明」が符合しているため時間軸の辻褄はあいます。
(山颪、有明、紅葉、有明、紅葉、山颪、宵の月、暁月と出た場合)
ほのぼのと
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紅葉吹きおろす
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三五 | 有明の月の |
二四 八客 |
山おろしの風 | 一六 | 月影に | 七ウ |
因みに、回答を札打ちで行う場合は、専用の香札も作れないため、「十種香札」を流用し、表面に番号の振ってある「折居」を2炉ごとに2枚ずつ回すと良いでしょう。香札は、有明を「一」、紅葉吹を「二」、山颪を「三」とし、「月(試香あり)」を「ウ」、「月(試香なし)」を「ウ(月)」等と読み替えれば可能かもしれません。ただし、聞の名目である「宵の月」と「暁月」の書き換え等の趣向が一部省略されることになります。
最後に、この組香の点数は、A段の要素名もB段の名目も1つの当りにつき1点と換算します。全問正解は8点となりますが、この場合のみ「全」と下附し、その他は点数を漢数字で書き附します。勝負は、最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。
今月の前半は有明の月が見られます。「栗名月(旧暦9月13日)」は10月27日ですので、これを過ぎて有明の月に出会うのは寒い思いもしなければなりません。皆様も「有明香」で「山颪 と紅葉降りつむ冬の暁月」を暖かい部屋で楽しんでみてはいかがでしょうか。
登山女子には「結婚前には必ず彼氏と登山しろ!」という格言があるそうです。
ともに極限状態を経験することにより「用意周到」「優しさ」「危機管理」等
「頼りになる度」を値踏みするらしいのですが・・・
震災の時に男に問われた条件と同じですね。
行く秋の形見に添ゆるもみじ葉を降り残してや東雲の月(921詠)
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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