いにしえの雅人が好んだものを集めた組香です。
「合点」と「下附」に二つの点法を用いるところが特徴です。
※ このコラムではフォントがないため「」を「
*柱」と表記しています。
|
説明 |
|
香木は3種用意します。
要素名は、「酒(さけ)」「花(はな)」と「香(こう)」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「酒」「花」 は各4包、「香」は3包作ります。(計11包)
「酒」「花」は、それぞれ1包を試香(こころみこう)として焚き出します。(計2包)
残った「酒」「花」の各3包に「香」3包を加えて打ち交ぜ、任意に6包を引き去ります。(計9−6=3包)
本香は、3炉廻ります。
連衆は試香に聞き合わせて、名乗紙に要素名を出た順に3つ書き記して提出します。
香元は正解を宣言します。
執筆は香記に連衆の答えを全て書き写し、当たった答えの右肩に 合点を掛けます。
点数は、「香」の独聞は3点、2人以上の当たりは2点、「酒」「花」の独聞は2点、2人以上の当たりは1点を掛けます。
さらに、3炉とも「香」が出た場合の全問正解は、各3点を掛けて合計9点とします。(最高点9点)
下附は、前述の点数をそのまま書かず、当った要素名の数を漢数字で書き記します。(最高点「三」)
勝負は、要素名に掛けられた点の数の多い方のうち、上席の方の勝ちとなります。
花に酔い、酒に酔い、鳥の声にも心浮かれる季節となりました。
今年は、桜前線の北上が早いようで、3月中に花見を終えられた方も多いかと思います。東海地域の桜前線はソメイヨシノのように北上するだけではなく、品種によって東から西に向かう流れもあるように感じます。テレビや新聞では2月後半から伊豆半島の河津町の土手で咲き始める「カワヅザクラ」が花便りの始まりとして定番となっているようです。そして3月中旬には名古屋市内で一番早く咲くといわれる「オオカンザクラ」の開花がニュースになります。4月に入るとソメイヨシノが咲きはじめ「那古野神社(名古屋市中区丸の内)」を中心として各地で「花の宴」が盛んとなり、後半になると岐阜県本巣市の「淡墨桜(エドヒガンザクラ)」が咲いて、およそ2か月にわたる花便りの終焉を告げます。このほかにも 、我が千種庵の近くには「シキザクラ」の並木もあり、ポツンポツンと咲く花が一年中みられますが、この季節は流石にオンシーズンのようで花房の量が格段に違います。仙台では、ソメイヨシノとヤマザクラが相次いで咲く程度でしたので、「花見で一杯」と洒落込む時期は4月中旬から2週間と相場が決まっていましたが、駿河、三河、尾張、美濃と身体を西に移動すれば、いつでも花見の好適地が見つかるのが当地の良いところかなと思います。
香道界を辞して、インターネットの茶人会で遊ばせていただいていたころ、4月の「観桜茶会」は定番のイベントでしたが、私の実家で開催した最初の「花見」は思い出深い茶会の1つです。この茶会は、実家を新築した翌年の春に「せっかく作った御水屋だからネット茶人に杮落としをしてもらおう」とオフミ気分で集まってもらったものです。当日の設えは、床に母直筆の漢詩の軸を掛け、桜が気を悪くしないように花は飾らず、姿の良い炭を盆に刺しました。
前座は、「てあぶり」と称して盆略手前で「花の下風(伽羅)」を一*柱焚き廻しました。御家流には盆略手前が無かったので 、本で覚えた志野流の四方盆点前を真似ましたが、実家の母親や家族の前で手前を披露するのは初めてだったので 異様に緊張した覚えがあります。母が私の香人としての姿を見たのは、これが最初で最後と言えるでしょう。
後座は、みんなで近くの一目千本桜の下に陣取って「野点席」をしました。周りには牛一頭の丸焼きをはじめ、思い思いの料理を囲んで酒宴に興じる人々がおりましたが、これを尻目に「茶箱」で一服という趣向で す。何もないブルーシートの上で繰り広げられる茶席の静謐な空間に周りの人々も驚いていたようでしたが、当時小学生と幼稚園だった我が娘ちゃんたちも殊勝に正座して、その緊張感を楽しんでいました。我ネット社中は、とにかく「好奇の目で見られるのがたまらなく好き」という連中でしたので、 皆さんそういう意味でも「ご満悦」でした。
最後は、桜を十分に堪能したところで実家に戻り、「点心席」という名の宴会となりました。茶人のことですから、料理はそれぞれ持ち寄りで、それに実家の母のもてなしも加わり、花の香りを孕んだ空気を胸一杯に吸いながら語り合いました。
いま思えば、全員が仙台から車に分乗してやってきたこともあり、ただ一つこの宴席に掛けていたのは「酒」でした。「そういえば、酒無しであれだけ盛り上がっていたのだな」とネット交流の熱の高さにいまさらながら感心するばかりです。
このように、地元で「いい歳のオジサン」をやっていると、サイバー系やリアル系を含め自然に「地縁」というものが着いて、春は各方面の花見で忙しかったものです。尾張の地では独り暮らしとなり、近所の桜をくまなく廻り、卑近ながらビールと弁当で、あの「ふわぁー」とした気分を味わっていますが、あの時のような昂揚感溢れる花見は体験することができなくなりました。これからは、諸国漫遊の過客として「宴」とは一線を隔した「花見」を楽しむ術を見つけなくてはならないと思っています。また、「雅人たるもの一度は吉野」とも思っていますが、将来大阪勤務の想定もなされるため、近畿圏の風光探訪はそれほど急いてはいないのが我が心持ちです。そんなことを言いつつ、式年遷宮で伊勢路や熊野古道を回っている間に奈良県の県境も近くに感じるようになるでしょう。思わず、県境を越えてしまった時のために、「瓢箪酒」を携行しなければならないかもしれませんね。
「三愛香」は、大枝流芳編の『香道軒の玉水(上)』に掲載のある組香です。この組香は、小引の冒頭に「流芳組」と記載のあることから、オリジナルの組香であることがわかります。基本的には「雑」の組に分類され、四季を問わずに催すことのできる組香ですが、要素名 である「酒」「花」「香」の景色からは「観桜香席」も連想されるため、春にふさわしい組香とも言えるかと思います。また、この組香は、題号に「三」のつく名数香の1つで、先月「三戒香」 を解説した際に「この組香の対極にあるのは『三愛香』でしょう。」と書いたにもかかわらず、同書の数ある「盤物(ばんもの)」の組香に埋もれて、まだご紹介していなかったことが判ったため、今回、後追いでご紹介することにいたしました。今回はオリジナルの組香ですので『香道軒の玉水』を出典として筆を進めたいと思います。
まず、この組香に証歌はありませんが、「三愛」というものを素材にして遊ぶ組香であることは、誰の目にも明らかでしょう。「三愛」という言葉 を辞書で引きますと「琴と酒と詩」が第一義となっています。これは中国の文人趣味の影響を受けて、貴族の文化が生まれ、その美学が今日まで継承されたものと言って良いでしょう。一方、仏教界では、三界に生ずる「欲愛と色愛と無色愛」。人間の心に生じる「欲愛と有愛と非有愛」。臨終に起こす「自体愛と境界愛と当世愛」などもあり、これらは「愛(愛着)」を「欲」と読み替えれば、前回の「戒め」と表裏一体 をなしていることが判ります。さらに卑近なところでは、お馴染みの「銀座三愛」が「人を愛し、国を愛し、務めを愛す」の「三愛」の精神 を社是としているなどというものもあります。
一方、この組香の「三愛」とは、出典に「此の組は牡丹花老人の酒と花と香とを常に愛せし故、三愛の記といふ文をあらはせり。この意をとりて組香となせしなり。」とあり、香道の創設期にも関連のある「牡丹花肖柏(ぼたんかしょうはく)」の著した『三愛記(さんあいのき)』に源流をなしていることが判ります。これは短い随筆なので、翻刻したものを別ページ掲載しておきます。
『三愛記』へ( 出典:国文学研究資料館 肥前松平文庫本)
次に、牡丹花肖柏(1443〜1527)は、京都に生まれた室町中期の連歌師を中心とした文化人です。公家の中院通淳(なかのいんみちあつ)の子として生まれましたが、幼いころから世俗を嫌い、学問や風雅の道を好みました。 幼いころ、ある人が後ろから「物をもいはで物習ふ人」と声をかけた際に、彼はすかさず筆をとって「くちなしの花の色葉はうつすらむ」と 認め、先の言葉に上句をつけたことに驚き、これが評判となって「連歌の神童」ともてはやされたという逸話もあります。20代には、香祖でもある三条西実隆に『伊勢物語』や『源氏物語』を学び、飛鳥井栄雅に和歌を宗祇(そうぎ)から は連歌を教わり、「古今伝授」を授けられたとされています。「香道の創生」に関しては、足利義政の下命もあり、 当時、彼の師匠たちが志野宗信らとともに香筵を開きつつ創案を練っていたのでしょうから、当然肖柏もこれに加わっていたと考えられています。
彼が「牡丹花」と称された由来については、牡丹を詠んだ句「春咲かぬ花のこころやふかみ草」が絶賛され、世間が「牡丹花老人」と呼んだからといわれていますが、「華かな牡丹は隠遁者に似つかわしくないが、酒と花と香を愛した自分の好みだから仕方がない」と自ら号したとも言われています。彼は、応仁の乱(1467)が始まると京都を離れ、摂津の為奈(いな=現在の池田市)で隠遁生活を始めます。「大広寺」(池田市綾羽町)の裏に「夢庵(むあん)」を結び、庵の書斎「弄花軒(ろうかけん)」で、「香をかぎ酒をたしなみ花をめでる生活」に三昧し、この組香の原典となった『三愛記』を表します。「三愛」の効能があってか大変な長寿で、大永7年(1527)に84歳で没しています。現在、「夢庵」のあった大広寺には「牡丹花肖柏碑」があり、墓所は南宗寺(堺市堺区南旅篭町)に残されています。
続いて、この組香の要素名は「酒」「花」「香」となっており、「三つの徳」として随筆を依頼された牡丹花老人が、生涯の友として愛でた「好きなもの」を「三愛」と称して書に著し、そこで挙げられた「花」「酒」「香」が順序を変えて組香に配置されています。要素名の理解を深めるために『三愛記』の該当部分だけを意訳するとこのような感じになります。
「酒」…「中国をはじめ国内の様々な酒を呑んで、花見酒をしたことによって病気もせずに珍しいほど長生き することができた。」
「花」…「小さいころから好きで吉野山や名所の風光に接し、四季折々に咲く小さな花までもあまねく気に留めて愛で、感受性を養 うことができた。」
「香」…「蘭奢待、紅塵、中河の名香を賞玩し、練香も梅花、荷葉、新椛や家伝の秘法を調合し、忙しさの中にも心を落ち着けることができた。」
さて、この組香の構造は至って簡単です。まず、「酒」「花」を4包ずつ作り、「香」は3包作ります。次に「酒」「花」のうち1包ずつを試香として焚き出します。続いて、手元に残った「酒(3包)」「花(3包)」に客香となる「香(3包)」を加えます。地の香となる「酒」「花」が有体物であるのに対して、「香」は無体物ですし、組香の景色として「香」が最も高位に置かれるのも当然のことですから、客香に「香」が配置されているのも納得がいくと思います。さらに、出典では、「出香九包打ちまぜ六包とり除きて三包ばかりききて」との記載があり、香元は、手元で合わせた9包 を打ち交ぜ、その中から6包を任意に引き去り、本香は3包焚き出します。「源氏香」のように本香数よりも抜き香の方が多い構造は珍しいですが、これには香の出のバリエーションを増やすという通常の意味に加えて、「3炉とも同香が出る」というパターンを作る ための必須条件でもあるようです。
本香3炉が焚き終わりましたら回答の段となりますが、出典には「各々名乗紙に書き付け出だすべし」とあり、「名乗紙による後開き」とすることが指定されています。これに従い連衆は 、名乗紙に要素名を出た順に書き記して提出します。執筆は連衆の答えを全て書き写し、香元に正解を請います。香元は香包を開いて正解を宣言します。
ここで、この組香の点法は「やや複雑」です。これについて出典では「各々三包みに客の香出る事も有るべし。三つともに聞けば九点たるべし。客は二点づつ、外は一点たるべし。独聞の客は三点たるべし。其の餘は尋常の組香の如し 」とあります。
これにより、試香の無い(客香)「香」が3炉とも出た場合を想定し、これを全て聞きあてた場合には「9点 (各3点)」を配点することを先に宣言しています。また、「客香」の聞き当てと連衆の中で唯一聞きあてた「独聞」には加点要素があり、「香」の当たりは2点、独聞は3点となります。一方、試香のある (地の香)「酒」「花」の聞き当たりは(平点の)1点、独聞の場合は2点と加点します。これについて出典では「其の餘は尋常の組香の如し。」とあるだけで、 「酒」「花」の独聞に加点要素があるかどうかは明示されていませんが、客香の独聞に加点があるならば地の香にもあるべきということで、小記録に加えました。例えば、「香・香・香」と出た場合、それが独聞ならば3×3=9点ですが、正解者が2人以上いると本来の点数は2×3=6点となります。これでも 「香・香・香と出た場合の正解9点とする」というのが出典の1行目に書かれたルールです。このようにして、この組香の最高得点は9点として 「第一の点法」が定められ、執筆は、当たりの要素名の右肩に所定の点を掛けておきます。
さらに、この組香では下附が少し特殊となっています。普通の組香ならば、当たり の要素に掛けた「合点」と各自の成績を示す「下附」の数字は一致するはずなのですが、この組香ではそれが一致しないという特徴があります。これについて、出典の「三愛香之記」では、当たった要素数が漢数字で下附されており、その上限 が「三」となる「第二の点法」が定められています。例えば「香・香・香」と出た場合の全問正解は9点で要素名の右肩には3つずつ合点が 掛けられているのに、下附は「三」と書かれています。また、「酒・花・香」で6点となる全問正解も同じく「三」と下附されています。このことは、出典本文の点法と矛盾する記載ミスではないかと思いましたが、どうも「三愛」の「三」に掛けて、途中で何点当っても最高は「三」にしたいという作意に基づく趣向かな?と思い直し、出典の記載例をそのまま是認しました。香の出にもよりますが、「酒・花・香」と出た場合の全問正解は「三愛」を愛でたことになりますし、その他「酒・酒・花」をはじめ「香・香・香」の全問正解も 実際は1種類か2種類しか愛でていないのですが、その分深く愛でたということでしょうか?真偽はともかく、全ては「三愛に帰する」ということで、聞き当てた要素名の数を下附するのも香記の景色として良いのかなと思いました。
そのため、勝負は下附の数ではなく、要素名に掛けられた 合点の数で優劣を決めることとなり、最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。なお、「香」を1つだけ聞き当てた2点の方と「酒」と「花」を2つ聞きあてた2点の方が競合した場合は、下附が「二」となっている後者の方を優勢と見るべきでしょう。ただし、「香」を1つだけ「独聞」した3点の方の場合は、要素を2つ当てた2点の方に勝ると考えた方がよろしいかと思います。いずれ、この方式ですと当座のルールで決めるべきことも多いようです。
介護生活を経験して以来、全く長生きを希望していない私ですが
1日5勺の酒を呑み、時宜の花を愛で、香を愛していると・・・
長生きしそうですねぇ・・・どうしよう?
咲き初むる鄙の桜に寄り伏して酒杯に映す不忘の山(921詠)
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
Copyright, kazz921 All Right Reserved
無断模写・転写を禁じます。