『三愛記』(さんあいのき)

牡丹花肖柏 写本1冊

国文学研究資料館保存

 此のころ、世にひとりの居士あり。儒尺(釈)道によらず、其の形、自然にして九重の中に年をくりしか、ちかきころほひつのくに井なの(摂津の為奈)のわたりにいほりをむすびて、夢と号しみづから「牡丹花」をなとせり。み(身)におはぬやうに、きこえ侍れと萬物一躰のことわりをおもふにや、つねのことくさに、はな(花)をもてあそび、香を執し、さけ(酒)をあひ(愛)す。この三は、古往今来、上聖大覧もこれを用い、村老小児も賞せずといふ事なきにや。

 叟(おきな)少年のむかしより、宮禁の月下に春霽の一刻をおしみ、吉野山にたびたび入りて而上人のあとおしたひ、ちかるきくにぐにな(名)ある所どころの風光に映し、春の道芝にまじる小草にもこころをとどめ、夏草のしげみをわけ、しづや(賤家)のかきねにむすぼれたるむばらのうえをもみすてず、霧がれの埜にのこる、一花までもそで(袖)をふれずといふ事なし。中にも錦宮城のあかつきの紅を■にしめ、桃李の春風に頽然(たいぜん)としてふ(伏)し、胡蝶の夏の中に一生をまかせ、時を感じては、涙を流すのみなり。

 「香」は、沈水をもととして、此のくに(国)にひさしく伝し蘭奢待、紅塵、中河などなだかきを賞し、「あはせたきもの」は、梅花、荷葉、新椛等をもてはやし、家々にいどみきたれる秘方(法)をも伝て、いささかのふかさ、あささをととのへ夜雨同参のまくらに昼籚の■に和し、塵裏の閑をぬすみて、吟詠のほか余事なし。

 さけ(酒)は、もろこし南蛮のあぢはひ(味わい)をこころみ、九列のねりぬき、加列の菊花、天野の抜群なるをもとめ、薄と濁醪(だくろう)にいたるまで、一酌の手憂を散じ、あるいは春花をおきぬひて、酔をつくし、これを以て風害をさけて稀なる齢にもこえたり。しばしば寿を長くして心を年少のはじめにかへす、■建仁寺の正宗和尚は、命をうけし尊老なり。常庵相ついで旧好たり。この三の徳を記し給ふべきよしのぞみしかば、一章を書し、「三愛」と題し給へり。其のことは、「寿妙感歎不可述」をや、ここにある童子のあやにくに、この事をやはらげて書きあらはすべきよし、懇望なりしかば、童蒙にしかがひて、かたはしを筆にそむる事、しかなり。

永正丙子抄商下澣七十四歳 自書写

 

 

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