香人雑記

2003−2005

つれづれなるままに、ぼんやり書いてます。

[不定期更新]

*

2005/11/20

山伏修行

 先日、9月に参加した山伏修行体験を卒業論文にするという学生さんから取材を受けました。

 ご連絡いただいたのは、一緒に修行をした人文社会学科の学生さんなのですが「現代人と修行」(現代人は、日常的にストレスを受けているのに、なぜ「修行」という超日常的なストレスを更に求めるのか?)についてまとめたいとのことでした。インタビューを受けながら当時の思いを反芻することで、なんとなく気持ちの整理も付きましたので、延び延びになっていた「修行の成果」について書いてみたいと思います。

 まず、私が修行の端緒として挙げた「香人としてのアイデンティティの閉塞感」について述べることと致しましょう。カウンターが10万を超えた頃、私は「香筵雅遊が香道界の必要悪として市民権を得たもの」と解釈し始めていました。しかし、毎月、判で押したように上がる2000カウントについて、明らかにリピータなのでしょうが「いったいどんな方が見ているのか?」「この方たちは、このページの存在を好感しているのか?」ということに疑問を感ずるようになりました。ネットの情報は、発信すると同時に砂に沁みこむ水のように消えていきますが、その水を「飲んだよ/飲めないよ」「美味しかった/まずかった」と言ってくれる人もいない反応の無さに日々恐怖感を覚えるようになりました。それが高じて、現在、私が実際に面識のある数少ない香人でさえも、本当は「かかわりたくない」との思いを抱きながら「無邪気に」訪れてしまう私を、明け透けに白眼視することもできずに、お付き合いいただいている日陰者なのではないかと思い始めたのです。

 そんなこんなでカウンター数ほどに認められていない「香人」というアイデンティティに疑問を感じ、なんらかの「解」を得たいと参加した山伏体験でしたが、意外にも初日に答えが出てしまいました。

 夜の「抖(と)そう行(山駆け)」の際、『国宝五重搭』の前で「床がため(座禅)」をしました。ライトアップされた搭は、神々しく、強く、静かに千年の歴史を刻んでいました。搭との語らいの第一声は「俺は平将門に立てられたんじゃないよ。」と云う声でした。その一言から「この搭は、観光のために平将門が建立したという虚飾を纏っているけれども、それは本意ではい。そんなことがなくとも、地域住民に守られ、その威風を保つことによって千年立ち続けたという事実だけで国宝となったであろう。」と私の思考がめぐり、結論が出ました。

 五重搭から受けた啓示は単純なことで「存在し続けることに価値がある」ということでした。

 私は、古い香書を現代人に読めるものに翻刻しデータベース化することで、先達の思いとノウハウを未来に正しく伝えることを「人生の背骨」としています。建築に較べると言語系は変化が速く、現代語に更新したとしても概ね400年程度の橋渡ししか出来ませんが、自分が生きたことで約800年の歴史が繋がっていくことを願っています。ネット上の情報にはタグはつけられません。ですから、このページに悪意を抱いている方でも、このページの情報が活用できますし、複写、引用、流用も御法度ではありません。それでも、その情報を受けた方がリアルの香道界で「正しく伝えてくれれぱ」私が発掘した情報は未来に生きると思えるようになりました。そして、未来に残った一片の情報が私の生きた証だと・・・・要は「我執にとらわれないこと」「止めないこと」ですね。

 今後も私は、皆様の好き嫌いに関わりなく「無尽の愛\(^o^)/」を香道界に降り注いで参りたいと存知ます。ネット社会は、「情報か、さもなくば死か?」を問うチキンレースですから、このページが、シンパ&アンチ双方の皆様にとって「無価値」となった時は、カウンターが教えてくれるでしょう。

 

山伏修行志願者の類型

男性は子持ちの壮年で志望動機は「うまりかわり」「二回目の成人式」とワンパターン

女性はおおむね30歳前の独身で志望動機は「取材」「超日常体験」「自然&粗食志向」と千差万別

どちらも底流にあるのは「精神的なマゾヒズム」・・・かな?

 

2005/4/7

香道二十年

 山本霞月さんの「香道四十年」「四十年を振り返って」の手記を読み返しておりましたら、本日921は「香道二十年目」を迎えていることがわかりました。

最初のお稽古は・・・


「春雨香」(昭和61年4月7日)
 春     露原     伽羅 2T
 雨          登花殿  寸聞多羅 3T
 柳のつゆ  鳥の彩   真南蛮 1
 梅のしずく 唐衣     羅国 2  ・・・6*柱聞きの組香でした。


 稽古ノートには、各香木の「色」「形」「香りの特徴」「焚き殻の色」が記載されていましたが、これでは「材木屋」ですね。(^^;)
 中でも、「登花殿(とうかでん)」は、樹脂の黒いところが真ん中に一筋入ったサンドイッチのような木筋でしたので、印象が深く未だに色形と香色が思い浮かびます。(921をして寸聞多羅好きにせしめた張本人の香木です。)

 香道を始めたきっかけは、もともと大学時代から調香やアロマテラピーで遊んでいた「不思議君」だったのですが、兼業の禁止に抵触することとなった劇団員を辞めて「動物」から一気に「植物化」していた時期に、誰からともなく「和物もあるってよ。」と耳打ちされたのです。(私は未だにそれが三條西堯山宗匠の啓示であったろうと思いこんでいます。)
 それから一年間、香道の教場を探し、やっと見つけて最初に体験したのが「春雨香」でした。その時は、お香の香りもさることながら、社中のお弟子さんたちの「一種異様な雰囲気」が自分の空気感と同調して、「ここが自分の住む世界だぁ!」ということを直感したものです。それから、茶道、書道、華道各流派を修められた先輩たちに手取り足取り教えられながら、「門前の小僧」を決め込み、イッパシの風流人に仕立てていただきました。
 
 このような「幸せな弟子人生」が長く続き・・・堯雲宗匠の啓示を受けたつもりのHPが原因で「香籍離脱」もあり・・・一人で研究を進めていく間に米川常伯さん、大枝流芳さん、伊与田勝由さん、細谷松男さん、一色梨郷さんといろいろな方が夢枕に立ちました。(・・・と思いこんでいるだけ。)

 山本霞月さんは、お師匠(増田秀月、勝井黙友)さんやお仲間たちとの「幸せな稽古」が二十年続き、戦争を挟んで昭和22年には、一色梨郷さんらとともに三條西堯山宗匠の推戴式に関わったのをターニングポイントとして新たな「二十年」香道人生を歩まれることになります。晩年の「堯山宗家推戴二十周年式典」「山本霞月香道四十周年記念の香席」は正に有終の美だったものと思われます。

 921は、やっと半分過ぎだところで、霞月さんのように資産もなければ、人脈も無い訳ですが、これらの人々が「残そう!」としたものを現代に固定化するために、後の二十年を「幸せ」に暮らそうと思っています。

最後に「春雨香」の証歌

「ふしておもひ起きて眺むる春雨に花のしたひもいかにとくらむ」

(新古今和歌集 詠み人しらず)

 

2005/3/28

ワシントン条約と香道

 香道の根幹」を占める素材である香木は、中古の昔から「貴重」「稀少」「宝」と言われてきましたが、近年では、更に入手が困難になっているようです。

香木でご商売をされている香舗の中にも「年々、自信を持って売れる香木は少なくなり、昔ならば聞香用とはならなかった香木を売って日々の糧を得ることにいつまで耐えられるか・・・」との声も聞かれるようになりました。むしろ、このように思い悩む方は善良で、今では偽物沈香も見られるようになりました。

先日、鑑定させていただいたインドネシア産の香木は、沈香樹の樹脂の非常に薄い部分を用いて、朽木や泥の部分を掃除したように丸刀でそれらしく削り、最後に焼桐のように焼いて茶褐色にしたという、大変「イケナイ」贋作でした。手に取ってみれば、比重のあまりの軽さに愕然とするほど他愛のないものなのですが、見た目にはそっくりです。依頼人は、「現地の友達にお土産としてもらった。」と言っていましたが、素人にプレゼントする「民芸品?」にしては、冗談がすぎる気がしました。

沈香は、輸出国であるベトナム、インドネシア、マレーシアをはじめとする国々(約20カ国)で、大量に取引されていますが、高値な天然資源であるために、原産国では過剰で違法な採取・取引が行われています。一方、沈香の世界的な需要は、この採取量をはるかに超えているため、価格の高騰のみならず「絶滅危惧種」となる可能性まで取り沙汰されています。

ワシントン条約の「附属書U」「現在必ずしも絶滅のおそれのある種ではないが、その標本の取引を厳重に規制しなければ絶滅のおそれのある種」として、既にマラッカジンコウ(Aquilaria malaccensis)が掲載されており、輸入については、原産国の輸出許可書が必要となっています。条約には「違反した取引にかかる標本は没収する。」と記載されていますが、樹木自体の区別が難しいためにアキラリア属として一括して持ち込まれることも多いようです。 今後は、種の保存を目的として、輸出国と輸入国がワシントン条約の施行を厳格にしていくことやアキラリア属の中で絶滅の恐れのある種の附属書への追加掲載などが提案されており、香木の輸入量と質の確保は、ますます困難を極め、価格も鰻上りとなるでしょう。

このことは、翻ってみれば「香道」という芸道の質的、量的な限界にも通ずることだと思います。良い香木だけを使う方々は、小さく密かな組織に凝り固まるでしょうし、拡大路線を展開する組織は、所作や手前・式法を切り売りすることに傾注して、「香木は組香するための単なる消耗品」と位置付けるかもしれません。また、江戸時代の爛熟期のように「和香木」と称する「松」「杉」「楠」も出てくるかもしれません。

そんな暗澹たる未来の中でも、香道は香りを素材にした「悟道」として香人の心の中に生き残るでしょう。良いお香に出会えば、自分の道の間違いに気付いたり、新たな展開を見出したりすることは必ず有る筈です。心のどこかで、香木に対して敬虔な気持ちになる一瞬が有る限り、香道の精神は朽ち果てないでしょう。「香道よ永遠なれ」です。

921もHP掲載当初は、「貴方は良いお香を聞いてからこの行動に出ているの?」と先輩に問いかけられました。その時はきっぱり「はい。」と答えて悟った気になっていたものです。結局、その後の香人生の方が良いお香に出会う機会は多くなりましたが、心は揺るぎませんでした。先輩の一言は、香人の軌範として「己のとった行動は香木に対して顔向けの出来ないことではないな?」という完璧で端的な問いかけだったわけです。こういう先輩に周りで育まれていたからこそ、間違いのない道を進んで来られたのだと思って感謝しています。

すべてのことに先達はあらまほしきことなり。

 

2004/4/1

お香木をもらったら・・・

先日、「香道を習い始めたばかりの方がお社中の先輩から香木を戴いてどうしたらいいのか迷った。」というお話を戴きました。

 香木の授受を秘密にすることは、何か流派内の決まりがあるのか?それとも社中内で一人にだけ香木を分けることが心情的によろしくないということなのか?正直に言って私には分かりかねますが、確かに門内にいた時も、宗家ですら「袖の下から、そっと・・・」香木を下さったということがありました。

 一般的に考えて、やはり「その人と見込んで」師匠からいただく場合と、ある域に達した香人間で「名香や持香の検証」のためにやりとりされるの場合以外は、社中のお弟子同士で気軽に香木を授受することは控えたほうが良いかと思います。


 それでは「どうして憚られるのか?」という理由について、少々私見を述べさせていただきます。

  1. 香道黎明期の「完全相伝」は、この弟子と見込んだ者のみに「自分の持ち道具から香木まで一切を譲る」つもりで「皆伝」を与えました。これは一種の「身代譲り」を意味していたのです。これが、ある程度時代を経て「皆伝の際には蘭奢侍を切り分ける」という形式に簡略化され、「暖簾分け」というイメージに変化しました。つまり、香木を譲るということは、それに値する人間であることを師匠が判断した上で行う「伝授の一形態」であったわけです。ですから、たとえ無名の香木であっても、五味六国に達し、その素性をちゃんと把握し活用できる方に差し上げるべきであり、そういう人こそが持つべき資格があるともの考えます。
     

  2. 「持香(もちこう)」とは、香人が所持する香を一義的に意味し、特に「自分で命名した香」を言います。そのため、一木の香であろうとも、平安時代の練香の如く個人のアイデンティティ」という無体財産的価値を持ちます。そのため、同じ社中から同じ香銘で出香されたり、同じ香味の伽羅が所持人によって別名で出香される等の不都合は避けるべきでしょう。現在の香席では、客が出香することは希となりましたが、亭主として出香する機会は依然失われてはいません。その際に自分のアイデンティティとなる香木は、大切に秘蔵すべきものと考えます。

  3. 最後に、「良い香木を持っている」ということは、一般に秘した方が、要らぬ困難を避けられます。特に名香を所持していることを公にしてしまうと、門外の知人からまで、折りにふれ「鑑賞香」を懇願されたり、改まった香席の度に「出香」を依頼されて、大事な香木が所持人の意に反して消費されてしまいます。さらには、もっと偉い人に「忠義の証として差し出せ」と言われる可能性もあります。このような「あさましい人間関係」がもとで流派を去ったというお話も聞き及びますので、やはり「秘すれば花」ということもあるようです。

 香木は、基本的には「所持人の色の濃く付いたもの」であり、それを戴くことができるということは「貴方と見込んで」という判断の上に立っている訳ですから、それにふさわしい取り扱いをすることが大切です。また、香木の金銭的価値は押して知るべしでしょうが、もともと値段のつけようのない「個人的で大切なもの」を戴いたわけですから、その対価を換算することより「深い感謝と精進」を継続することで返礼すべきものと考えます。

香木の授受にはお互いに「それ」と認め合う関係が必要ですね。

 

2004/3/1

火味見と箸目拝見

オヤジの小言で「火加減伺いのお箸目拝見は別のもの」と書きましたが、「もう少し詳しく・・・」とのご要望もありました。

 これにお答えするには、式法書の教えを参考とするのが一番だと思いましたので、『御家流香道要略集』からそのエッセンスをご紹介することとします。

−御家流香會之式−《抜粋・意訳》

※ 「 」内は、出展の記述のまま掲載しています。

 「上客→正客」「亭主→香元」と読み替えれば、大体の流れが掴めるかと思います。現代の香道では、乱箱に据付けた本香炉をそのまま使用したりしますので、この部分の問答が省略されて稽古されることが多いと思います。そのため、お互いうろ覚えで火味見と箸目拝見などすると香席が混乱しますので注意してください。

 「正客が火加減の確認を辞退すべき」ということについては、一般に行われるべき作法であると別の伝書に記載してあります。辞退すべき理由は、@正客が客香を出していない場合(持ち香でもない香木の火合はわからないため)、A香元が巧者と認めている場合(謙譲の意を表すため)等であろうと思います。

 正客が客香を提供することができたのは、「香拵え」(客の持ち寄った香木を香割りして香包に仕込む香席の前座)があった時代の事ですから、現代の香席で、正客が香炉の火味見をすることは、形骸的なことなのかもしれません。

 また、大寄せの香席で正客が「箸目拝見」など所望すると、連衆を廻っている間にすっかり火が細くなってしまいます。このような場合には、三客あたりが気を利かせて香炉を香元に戻すとか、香元が「後ほどご覧いただきます。」と一旦断り、本香が焚き終った後に跡見(香炉自慢も兼ねて)として香炉を廻したりするのもよいでしょう。

 「香席は沈黙が原則」と言われますが、亭主と正客とで交わされる最低限の問答は、座中の雰囲気作りをするための重要な要素となります。香会の式法は、時代の流れによる風化もあり、流派によっても伝授が違うことから、どれが正統とは申し上げられませんが、とりあえずの参考として、「問答もあり。」とお心にお留めいただければ幸いです。

香席で高上がりしてしまった時など、問答が自然にできればいいですね。

ただし、五月蝿過ぎないように・・・

 

2004/2/11

琥珀の香り

岩手県久慈市を訪れた際に、日本唯一の産地から「琥珀」の標本を買ってきました。

 原料が樹脂であり、色形も樹脂系香料に似ていますので、軽い気持ちで「燃やして香りを聞きたい」と思ったのが数年前の話で、それがいつしか「積年の懸案」になっていました。

 買い求めた標本は、「久慈琥珀8,500万年前)VS「ロシア・バルト海琥珀4,500万年前)でこの2つの琥珀の聞き較べをしてみました。

久慈の琥珀は、「南洋スギ(学名アラウカリア)が起源樹種と考えられており、所謂「松脂(やに)」とは元々違うということを久慈琥珀潟Xテーションプラザのお嬢さん(ホントは奥さん(^^)v)から伺いました。

まず、琥珀は大きな原石でも常温では全く香りが無く、銀葉で間接的に暖めてもあまり香りが立つ事はありませんでした。薫陸(イラン産)がエキゾチックで「艶」なる香りがし、常温のままでも「香料」という感じがするのとは、印象が異なりました。

そこで、直接火に近づけて、火のつかない程度に熱すると、最初に「ピキピキッ」ヒビが入って、その後プラスチックのように丸く解けて香りが立ちました。(近づけすぎると直ぐ燃えます。)

ロシア産のものは、乳白色の大理石のような概観でした。香りあまり雑味もなく、咽がヒリヒリするような「辛」と「苦」がありました。プラスチックやその他の樹脂の焦げた匂いほどの派手さはなく、芳香族炭化水素のような香りでもなく、真南蛮の末枯れたものを燃やしたとき匂いを淡白にした感じとでもいいましょうか?

久慈産のものは、所謂「琥珀色」の透明な石です。ロシア産に較べると優しく、確かに「辛」が主味なのですが、穀物系(麦芽糖のような)の甘さも感じられました。和紙が焦げたときの煙ような「ツン」とした感じが一番近いかもしれません。乳香、没薬、薫陸等の樹脂系の香料に較べると淡白に細長く香りました。「良い香りがすれば宝石の削り屑でも買い集めて練香の材料に・・・」と思っていましたが、温熱程度では、香りにボリュームが少ないのと「どうだろうか?匂いか?香りか?」と若干躊躇せざるを得ない微妙な香印象でしたので、やはり、燃やすお香ならば使ってみるのも話題性はあるかな?というところかもしれません。

江戸時代に久慈地方で採掘された琥珀の大半は江戸や京都に輸出され、良品は細工物として名声を上げたほか、お香、線香、塗料、医薬品などにも多くが用いられていたそうです。久慈琥珀ステーションプラザには、「琥珀の香り製品」もあり、入浴剤(森林系香料添加3種)や線香(香水香3種)が売られていました。「久慈琥珀の粉末入り」と書いてありましたが、かなり高温でないと香りが立たないことがわかりましたので、線香ならば琥珀の香りも幾分楽しめるかと思います。一方、入浴剤は琥珀の香りというよりは「真珠パウダー」のように琥珀粉末の宝石イメージと美容効果を期待するものかもしれません。

「琥珀を燃やして香りを聞く」と言うと、逢う人ごとに変人扱いされましたが、「薫陸と同じようなものですから・・・」と言うと、皆さん「薫陸(くんろく)」をご存知で、妙にに納得されてしまいました。どうやら江戸時代の久慈地方では、琥珀のことを「くんのこ(薫陸香)」と呼んでいたそうで、「薫陸」の名前が久慈市民にすんなり理解されたのは歴史的な素養であったようです。

いずれにしろ恐竜が闊歩していた中生代白亜紀後期の「古代の香り」を聞くことができて感慨一入でした。

現地で「琥珀が常温で解けた」という奇妙な事件も聞きつけました。

琥珀の原石を箪笥の上に置いておいたら数年後に箪笥の天井で「ベチョ〜」っと解けていたそうです。

不思議! 不思議!

 

2004/1/31

香道詞遣いの事

2月からNHKの『趣味悠々』で「香りを楽しもう」という放送がされるそうです。本日テキストを購入して一気に読みました。お香という「オタクの極致」の文化も昨今の癒しブームから派生して賑わいを見せているようです。

 私は大学時代から好きだった「調香」⇒「アロマテラピー」に閉塞感を感じていた頃に、突然誰かから「和物もあるってよ。」と囁きかけられて(三條西尭山先生の御霊であったような気がしているのですが・・・)、一年間教場を探して「香道」の門にたどり着きました。それは丁度20年ほど前のことで、折からの「アロマテラピーブーム」が一段落した頃でした。「歴史は繰り返す」と良く言われますが、「洋物」の香りが爛熟した後には必ず「和物」も復権するようです。

 今回テレビを見られる方も多くは「洋物」の香りを端緒にして興味をもたれた方が多いと思います。これを機に、たくさんの方々が「和物」の門戸を叩き、また、その中から次世代の香道を担って行かれる方が輩出されることを祈っています。

 さて、香道では、香を「聞く」と言うことは有名な話ですが、その他にも面白い動詞の使い方があります。香道用語の英語版については下記のとおりご紹介しましたが、香道具の名称等にも流派の違いこそあれ、それぞれ決まった言葉遣いがあります。今回は、これから香道の入口を体験される方々のために、伝書に記載のある香道界の「言葉遣い」についてご紹介したいと思います。

動 作

言葉遣い(動詞)

 香を焚く(焼く)こと  *柱く(たく)
 灰形を作ること  押す
 香炉に火(炭団)を入れること  取る
 香炉から火(炭団)を出すこと  放つ
 銀葉に香を載せること  置く
 銀葉から香を取り去ること  揚げる
 香が銀葉から落ちること  走る
 香を焚き客に戻すこと  継ぐ
 札筒に札を入れること  打つ
 香が一組終わること  満る

 また、香の焚かれている香炉を「一*柱(いっちゅう)、二*柱(にちゅう)」と数えることは、香道界では常識ですが、その他にも香道具を数えるときの単位が委細決められています。

道 具

言葉遣い(単位)

 香炉(2つ)  一対(双)
 香炉(1つ)  一隻(せき)
 銀挟(銀葉挟)、香箱、香包、折居、火筯壜(香筯建)、札筒、香袋(志野袋)、銀葉入・火末入(重香合)  一つ
 香筯、火筯  一揃(そろえ)
 灰押、香串(鶯)、羽箒、香救(香匙)  一本
 銀葉  一片
 銀葉盤、立物盤  一面

出典「御家流香道百箇条口授傅」「御家流香道要略集」より抜粋

※ 文中の「*柱」の字は、本来「火へん」に「主」と書きます。文中の「焚く」も本当は、この字に「く」を送るのが、香道では一般語です。

日本語の香道用語も意外に知っているようで知らないものです。

正しい用語で正しくお稽古することにも心がけて見てください。

 

 

2003/10/25

Koh-do Engrish

先日、掲示板で「香包は英語でPacketだよ。」お教えいただいた際に、紹介を受けた英語の本『The Book of Incense』(Kiyoko Morita著/1992.講談社インターナショナル刊)には、たくさんの香道用語(英訳)が見られます。

香道用語には、公式な英語の訳語が確立されていませんが、ここでは好評だった「目から鱗」シリーズ第2段として、特に知っておいて損のない部分のみ抜粋してご紹介しておきたいと思います。

用語 英訳語 用語 英訳語
香道 Koh-do 灰押 Ash press
香炉 Censer 羽箒 Feather boom
香木 Incense 香筯(箸) Incense chopsticks
Ash Answer sheet holder
香炭団 Charcoal 銀葉挟 Silver tweezers
銀葉 Mica plate 香匙 Incense spoon
火窓(火筋) Air hole 香包 Packet
正客 Honored guest 火筯(箸) Metal  chopsticks
香元 Master of ceremonies 名乗 Participant's name
執筆 Record-keeper 名乗紙 Answer sheet
床の間 Alcove 「ウ」 unknown

英語をちょっと知っている方ならば、直訳してみると結構おもしろいです。形や使われ方から、言葉の近似値を求めるのも楽しい作業なのかもしれません。特に「ウ⇒unknown」は、良く本質を突いていて、笑いながらも納得してしまいました。また、「灰押の代わりにバターナイフを使う」、「羽箒の代わりにティッシュを使う」、「銀葉挟の代わりにピンセットを使う」等のアイディアもこれからの「香人コスモポリタニズム」には、必要なの教養かもしれませんね。

一方、「火窓⇒Air hole」については、「酸素を通す穴」という説明付きで記載されていますが、それは副次的な機能で、「炭団からの熱を直接伝える通り道」と考えます。古い伝書には「火加減の弱いときには、火窓を開ける」と書いてあるものもあり、「火窓は基本的には無くとも当時の池田炭は点った」と考えられます。基本的に香炭団は、灰の中に含まれた(または通過した)酸素で点るものと理解していますで、「Heat way (passage)」も有りかもしれませんね。いかがでしょうか?

この他にも、「源氏香」のコラムで、源氏物語の帖名が英訳されているところも興味深く、私としてはこちらに「目から鱗大賞!」を差し上げたいと思います。以下、帖名英訳のパターンとして代表的なものをご紹介します。

帖名 英訳語 直訳 英訳のパターン
箒木 The Broom Tree 箒の木 言葉として直訳
夕顔 Evening Face 夕顔 単漢字変換
野分 The Typhoon 台風 別語に言い換えて英訳
藤袴 Purple Trousers 紫のズボン 意訳してから言葉として直訳
総角 Trefoil Knots 三葉模様の結び 連想できる言葉として英訳

他の帖名も、概ね上記のようなパターンに則って、各帖の内容、ムードや景色によって様々なかたちに訳されています。詳しくは、原典をご覧になることをお勧めします。

 

Casual & Easy

カジュアル&イージーは、「香筵雅遊」のコンセプトですが・・・

世界標準のアバウトさには負けますねぇ。

 

2003/7/19

オヤジの小言

居酒屋のトイレに張ってある「オヤジの小言」みたいですが・・・自分でやるとわからないことなのに、他人様の香席に伺うと気になることってあるんですよねー。

香道を辞して数年間は、自分の活動を全国の香道に携わる業界の方々がどのように思われているのか図りかね、「自主謹慎」と称して自己満足的な香道研究を重ねて参りました。やっと最近、香道界の皆さんからも「必要悪」程度の思いで見ていただけていることが分かりましたので、少しずつですが香舗や香席等にも伺うこととしました。

そんなことをしていたら、すっかり行儀作法が江戸時代になったのか?香席でこんなことをブツブツ考えるようになりました。

@香席は、「〇〇香席」と表示をして客が案内を請わなくとも、自然に待合の列ができるように導線を仕切ろうね。

A時節柄、桃や木瓜は良いけど、蘭や百合は香りが強いので香道における忌み花のようなもんだよ。

B宸筆のお軸を掛けたときは、床前の客がお尻を向けないようにあらかじめ席を空けて置こうね。昔は、連衆が一通りお軸に挨拶し終えたら、軸を架け替えたらしいよ。

C亭主の方から火加減を問うたら、正客は次客と相談するぐらいで適否を判定してね。一番上品なのは「焚かれる香木を知っている香元に任せる」ために、火味見を辞退することかな?自分の香が焚かれるときは、自分で確かめてね。お箸目拝見じゃないんだからそのまま連衆に廻しちゃだめだよ。

D香席に焚くお香は、あらかじめ適切な火合を見るために十分予行演習しているはずだから、当日、香席で執筆が香炉を聞いちゃうのはおかしいよ。(お稽古のときはもったいないから聞くけどね。)

Eついでに言うと香元亭主も出されるお香の火合と香味は熟知しているという前提で焚いてるんだから、あまり深々と何回も聞かないのね。

Fいっくら「馬尾蚊足」が美学と言っても、一席30人の大寄せで「馬尾蚊足」は辛いねぇ。ほ〜ら、後半の人は、ほとんど正解できてないでしょ。

G試みの無い組香で、同じ木所を2つ使うのは、素人さんにとって辛くない?まっ、そういう意地悪な香組も僕にとっては楽しいけど・・・。

H香席は貴賎を問わないレベラルな場なんだから、「私の香席にはこんな偉い人が来てますぅ。」って見栄っぽい御紹介はいらないよ。

自分のやっている香席はどうかというと、執筆さんの応援以外は全部一人でやっているので、おそらくボロボロでしょうね。はははは、第一こんなこと考えてちゃ聞香になりませんね。集中!集中!

 

香席では・・・

心象風景形成のための白いキャンバスづくりに専念して

心豊かに香風景を描きましょうね!

 

「香人雑記」2001−2002へ

「香人雑記」1999−2000へ

「香人雑記」1997−1998へ

区切線(以下ページリンクボタン)

インデックスへ

*

厳選リンクへ